新学期が始まりました

今年は週10時間を3日です。科目としては3科目。

ひとつは去年もやったものなので、それをアレンジしてプリント作りをしました。

しかし、一つは全く未知の状態で、しかも教科書もなし

要するに「自由にやってもらってかまいません」なのですが、私のよなマニュアル人間にとって「自由にどうぞ」とか「臨機応変」とかってのが一番の苦手です。

前例にないことはできない!! って叫びたいです。

それも、私は権限もない非常勤講師ですし。

一応、主任の先生が当初予定していた内容をチラリと聞いたのですが、それには実習費が必要です。なので、予算的にどれくらい使えるのかを聞いてみたのですが、それもあいまい。

「結構あると思うので好きに使ってもらっていいです」と言われました。

実を言うとすでにたかが1000円程度ですが、自腹で見本になる物を買ったりしています。

資料をただで頂けそうな団体にアプローチとかもしているのですが、それも「非常勤講師」と言う立場では頼みにくいと言うか・・・ そもそも、そう言うアピールをするのに学校の名前を出していいのかもわからない状況でした。とりあえず1回目の授業が一通り終わりましたが、主任の先生の担当しているクラスの作業が目に入ってくると、以前、産休でやっていた時の「まったり感」に私はもうもやもやと言うかうずうずしてしまっています。その時一緒にやっていた若い先生はうちの学校をやめて別の私立の学校へ移っています。彼女のやり方がまったりしていたのではなく、そもそも主任の先生がまったりしていたんだな、とあらためて感じています。その若い先生が変わっていった学校に以前、この学校で一緒に非常勤をしていた先生がいて、その先生から「そっちの学校から若い先生が変わって来たけど」と連絡がありました(笑) 

またお休みになったら一度お会いしましょう!って言われてるけど、まあ実現するかどうかはわかりません。でも、きっと愚痴大会になりそうではあるけれど(笑) 彼女はパキパキ物を言うタイプなので、どのような話がきけるが実は興味津々ですが、ズルい私は自分から誘うことはないので彼女から連絡がなければそれでおしまいになるでしょう。正直、その若い先生がどのようにここの学校での仕事の事を思っていたのか知りたくてたまらないのですが、まあでも終わったことを言っても仕方ないでしょって娘に言われます。

で、今の学校にずっと中学校で正規の教員をしていて定年退職後に常勤で来られた人がいます。打合せの時に少し話しましたが、それはもう超ベテラン。話を聞いていると公立のしかも中学なので、かなり厳しかったみたいです。そこへ行くとうちの学校はなんて言うかユルイと言うかぬるいと言うか・・・ その先生からもお話を聞きたいのですが、全く接点もないし・・・

主任の先生は「科会」ってやってみたい、みたいなことを言っていましたが、今までは私とその先生とそれぞれ勝手に授業をやってきたので、中身をすり合わせたりテストを共通にしたりと言う事もしていませんでした。今回はその大ベテランの先生と新しく来た超美人の若い先生が普通の科目を共有するみたいなので、どのように進むのか是非見せていただきたいです。

いずれにしても、今回私だけが誰も未経験で主任の先生の中に「構想」だけはある科目をすることになっています。それをやるつもりなら、押し通してほしかったけど、でも色々、制約もあるので別の科目を担当せざるを得ないようです。

正直、うちの学校は本当にレベルが低いので「普通」が彼らにとってはとても難しいのです。ベテラン先生にチラリと「いかがでした?」と聞いたら「びっくりするくらい子供っぽい」と言っていました。まあフレンドリーと言えばフレンドリーなんですけど、境界線がないと言うかわからないんですよね。まあ、他の先生方を見ていてもそれを容認していて なあなあのダラダラです。

私もここで最初から言っているひと悶着あったクラスに行かざるを得ないのですが、いきなり「ケロリ~~~ン」呼ばわりです。 うーん・・・・・・ 

やりにくい。なので、最初から「私は詰込みでガンガン授業するからね!!」って宣言してはいますが・・・ なしくずしにダラダラにシフトしそうにも思います。

なんだか気が重い・・・  色々とメンドクサイ・・・ ため息・・・

独善的

夫の甥っ子から、家に泥棒が入っているようだと相談がありました。

実は以前から義姉もそう言っていて、警察に届けたりもしたのですが埒があきませんでした。

そもそも、盗られたと言うものが取るに足りないものであったりしたせいで(義姉が服用している処方薬など) あまり警察も真剣にはなってくれないようです

それでも夫が何度か説得して玄関に防犯カメラを付ける事だけはしたそうです。

それでしばらくはおさまっていたようなのですが、また最近、今度はカバンとかお金などの被害もあったようで、甥っ子は警察に連絡したそうなのですが「忙しいからあとで」と言って、その後連絡なしなんだそうです。

「それで、どうしたの?」と夫に聞くと、盗られたものをリストアップしておくように言ったと。

それはいいのですが、空き巣に入られたと警察に連絡したのに、来てくれないのは問題なのでは? と私は思いました。

実を言うと私は実家にいた時「居空き」の被害にあっています。実家は商売をやっていたので、割と簡単に店先に侵入できたのだと思います。私はお店の隣の部屋でテレビを見ていて、お店の机の上に鞄を置きっぱなしにしていました。普段はせいぜい1万円しか入っていないお財布に5万円近く入っていたし、カメラもいれてありました。その当時はクレジットカードは持っていませんでしたが、健康保険証や銀行と郵便局のキャッシュカードも入っていました。警察に連絡するとお巡りさんが来て、話を聞いてくれて鑑識?の人を呼んであちこちポンポンされて、家族全員指紋を取られて・・・調書も書いて、と言う状況でした。その時は盗まれたその日だったので迅速だったのかもしれませんが、実は大きな声では言えませんが、前の家でも警察に来てもらったことがあります。二階の納戸も窓が開いていて(開けた記憶はない) 納戸に置いてあった宝石箱一個がなくなっていました。でも、正直いつからそこが開いていたのか、いつから宝石箱がなかったのかもわかりません。その後、和室に置いてあった貯金箱がなくなっていたこと、商品券が入った袋がなくなっていた事にも気づきました。なので警察に連絡したら、その日のうちに来て、まずは状況見聞をして調書を書いて、とりあえず「盗難届」を受理してくれたように思います。

ただ、その時に「二階の窓から侵入すると言う事は難しいので、大変言いにくいけれど、家族にもう一度聞いてみてください」と。その時子どもたちは二人とも大学生でした。家族構成を書くときに大学名も書かされました。正直、家族を疑えと言われたのはショックでした。

結局、見つからないままでしたが、でも他人に家の中に入られた恐怖で家中の窓を二重ロックにして、しばらくは外に出るのも家にいるのも恐怖を感じていました。

 

そう言った経験があるせいで、私は空き巣に入られた夫の実家の事が心配でたまりません。で、夫に、「どうしてすぐにでも様子を見に行ってあげないのか」と問い掛けたことから、またまた私の悪い癖の過去の事を持ち出して夫を責め立てることをしてしまいました。

夫の実家は終戦直後に建てられた古い農家で義両親が亡き後はいまや後期高齢者の義兄嫁と中学生レベルの知能しかない甥っ子が二人で暮らしています。義兄は夫が18歳の時に30そこそこで亡くなっています。義兄嫁と甥姪の生活を支えてきたのは義両親でした。正直、義兄嫁は何もできない人で甥っ子も頼りにならず、結果としてうちの夫があれこれ世話をせざるを得ませんでした。

私は何かと言うと義実家に呼びつけられるのが負担で嫌でたまりませんでしたが、義父亡き後、義兄嫁と甥がちゃんと暮らせているのかも気にしていました。

夫は確かに優しい人ですが、本当に優柔不断で主体性もないし、基本的に事なかれ主義です。

私は子どもたちの進学と就職とそして娘の病気の事でどれだけ訴えても何もしてくれなかった夫の事を今も恨みに思っています。

とにかく「わからない」 「どうしよう」 とそれを言っておしまいです。わからないで終われないことを私が必死で駆けずり回って解決してきました。

今は本当に私が頑張り過ぎたのだと思いますが、でも、やっぱり私が頑張らないと 何もできない、何もしない人なのです。

 

結局、私は夫をすぐに実家に行かせて様子を見て、そして警察を呼びつけてもらいました。

警察官は3人来て直近の防犯カメラのデータも核にしたけど何も映っておらず、残りは夫が持ち帰ってきてチェックもしました。防犯カメラの映像は私と娘も手伝って確認し、時々 抜けている日付があるのですが、どうやら電池が切れて交換するまでの期間のようでした。それは仕方がないのですが、防犯カメラには住人以外に写っていないのに明らかに盗まれたものがある… 

しかし、実家でのチェックがやっぱり間抜けなのです。

取り合えず、家の中に外部から侵入できるところに異常がないか確かめるように言っておいたのですが、「なかった」とのこと。そしたら、後になって義父が亡くなってから使っていなかった通路のチェックをしていなかった、と。で、そこが開いていた、と連絡がありました。義父が亡くなってもう7~8年になりますが、その間、ずっと出入りが可能な状態で放置されていた? 義姉が夜中に北側の窓のあたりがガタガタする、と言っていたそうなのに、その近くのその出入り口に誰も気づかないってどうよ? と私はムカッとしました。 あと日中、留守をすることがあるそうですがそちらは防犯カメラに映る場所です。いくら人通りがほとんどないとは言え、日中にその北側から侵入できるのか… いや、私の記憶が確かなら 侵入可能のような気がします。

そう言う事がわかったのなら、そちらに対する対策をした方が…

しかし、夫は警察に届けたから…ともう、自分のやることは果たしたつもりでいます。

正直、私も彼らに一から十まで頼られるのは困ります。

でも、もう何年も前から相談を受けているのに、夫のやっていることはまどろっこしくて…

そしたら、夫は「自分でできるようにしなければしょうがない」と言うのですが、本当に本当に申し訳ないけれど義兄嫁も義甥も、ハッキリ言って やれる人たちではないんです。言葉は悪いけれど普通じゃない知能的にも境界レベルの人たちなんです。

だから、私なら自分の身内なら全部やってしまいます。でも、私は夫の家族の事には口出しはしないって決めたし、あなたに少しでも情があるのだったらあなたが対処して、と言ってあります。そしたら「自分の仕事や色々大変なのに、実家の事に関わりたくない」って本音を暴露しました。「だったら、自分には対処できないってキッパリ言えば?」  「せめてもの情で、彼女の娘夫婦に少しは家の事を見てやってくれとどうして言えないの!!」って私はブチ切れました。

いつも通り「どうしよう」でなんとなく事が過ぎていくのを見ているだけです。

 

確かに私は異常な心配性ですが、もし泥棒と鉢合わせてしまってケガとかするかもしれないし。家の中に侵入するって事はもしかしたら火を付けられたりするかもしれない、そう言う可能性もあるでしょ? 

なのに「自分で対処するように」と言って様子見でいいの?

正直言って、犯人が捕まらない限り、私だったら安心して家にもいられないけど!!

 

・・・とまあ、大嫌いな夫の実家の面々ではあるけれど、それでも曲がりなりにも家族であるのだから心配してしまうのに

当の夫は 事なかれ主義で・・・

 

こういうことがあると全て同じとみなしてしまう私の癖ですが

結局、夫は自分に直接的な火の粉が掛からなければ、誰かの事を心配するってことはないのでしょうか?

私が取り越し苦労が多すぎるのは重々承知ですが、それでも夫の態度はひどく無責任で冷淡だと感じます。

 

だからつい、この人は私が病気になって寝込んだり認知症になったりしたらポイっと施設に入れるだろうし、早死にをしたところで「ああ、死んじゃったね」程度にしか思わないんじゃないかと思ってしまいます。

まあ、確かに泣いて暮らせとは言いませんが、でも、なんだか本当にこれほど人の事に必死になっている私が異常に感じてしまいます。と言うかものすごく空しいです・・・

 

私はただの心配症? 偽善者? 独善的なただのおせっかい? 

 

私は知らない! 関係ない!  あなたたちで何とかしなさい! 

 

この言葉を言えてしまうなら私と言う人間を60年もやっていません、きっと 

ホントですか?

正月以来久しぶりに実家に顔を出しました。

ほんの1時間ほどだったので大した話もできなかったのですが

その中で気になったのが、ご近所の一人暮らし老人がここ最近で5~6人孤独死をしていると言う話。

実家は大都市の田舎部です。

昔から古い人間関係がはびこっていて、私が大学を出てとっとと結婚して家を出たのも煩わしい人間関係が原因の一つと言ってもいいです。

かれこれ50年以上も前の私が子どもの頃はそれなりに田んぼも畑もありましたが、準工業地帯とで1970年代は「公害指定地域」でもありました。それでも周りは古い田舎の集落で江戸時代は砂浜であった関係で3階以上の建物は立てられないとのことでしたので昔ながらの古い家が立ち並んでいました。我が家は今からちょうど100年くらい前に、その集落で初めての二階建ての家だったそうです。思い起こせば私が中学生になるくらいまでは平屋の家が多かった気もします。私の通っていた小学校は私が入学した年が開校2年目でした。1~2年は一クラス50人弱でしたが3年の時に52人になったおかげで3クラスになりました。学区に新生団地の開発が進み転校生が続出しました。卒業するころは1学年105人程度だったので 1クラスは35~36人で 世間で40人学級にしよう!と大騒ぎしているはるか以前にそれを達成していました。

今から思うと1クラスの人数が少なかったのでクラスの仲が良く、コロナ前の4年ごとのクラス会には8割程度が集まると言うほどでした。今私が参加しているライングループは15名ほどです。でもそこに参加していない5~6名とは連絡をすればすぐに連絡が取れるらしいです。亡くなったのは2人、この間のコロナの件でトラブってしまったのが1人、全くの所在不明が1~2人と言う感じです。いずれにしても小学校を卒業してちょうど50年になりますが、それだけ連絡が取れると言うのはすごい事なんだと思います。と言うのも、ほぼほぼすべての人が地元に残っているから。 

それが私の住んでいる実家の土着性の象徴でもあると思います。

さてさて、以前にも実家に行くと母の昔語りと言うかご近所の噂話で辟易すると書きましたが、私もすでに結婚して40年近く。つまり実家を離れてそれだけの年月が経っています。元々、若い頃にご近所さんのことなどほとんど知らなかったし、とにかく時間が経ちすぎています。それなのに母は私が何でも知っているかのように話してくるので、いちいち「え?それって誰?」と確認するののが大変です。さらに昔からの屋号で呼ぶことが多いので突然苗字が出てきてもそれと結びつきません。ギリギリ私の同級生と妹たちの同級生の実家の事ならわかるのですが

 

そう言う昔からのご近所さんの訃報が、私にとってはまるでホラーなのです。

前にも書いた気がするのですが、我が家から20台くらいの停めれる駐車場を挟んだお向かいの家で一人暮らしの高齢者が孤独死しして腐敗臭で大騒ぎをしたことは聞いていたのですが、その後、その家の隣で一人暮らしをしていた人も孤独死。我が家から3軒ほど離れた借家に住んでいた独居老人も孤独死・・・ 妹に言わせるとここ最近で5~6件、そう言う話があるとのこと。

多過ぎませんか? 本当にホラーです。

さらに衝撃を受けたのは我が家からは徒歩で3~4分の家で高齢の父親と息子が「餓死」していたと言う話・・・ それまでの孤独死は全員おそらく病死なのですが、そこは餓死・・・ 怖すぎます。その餓死した息子が私より1つ年上の同じ通学団の人でした。私はその家は私より一つ上のお兄ちゃんと一つ下の弟の二人兄弟だと思っていたのですが、もう一人上にお兄さんがいたようです。そう言われてみればよく似た大きな人がいたような気もします。我が家は女ばかりだし、そこは男の子ばかりでちょうど学年もずれていてほとんど接点はありませんでした。

ただ、私には50年来罪悪感を感じていることがあります。私が小学4年か5年の頃、我が家は初めて犬を飼いました。豆しばのシバちゃんは可愛くてお散歩をさせるのが楽しみでした。

そのシバちゃんがそのお宅の玄関の真ん前でウンチをしてしまったのです。当時は今のようなエチケット袋とかなくて、公園とか田んぼの端っことかでさせて放置していました。ところがシバはそのお宅の玄関の真ん前で・・・ 私は本当に必死になって鎖を引っ張ったのですが、めずらしくシバは言う事をきかずこんもりと・・・ 私は誰も見ていなかったのを良い事幸い、飛んで逃げました。そして、それ以降、決してそこの家の前を通らないようにしていたのです・・・ と言うか、それ以降、犬の散歩自体しなくなりました。小心者なので、とにかくそのお宅の名前が出るたびにドキドキして なかったふり聞かなかったふりをして過ごしてきました。その程度の記憶しかないご近所さんだったのですが・・・

母たちの世代が亡くなるのはもう年も年だから仕方ありません。でも、その亡くなり方が「孤独死」であるのは衝撃です。

そして、私たちの世代の「顔見知り」が亡くなっていくのも衝撃ですし、今回の餓死と言う亡くなり方も衝撃でした。

今は母は妹と暮らしているので死後数か月も放置されることはないと思います。もし一人暮らしをしていたとしても我が家はバス停までの通り道で昔からのお店の名残で間口が広いのでいつも誰かがかつてのお店の入り口から声をかけてくれていました。母に関しては本当にたくさんの人間関係があるので何とかなる気がするのですが、ただ、毎日のように来ていたご近所さんもすでに多くの皆さんが鬼籍です。空き巣に何度も入られたことからさすがの母もその入り口に鍵をかけています。今は妹がいるので孫たちも週に1回は顔を出していますが、そのうち顔を出さなくなったら・・・ う~ん・・・ 

 

母のように近所との交友関係が広いわけでもなく、さらに人づきあいをしなくていいからとマンションに移り住んだ自分は年を取った時にどうなるのだろう?と 不安になりました。

息子は正月にも来なかったうえにそれ以来一切連絡はないし、娘は今は同居ですが本当にいいかげん嫁に行くなり一人暮らしなりさせねば、と思います。

これから先、自分たちはどうなって行ってしまうのでしょう? 

 

ネットの記事でマンションでの「孤独死」とか「ゴミ屋敷化」が取りざたされていました。家の中なので見えにくいのですが、部屋とかベランダにゴミが詰まっていて、それが共用部の悪臭や虫が湧いたりの問題になるのだそうです。

うちのマンションは新婚さんや子どもが小学生くらいのニューファミリーが多いのですが、少なからず我が家のようなリタイア組もいます。我が家の2つくらい上の階のおじいさん。70代後半かなぁと言う感じなのですが、この人とエレベーターで乗り合わせると死ぬほどタバコくさい… なので、見かけると一度見送ってエレベーターに乗るのですが、その空の状態でもすごくタバコのにおいがします。どうやら体に染みついているようです。以前、ベランダでの喫煙に対する注意書きが出ていましたが、この人かなぁと つい疑ってしまいます。

たかがエレベーターでの臭いが気になるので、もしもどこかのお宅がゴミ屋敷化していたらマンションも悲惨だな、と思います。

そう言えば最近はちょくちょくマンションでの火災とかもニュースで見るし…

一応、今のところは新しいマンションなので防災検査とか小まめにしてくれていますが、マンションが古くなって管理費などが怠ると、そう言ったメンテナンスの費用が捻出できなくなる可能性もあるそうです。うちのマンションは大丈夫だと信じたいけれど、実を言うとまだ半数くらいは未入入居です。お隣の駅にできたマンションは完成前に120戸完売御礼って垂れ幕が掛かっていました(うちより相場として1000万近く安い) この3月完成予定のマンションがほんの5分ほど先にあります。相場としてうちより500万程度は安い値段設定だったように思います。

これは本当にもしかしたら 半数が売れ残ったまま(当然、値下げはされると思うけど) 管理に支障が出てきたら・・・ せっかく、終の棲家として選んだマンションだったのに……

いや! 霊視の先生がオッケーを出してくれたのですから信じなくては!

 

私の老後は安泰! そう言い聞かせることにします。

 

 

とりあえず、医者通いはお休み

ここのところ月一で通っていた漢方のお医者さんからとりあえず「卒業」しました。

実を言うと自分から今回の診察(前回撮った脳のMRIの結果が出る)の後はサラッと次の予約をブッチして逃げるつもりでしたが、お薬を変える事を拒否したら「それじゃ、もう、こちらで診ることはないですね」と、逆に切られてしまいました・・・

ここで診ていただいて ちょうど1年くらいでしたが、正直、特に症状が改善したとは言い切れません。お話をしっかり聞いてくれるので(カウンセラーさんに言われたけど) それを目的に通っていたのかもしれません。でも、月一で通ってそのたびごとに「じゃ、薬を変えてみますか」と言う感じで正直、元々薬嫌いでもあるので「そんなに効果のない薬で、しかもパタッと飲まなくてもよくなる薬ならいらないんじゃないか」って思っていました。

気持ちとして「たまに続けて飲まないと痺れがひどくなるような気もする」と言う感じで、実際にそう言っていたので「じゃ、別のに変えてみますか」と言う感じでした。漢方の薬はそれなりに続けないと意味がないようなことも書いてあったし、急に辞めてはいけないと言う事も書いてあった気がするのに1か月ごとに別のお薬になるのもなぁ・・・と。違う薬に帰ると言う名目ではあるけれど、結局はやめちゃってオッケーの薬なんだな、と。

正直、インフルに掛かった時も1週間くらい漢方は辞めていたし、ここ数日も風邪っぽくて漢方を辞めて市販の風邪薬と優先していました。(後で聞いたら漢方と市販の風邪薬は併用しても良かったようです) そろでも、あまり大きな違いはありませんでした。

飲んでも飲まなくても やっぱり手足は痺れているし・・・ 薬を飲み忘れる(漢方は基本食前なので)ストレスもあります。そもそも根本に「漢方は合わない」と言う潜在意識もあったし。尊敬していた東洋医学のエキスパートの先生が70代半ばで突然、お亡くなりになってしまってちょっとガッカリと言うか、漢方に不信感を持ってしまったのもあります。最初から疑心暗鬼でかかっていたら効くものも効かないのかもしれません。なんにしても「病は気から」と言うし逆かもしれませんが、偽薬効果と言うかむしろ偽物でも「効く」と思えば効くはずなので、逆に「効かない」って思えば効かないのかもしれません。

いずれにしても漢方の先生に最後は「くれぐれもドクターショッピングに陥らないように」と言われました。

って事は、先生も私の症状を「思い込み」って思っていたんだな、と。

そう思いながらも、とりあえず適当な薬を処方してくれてたって事でしょう。

 

そもそもの発端は「コロナワクチン3回目接種」後からです。夜間視力の低下、聴力の低下、足の痺れ、そして手の痺れ、不眠…

 

実を言うともう早い段階で霊視の先生には「今後の人生に関わるような大きな問題はない」っておっしゃっていただいていたのに・・・ 

私は自分で病気を作り出して周りから心配してほしかったのだと、カウンセラーの先生に2か月前に指摘もされてやっと、そこに向かい合う気持ちになりました。

このワクチン騒動からは丁度丸2年、その間振り回されて、そして周りを振り回して得たものは何だったのだろうな、と。

とりあえず一番大きな変化は、マンション買ったことか・・・

うん、これは私の人生でも大きな転機のはずです。

ただ、体調不良に惑わされてメリットを享受しきれていなかったけれど

 

少なくとも前の家にいた時よりはるかにストレスは少ないです。

あと一歩、自分で踏み出せばやれることはいっぱいあります。

とりあえず、歩いて行ける範囲に ちょこザップが3か所あります(自転車なら5分1か所、10分2か所) 自転車10分強で行ける範囲にプールもあるし、そもそも新幹線の駅までバスで20分だから遠出だってできます。

コロナをきっかけに、そう言ったものからも離れていましたが、再開するのもありかも知れません。

長年関わってきたセミナーが年に2回の受講が必須だったのですが、東京へ行くお金も時間もかなり負担でした。それがZoomが利用できるようになったのは本当にありがたかったです。

直接多くの人に会うのが特に苦手でした。そのセミナーに参加する方々とのリアルな人間関係が本当に苦手で・・・ その一方で、直接お話ができることが本当にうれしい方々も数名はいました。ただ、私がそれほど慕っている人の方は私の顔も名前も覚えていてくれないことが多かったのですが(笑) そんな感じだったので、やっぱり出歩くのは無理かな・・・

新たな人間関係を作るのもしんどいし

 

何をどうきっかけに、これから何をしていきたいのか・・・暗中模索状態です。

そんな夫と40年・・・

付き合い始めから数えればもうすでに40年以上の付き合いになる夫

 

たぶん、どれだけぶつかってきたかしれません。と言うか、常に私が一人で怒っている状況でした。

夫はほとんど何も言わず、私の言動を我慢してきたのだと思います。

しかし、ここ最近は本当に言い合いになるケースもよくあります。

夫も年を取って我慢がきかなくなってきたのかもしれませんし、今まで我慢してきたものが積もり積もってなのかもしれません。

今まではいつも私が怒って悪態をついていて一方的に夫をなじっては来ましたが、でも夫にも計り知れないほど我慢してきたものはあるのだと理解はしています。

 

とは言え! それはそれ、これはこれで(笑) 夫の言動に我慢できないのは変わりません。

少なくとも私は一貫して「これは嫌」 「これはやめて」 と言い続けてきたのですから。

夫は私に対する不満を「自分が我慢すれば丸く収まる」と我慢して来たそうですが、そうするつもりなら最後の最後まで貫き通せよ!って思います。

私はその都度、ちゃんと問題を解決したいタイプでいつもいつもいつも、とにかく「結論」を出したいって言い続けてきて、それに夫も同意したはずです。だったら、その同意事項を履行せよ!ってのが私の言い分です。あなたに言いたいことがあれば言って、それを私は自分が納得すれば正すから、(でも納得できなければあくまでもワタシ色の決着を付けさせてもらうよ・笑) 言わなければ、なかったものとするからね、ともう何十年も言い続けてきました。

でも、波風を立てたくなくて逃げて来たのが夫。あれもこれも「どうしよう」「わからない」で放ってきたのが夫。

だから、私は「これからは家の事はあなたがやって!」と

でも、結局、前の家も1年間放置したまま。夫が去年の1月に完全にこちらに引っ越すまで向こうにいて、その間、家にある物を使うとか整理するとか言っていたから任せておいたのに、ただ放置するだけ。今は1週間に一度、仕事帰りに郵便受けをのぞきに行って、たまに草取りをしてそれでオシマイ。確かに家に残っている物の大半は私の物だけれど、でも最後に自分が使っていた部屋もキッチンもお風呂も片付けないまま・・・

 

1年半、黙っていた引っ越しをお正月にやっと母と妹2にも話して、その流れで放置してあったピアノを甥っ子の娘のために譲る話がまとまりました。

私はマンションに持って行きたかったけれど娘に拒否られたもので、確かにあれがあったらさらに狭くなってしんどかったと思うのでとりあえず喜んでもらってくれる相手がいて良かったです。

娘が3歳の時に母が買ってくれたもので6歳から中学2年くらいまでピアノを習っていましたが、それ以降はハッキリ言ってオブジェ状態でした。でも、引っ越すまで毎年キッチリ調律は続けてきました。それを1年放置してしまったので調律は2年間が空いてしまいます。妹2にその辺りはキッチリ言っておいたけど、ケチな甥っ子はちゃんと調律して使ってくれるのかな・・・ いや、そもそもうちの娘がピアノがいらないって言ったのは将来マンションとかだったら音の問題もあるし、町立とかにお金を掛けるのももったいないから、って理由でした。甥っ子は一軒家を建てたけれど、建売の旗さお地の奥の家で住宅が密集しています。果たしてご近所さんはピアノをどう思うのかな? まあ、私が心配する事でもないけれど・・・

実家には妹2のピアノがあります。このピアノは孫娘のために母が買ってあげたものだけど姪はピアノをやらずにフルートをやって結局甥っ子2がピアノを習っていました。なので、そのピアノは将来甥っ子が貰っていくと思うのです。で、実家では甥っ子1の娘二人と甥っ子2の息子が取り合いをして楽しんでいると言う話をしていたので、じゃ、うちのピアノ揚げるよ、と言う話になりました。 

むかし私と妹1が使っていたピアノは母が妹1の嫁入りの時に持たせました。その時私は社宅にいたので仕方なかったけど、でもちょっと悔しかったです。結局 妹1には息子しか生まれなかったので、それこそオブジェだったので。 でも、そのおかげで娘には新しいピアノを買ってもらえたので良しとします。そうでなかったらまた うちの娘はお古で妹2の子には新品って事になってただろうし・・・ 

まあ、何と言うか こう言うものの恨みは根深いです。

 

と、また大幅に話が逸れてしまいましたが

とにかく、今まで家の事にノータッチだった夫に「これから、マンションの事は全てやって!」と放り投げました。

今まで、半年点検、1年目点検、防犯システム点検など在宅を強いられる点検が数回あり、これは私が対処しました。次回の点検の申し込みの案内が正月明けに届いており、今月の25日が締め切りでした。私も確認して、なんども「25日が締めきりだから早めに提出して」と言ったのですが、「仕事が忙しいから土日にやる」と言っているうちに13,14,20,21の土日が過ぎました。21日が終わったところでさすがに切れて「次の土日は締め切りを過ぎてるよ!!」と言ったらやっと「何をやるの?」と。土日しかやる日がないと言うようなことを言っていますが、ダラダラ テレビを見たり、日課?のウォーキングには出かけたり、図書館で借りた本を常に読んでいます(仕事や勉強用ではなくミーハー全開の流行りものだったりする) それで「忙しくてできない」言い訳にはなりません。

今までそう言った細かい仕事は全部私がやってきたからです。

このまま任せていたら埒が明かなくてしびれを切らして結局やるしかなくなります。

と言うか、これまでは言っても無駄と諦めて言わずにやってきたこともあるけれど・・・

あれもこれもそれも、やらずに放置しておいてそれで済んできたのだから、この先もそれで何とかなると思っているのでしょうね

今回も24日に私が申請書を提出しました。

結局そうなるのか・・・ 

 

さて、そろそろ「確定申告」の時期になります。

私は自分の分は毎年やってきて、医療費控除などがあった時の夫の分も全部やってきました。

夫が年金をもらうようになり、毎年確定申告が必要になり、懇切丁寧にやり方を教え、翌年からは自分でやってと突き放したのですが・・・ そう、去年、申請ミスで 修正申告をさせられるはめになり、しかも「延滞金」のおまけつき「これじゃ、脱税扱いじゃない!!」ってキレたところです。「次は絶対に間違えないでやってよね」って言ってあるんですが、まあ、確かに郵便物は私が全て握っているので気が付いていないのかもしれませんが、今の段階でも確定申告のかの字も言ってません。でも、会社から源泉徴収とかもらってきてるからわかっているハズ・・・ なので、ギリギリまで言わないつもりでいますが、でもまたみすみす延滞金を払わされるのもばからしいし、2年連続だとブラックリストにでも載りそうだし(笑)

なんだかんだで私の分の確定申告はトータルするとたぶん20年くらいはやっていて一度も再調査?なんてことはなかったんだけど・・・ 

ホンット、マンションに越してからいろいろな申請書を夫にやらせたら、毎回毎回「不備がありました」で再提出ばかり。ホント、ありえないです。

工学部ですが博士課程を卒業しているので頭は私よりもはるかにいいはず。でも、あまりに世間的な常識は知らないし雑学に関してなら私の方がはるかに物知りです。だから、ついついイラついてしまいます。彼にとって「人間のキャパには限界があるから、必要のないものは忘れていくのが当たり前」と。毎年やっていた家族のイベントの不備を責めた時に言われました。「あなたにとって家族の事は『必要がなくて忘れていいもの』なんだね!」って。

たぶん、何度も書いていますが付き合って初めてのバレンタインに手作りチョコを送った時に「期待外れだった」とヌかした時に匹敵する「許せない言葉」です。

やっぱり、あの40年以上前の出来事が全てを象徴していたのかもしれません。

霊視の先生のお言葉を信じれば残念ながらあとまだ少なくとも20年はお付き合いしなくてはいけないようです・・・ 

 

あ! でも20年って 今までの半分なんだ! そっか…年を取ったんだなぁ

いよいよ、本気で終活を考えなくてはいけないんですね。ちょっと気が引き締まりました

 

残り20年を、こんな風に怒ってばかりで過ごしたくはないなぁ・・・・・・

ストローク不足

心理学の講座でクライエント役をやることになりました。

最初は別の受講者の人がセラピストをしていたのですが、途中でパニックになってリタイア。結果として先生がその後のセラピーを引き受けることとなりました。

ロープレですので、どこまで「演じ」ればいいのか悩みましたが、結果的に 普通に先生のセラピーを受けたような形でした。

 

とりあえず「主訴」として「体調不良と家族との問題」と言うここ数日、ブログに書いているような内容を説明しました。(カウンセラー役の人が『人間関係のワークをやってみたい』と言ったため、私も急遽、とってつけたようにテーマを出しました・笑)

結果としては先生の巧みなカウンセリングで本当に自分でも納得のできるところに落ち着きました。

先生は一般的な話から私の言動の奥にある物を引き出してくれました。

 

まず、先生に言われて納得がいくと言うかいかないと言うか、それでいてストンと落ちた部分が「あなたは旦那さんに甘えている」と言う事。私と毒母の話は以前にも話したことがあるので先生はそれを把握しています。私が永遠に母親に片思いをしていることも知っています。どれほど母が私を罵倒し罵っても私は母の言葉が正しいので、結果として母の望む娘になれない自分を責め続けていることも知っています。

今回、去年の12月半ばのインフルから続く体調不良の話をしていた時に、夫や娘が私が体調が悪いとか体が痛いと言うと「姿勢が悪いから」とか「普段の生活が良くない」と言って責めると言う話をしました。その時に思い出したと言うか、私が「健康自慢」だった事を言うと、先生はそれは禁止令の一つだったと言いました。親が「健康であれ」と「健康でなくてはいけない」と植え付けていたのだ、と。確かに母は母こそが健康自慢と言うか、我慢強いのが自慢の人で、私は母が病気で寝込んでいる姿を見たことがなかったし、仕事柄、骨が出るほどのケガはしょっちゅうでしたが、それも医者へ行かずに治す人でした。私は母の体質を継いで健康だと思っていましたが、実は我慢していたのかもしれない、と思いました。私は滅多に頭痛になることはありませんが、頭痛になっても薬を飲むことはありませんでした。子供の頃から母が「頭痛薬は習慣になるから飲んではいけない」と言っていたからです。頭が割れるように痛んでもひたすら耐えていました。ところがある時、ついに我慢できずに頭痛薬を飲んだらものの30分できれいさっぱり痛みが取れたのです。本当に驚きました。少なくとも半日は苦しんでいた痛みがたった30分で…

思い起こせばそう言う事が多々ありました。私が「痛い」と言うと「大げさ」と言われました。いつ頃からか慢性的に胃の痛みを感じるようになり、日常的に「痛い」と言う日々が続くと、「毎日言っていてそれでいて普通に過ごしているのだから大したことないのに騒ぎ立てている」認定をされてしまいました。生まれて初めて胃カメラを飲んだ時、かなり胃が荒れていて、その時にお医者さんが「これほど荒れていたらさぞ痛かったでしょう。大変でしたね」と言ってくれた時に、初めて自分の痛みをわかってくれる人がいたんだ、と涙が出ました。そう言えば初めての出産の時も、本当に我慢に我慢をして医者へ行ったら「ありゃりゃ、子宮口が半分以上開いている。平気な顔をしているからまだまだだと思った」とじーさま先生に言われました。これも「お産ごときで騒ぐな」と言う母の言葉を忠実に守っていたせいです。そう、ずっと痛かったし辛かった・・・でも、それを我慢するしかなかったのです。

そうして人には見えない「痛み」は我慢してきました。(訴えるとバカにされる) でも「熱」とか「嘔吐」とか客観的な症状が出るとさすがに「病気扱い」をしてもらえました。

 そして、毒母は病気になるとなぜかとても優しかったのです。私の一番好きな記憶は私が寝ているお布団の横で母が編み物をしている姿です。実家は自営だったのですが、冬は閑散期で比較的、日中は余裕があります。私の寝ている横にずっと母がいる、その光景が頭にこびりついて離れません。 

先日、以前の家に用があって往復2時間ほど車を運転したのですが、私はその間、たった1曲を延々リピートして聞いていました。私には昔からそう言う傾向があって、とにかく好きな物はエンドレス。何度も何度も繰り返すのでそれが定着します。たぶん幼い頃の記憶も良い事も悪い事もとにかく反芻しつくして定着させてしまったのだと思います。

そうして、私は自分が病気になった時、病気の時だけ優しい母の姿を何度も何度も思い出します。一晩中、足をさすってくれたこと、お布団を何度も掛け直してくれたこと、すりおろしリンゴを作ってくれたこと・・・ いつもいつもそうであった、と思うのですが、本当は私は我慢強い子で寝付くことがなかったので数少ない思い出を何度もリピートして「常にそうであった」と思い込んでいたのかもしれません。今までも時折、書いていますが上の妹とは子供の頃からあまり相性がよくありませんでした。でも、この妹はかいがいしく世話を焼くタイプで、たぶん里帰り出産で家に戻っていた時に、それこそ一晩中背中をさすってくれていたように思います。(下の妹は身体が弱かったので周りが世話をする方だった) とにかく、私にとって病気で寝込む、と言うのは滅多にない事で、そう言う事があったら家族が身を挺して面倒を見てくれていたイメージです。

 私はいつしか知らず知らずそう言うものを夫や娘に求めていたのだと思います。

でも、私が「痛い」とか「調子悪い」と言うと夫と娘は「普段の生活が悪いせい」 「ちゃんと姿勢を直せ」と言う感じで「原因分析」と「提案」をするのです。それだけで終わるのです。

私は今回先生のセラピーを受けてここ数日の体調不良に対して家族から 「大変だったね」 「大丈夫?」 「何がしてほしい?」と言う言葉を掛けてもらいたかったのだ、と気が付きました。

もちろん、夫も娘も心配はしてくれていたのだと思います。でも、多分私が一番欲しかった「優しい言葉」を掛けてはくれなかった・・・ 

むかし「生徒諸君!」と言う漫画で岩崎君がお正月だったか何かでご馳走を食べ過ぎて苦しんでいる時にナッキーをはじめとした悪たれ軍団は彼に「自業自得」とか「意地汚い」とか言うような言葉を投げつけたのですが(愛あるイジリだと思います)、その時、初音ちゃんだけが彼をかばって「でも、かわいそうだよ、痛いのに」と言うようなことを言ったことがあります。私はこの初音ちゃんがすごく苦手なタイプだったのですが、この時の彼女の言葉は本当に衝撃でした。

これをずっと覚えていられたら娘が「辛い」と言っている時に「もっと大変な人がいる」とか「みんな乗り越えて来た」と言わずにすんだのかもしれません。でも、私は本心から彼女のような「愛」の人ではなかったのです。そして、自分自身がそうでありながら、家族に対して寄り添ってくれないと不満を持っていたわけです。

今回、私の後に夫も娘も二人とも体調を崩した時に、私が普段から言っている「痛い」「苦しい」がどれほどのものか思い知ればいいと黒い気持ちになったとセラピー言ったら先生は「それは裏を返せば自分をわかってほしいと言う訴えなのでは?」と。

そしてコロナワクチン接種後の不調から2年、少なくともこの1年は同じ漢方の先生に掛かっていることについても、本来の白か黒かすぐにでも結論を出したがる私が「あいまい」な診断のお医者さんについていっている理由も、セラピーの先生は私が「本当は薬も医者通いも辞めたいのだけど、先生が優しくて丁寧に話を聞いてくれるので」と言ったところから「ストローク不足」と言う説明をしてくれました。「そもそも体調不良だと、自分で調べたり、ネットで検索しまくっているでしょ?」と先生。「病気を探しているんですよ」と。 

今までの話を総合して、私には子供の頃から「健康であれ」と言う禁止令が発行されていて病気であったり、体調不良になることを許さないできた。でも、その一方で病気になることで周りから心配されたり、やさしくされた記憶もある。子どもの時の母のように妹のようにずっと自分をいたわってくれる事を夫(娘)に求めているのに、そのストロークがない。ストローク不足。それがここ数日、しんどかった理由かもしれない、と。

治してもくれない医者でも、やさしいストロークを返してくれるところに通い続けている、のがその証かも知れません。

実際、今までの不調を検査しても検査結果としては「問題なし」でワクチンとの関連にしても「不明」で医学的には私の症状なんて誰も認めてくれません。

私は必死になって、なんとか自分で病気を見つけようと(作り上げようと?)しているのかもしれません。もう20年以上昔、神経内科のお医者さんに「あなたは『ストレス製造機』です」って言われたことがありました。このお医者さんも私の不調を直してはくれなかったけど、でもいつも長々と話を聞いてくれました。私だけにではなくどの患者さんに対してもそうで、大学病院で予約で行っているのに予約時間の2時間後にやっと呼ばれるってのもザラでした。さすがに拘束時間が長過ぎてしんどくなったので途中で行かなくなってしまいましたが、それでも半年間毎週通っていました…

そう言ったことを思い出して、私はいわゆる「かまってちゃん」なんだな、と思います。

必死になって「かまって」「かまって」「わかって」「わかって」って喘いでいるのに、その言葉を発していないので届かない、通じない・・・だから余計に悲しくて辛くて その「悲しみ」を「怒り」で表現してしまいます。

12月にカウンセリングを受けた時に先生に「あなたは本来『愛』の人なんですよ」と言われました。

霊視の先生と話した時にも「私は自分の事しか考えていな自己中な人間で」と言ったら先生は「人間なんて全員自己中ですよ。自己中で当たり前なんです」と。

セラピーの先生は「今まであなたと接してきて一度も自己中だなんて思ったことはないですよ。いつも家族や周りの事ばかり優先している」と。

でも、私が家族や周りを優先するのは単なる自己満足なんです。その自己満足に対して見返りがないと嘆くのはやはり自己中なのではないのでしょうか?

 

こうして書いてみると、私はいつの間にか家族以外の人には「助けて」のサインを発していて?それが通じています。そしてたくさんの「ストローク」をもらっています。

でも、セラピーの先生からすると「本当に欲しいのは夫からのストロークでそれがもらえないから悲しい」のだそうです。私は夫に対して意地悪で手厳しく冷たい態度を取り続けてきたと言う自覚はあります。でも、先生はそれを「夫に対する甘え」なのだと言いました。

私はずっと甘やかしてくれる存在を求めてきたのでしょう。

夫は4歳年上です。だから当然、自分より大人で自分を甘やかしてくれるものだと思っていたのかもしれません。

 私は長女だったのでいつも妹たちのお手本でいなくてはいけませんでした。私がミスをすると母は妹たちを巻き込んで「本当にお姉ちゃんて…」と責め立てました。それでいながら明らかに妹が悪くて母に叱られていたのを見ていたら「おまえはお姉ちゃんのくせに妹が叱られてるのを黙ってみているだけか! 一緒に謝ってやろうと言う気もないのか」と言うようなことを言われました。その時本当に理不尽だと思った反面、自分が長女としていたらないのだ、思いやりややさしさのない人間だと言う事も理解しました。今も、自分は「姉として」(年長者として)下の者のお世話をしなくてはいけない気がしています。でも、本心ではないので偽善者な自分が嫌いになります。

夫と結婚する前に好きで好きでたまらなかった相手がいます。一つ年下でした。結局、無意識に私はその彼のお世話をする自分がしんどくなっていたのかもしれません。

その当時から自分に自信がなかった私は本当は嫌な奴なのに人に「いい人」と言われるのがしんどくて、そんな思いを飲み会の席でポロっと零した時に、その彼が言ったのです。「でも、僕もあなたは本当にいい人だと思いますよ。だって本当に嫌な人間だったら、ほくそ笑んでるはずだから。それを心苦しいって感じるのはとても真面目で真摯な人だからだと思います」と言うようなことを「年下」の男の子に言われたのです。それでノックアウトです(笑) 彼は私の言ってほしかった言葉を言ってくれた…… そうしてその時のことも何度も何度もリピートしたおかげで、彼に対する思いは45年近くたっても色あせることはありませんでした。

別れる原因は私が「終わり」が怖くなったからで不器用なまま逃げてしまいました。

たぶん、あのまま付き合っていてもいずれ別れは来ただろうし、その時にはもっと嫌な思い出ばかりになっていたのかもしれません。もし、仮にそのまま付き合って、結婚と言う事になっても、やはりうまくいかなかっただろうと言う予測しかありません。

彼は大人だったけれど、でも大人ぶっていた子供だっただけなので。もちろん、その時の私もかなり子供だったと思います。すべてが淡いおままごとの世界の都合のいい思い出です。

結局、私は私を甘やかせてくれる相手には恵まれなかったのでしょう。

一見、夫は私を甘やかせているように見えます。いつもいつも言っていますが、「仏様のようにいい人」ってみんな言います。

でも、それでも「欲しかったもの」はくれなかった・・・

 

先生に「自分で自分にストロークを与えてみませんか?」と言われました。

自分を癒す術を自分で見つけなくちゃいけないようです。

前回のセラピーで宿題として出されたのが「私は愛の人です」と言う言葉を唱える事でした。

かなりしんどいワークですが、試みることにしました。でも、これはその1週間後のインフルでダウンしてから途絶えたままです。

私は「愛」と言う言葉が嫌いです。と言うか苦手です。特に自分に対して使うものではないと思っています。

実は同人活動で恋愛小説を書いていた時も、どうしても「愛している」と言う表現はできませんでした。ブームになって知ったのですが、夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳した気持ちがわかります。私にとってもたぶん、それが精いっぱいだと思います。

私にとって究極の愛の表現は 「あなたは大切な存在なの」=「愛しています」です。

だから逆に相手から「好き」と言われるよりも「あなたは私の大切な人」って言われる方が幸せに感じると思います。そう「大切にされたい」です。それこそ「寄り添ってほしい」って事なのかもしれません。

たぶん、夫から私の望むストロークはかえってくることはないでしょう。

だから、先生は「自分で自分にストロークを与えなさい」と。

褒められるのは嫌いです。相手に本当の自分を知られて幻滅されたくないから。さらに相手の期待に応えなくちゃいけないと無理をして自分を追い込んでしまうし、自分の定めた目標に到達できなくて自信喪失、自己嫌悪に陥るから。

好きって言葉も同じように感じるのかもしれません。いつか嫌われてしまう、と言う恐怖。

そんな風に他者に依存ばかりしているのはしんどいです。

だから自分で自分にストロークを与えて、自分を癒すように、と今回のセラピーで言われたことは本当に腑に落ちました。

 

自分が打ち込めること楽しめる事、それをもう一度思い出すと、たぶん何かしらの手芸に落ち着くのだと思います。

中学生の頃、友達に頼まれて作ったマスコット。子どもたちのために作った服や小物。

そうだ、思い出せば小学校の時からリカちゃんの服を作ったりしてたんだ。冬には家族みんなでこたつに入って編み物してたっけ・・・

大人になっても簡単な洋裁やパッチワークやレジンやクロスステッチや天然石を使ったアクセサリーや小物づくりも時間を忘れて取り組んでいたなぁ・・・

材料は全て今も「前の家」に残ったままです。

捨ててしまってもいいのかと思ったりもしたけれど、もう一度取り組んでみようと思います。

胃腸風邪?

今年の幕開けは散々だと書きましたが、5日の夜に娘がトイレでガタガタしているのが聞こえてきました。

しかし、以前、過食嘔吐をしていた娘なので、下手に刺激をしてはいけないのではないかとあえて気が付かないふりをしました。

翌日は土曜で9時過ぎても10時過ぎても起きてきません。娘は仕事のある時は7時に起きますが、基本お休みの日は下手すればお昼まで部屋から出て来ないこともざらです。なので、放置していました。そして10時過ぎに何気なくスマホを見たら娘から大量のラインが・・・

慌てて飛んでいくと、吐き気と腹痛と頭痛でへこたれていました。ちょうど私がインフルでダウンして動けないので家族に必死でラインをしても気が付いてもらえなかった状況と同じでした。

実は私は家ではほとんどスマホを見ません。特に今回は家族全員家にいたのでどこかから連絡があるなんてこと想定もしていませんでした。以前、お嫁さんには「スマホは見ないことがあるからイエ電に電話してね」と言ったことがあるので、お嫁さんは私のラインが既読にならないとすぐさま夫のライン、娘のラインと送って、それほど間髪を入れずにイエ電を掛けてきます(笑) 大抵の場合「明日、泊まりに行っていいですか?」なので、すぐさま結果が知りたいのでしょう。今までだったらラインが通じなかったらお互い放置で終わっていたのに(笑)

それはさておき、結局娘は5日の夜、夜中、そして6日早朝に胃痛と嘔吐に苦しんでいたようです。私が気づいたのが夜、そして夫は夜中にトイレに行く娘に気が付いてたようですが、それぞれ1回ずつだったので、それほどひどい状態だとは思いませんでした。

結局、6日は娘はスポーツドリンクと白湯だけであとは丸々一日寝て過ごしました。あ、無理やりすりおろしリンゴ1/4個分を食べさせました。お正月に実家に行った時に貰ってきたリンゴが当て助かりました。めんどくさがり&ケチの我が家ではフルーツは滅多に食卓に上がりません(笑)

6日の午後になって夫が「気持ち悪い」と言い出しました。実を言うと体調不良は私が一番最初で4日の段階ではもうすでに胃の調子が悪く、珍しく食事もほとんど食べれない状態でした。5日になり、少しはましだけど、でも食欲がないと言うか、味がおいしく感じられないとかグダグダ言っていました。で、最後が夫で6日の夜に嘔吐してそのままダウン。結局7日の日曜日は三人そろってダウン状態でした。とは言え、娘は起き上れるようになっていたし、私が一番元気と言えば元気状態で、8日の祝日は二人とも仕事はお休みでしたがベッドに臥せっていました。仕方なく私が二人が図書館で借りた本をチャリで15分走って返してきました。

娘は今日から仕事に行きましたが、夫は体調が戻らず、急遽リモートワークに切り替えました。

私が5時起きでお弁当を作っているとリモートにする、と言ってきました。娘は前日から「お弁当を食べれるか心配だからなくていい」と言っていて夫は「普通に作ってほしい」と言っていました。

娘は乾燥した「そば粥」の素を持って行って即席おかゆにして食べると言っていました。私もインフルの時にお世話になって助かったものです。夫にも何度もお弁当が食べれるのか?と聞いたのに、普通でいいと言ってたくせに・・・

おかしなもので、子どもが体調が悪いとか、急にこれが出来なくなったとか言い出したら超心配するのですが、夫が体調不良だと腹が立つし、洗面所で嘔吐したこともメッチャ腹が立っています。洗面所とトイレは本当にすぐ近くです。無理やり抑えてでもトイレに吐けよ!って思ってしまいました。少なくとも私や娘ならそうすると思います。でも、夫は洗面所で吐きました。とりあえず水を流していましたが、ハッキリ言ってヘアキャッチャー?はそのまま。なので、そこと周りも全部私があらためて掃除する羽目になりました。普段からそう言う最終段階の掃除とかをしたことがないから簡単に洗面所に吐けるんだな、とちょっとムカつきました。しかも吐いてぐったりしているならまだしも「吐いちゃった」とか言ってるし、水を流してからはリビングで座ってるし・・・ 

さらに、朝早く起きてお弁当を作っていたら「やっぱり、今日はリモートにするからいらない」と言われたのも体調が戻らない心配よりも先に単純にムカつきました。

実は私もお正月休みの間、確かに途中で目が覚めることはあったけどそのまま目をつぶったら6時半とか7時まで普通に眠れて幸せ感いっぱいでした。体調が悪いから眠れてるのかも、と思いましたが、本当に長く続く寝不足状態が補われて幸せでした。でも、今日からはお弁当作りで・・・また5時起きかぁ・・・とちょっとがっかりだったんです。夫がいらないと言ってくれてたらあと1時間は眠れたのに・・・ 

ホンット、これが子どもだったら心配だけで終わりなのに・・・ 夫のやることに関しては腹が立つって、どんなんでしょ・・・

 

さてそんなこんなで3日ほど家族全員グダグダしていたおかげでご飯の支度をしなくて済んだのが本当に幸せでした。私にとって家事はやっぱり相当なストレスのようです。

お正月明けてから1日は実家で食べまくり(思えばこの日の暴飲暴食が起点かも)。2日はお節の残り、3日は初もうでに出かけてお寺でお時のついたご祈祷を受けました。なので夜は軽く済ませました。4日はお鍋。5日にやっと普通のおかずを作ったけど、6日、7日はほとんど何もなし。(私はここらあたりから朝は納豆ご飯、昼はインスタントのうどんを食べていた) 8日はみんな何とか食べれると言ったけど湯豆腐とお粥のみ。(図書館の帰りにスーパーで焼き芋1本を買って3人でわけたらおいしく食べれたと言っていた)

そして今日もお粥と湯豆腐。一応、蒸野菜(ニンジン、ブロッコリー、ナス、さつまいも)を用意してみましたが、果たして?

 

確かに、何もいらない、勝手にやるからいいよ、と言う家族の言葉を素直に聞かずに一人で空回っているだけなのですが

でも、何かの役には立っているんじゃないかと、また承認要求にかられて頑張ってしまいます。