体調が良くなってきた

気候が良くなったせいか、様々な自己啓発?が効いてきたせいか、かなり体調が良くなってきました。

ほぼ毎日おこもり生活でしたが、この5日の間に3箇所で先生方からいろいろな啓蒙を受けました。

まず、膝の痛みで通っている怖い整体の先生。

膝の治療は1回目でかなり改善し、2回めの前にうっかりまたウォーキングをして足を滑らせて痛めたところを再度痛めることに・・・ 2回めの後は先生の都合で10日位お休みだったので、その後、どうするか迷って2週間後に行ってきました。ここで膝はかなり良くなったのですが、前々から気になっていた右肘と左の肩の調子が悪かったので4回目に出かけました。

その時に、先生がおっしゃったのですが「人間の脳は勝手な思い込みをする」と言う話でした。整体ですのでよく交通事故などでムチウチになった人も来るようです。

先生はそういう人にも厳しいです。「自分で金槌で手を打ったとする。しばらくすると自然に治る。でも、もしそれを他人にやられたら中々治らない、と言う」 たとえ、それが物理的に同じ力であったとしても、だそうです。その最たるものが交通事故の被害者になったときのムチウチだと言うのです。相手がいるから相手を責めているうちは治らない、と。「人間の脳なんていくらでも騙せる」と

それから私の膝や腕も「痛みを治すのなんて簡単。使わなければいい」だそうです。

痛いのに無理して使うから治らない。無理してウォーキングなんかをするからかえって悪くした・・・と。 でも、主婦は家事とかしないわけには行かないんですよ・・・

「何が何でもあんたがやらなくちゃいけないわけでもないだろうに」と

 

心理学の講座。人生脚本の話。私達は子供の頃、親や周囲に言われたことで無意識に自分の人生の脚本を作り上げている、と言う話でした。

私にとって一番多かったチェックは「完全であれ」でした。これはエニアグラムのタイプ1を自覚しているので正直、「またか」の気分です。あとは「他人を喜ばせろ」と「急げ」

そして「一生懸命にやれ」も多かったです。強いて言えば「強くあれ」だけがちょっと少ないけど、他のメンバーが一番多い、と言った数が私の一番少ない、と殆どかわりませんでした(笑)

そして私の中の禁止令は何か、というのを見ていくと「おまえであるな」と言うのが大きいと思いました。

これはちょうど、耳鼻科の先生の特殊外来で判明したのと一致しています。

と言うか、どちらかが先にあったので、整合したのかもしれませんが

私はずっと3姉妹の長女として「跡取り」と言われてきました。「おまえが男の子であったら」と。前にも書いたかもしれませんが、母が子供の頃から父に対する愚痴として

「おまえが生まれた時のお父さんの第一声は『なんだ、女か』だった」と。

これを母が幼い私に言い続けたのですから、私は自分が生まれた瞬間から「間違っていた」のだと自覚しても仕方ないと思います。ましてやエニアでは持って生まれたタイプと言うのがあって、それが私の場合はたまたまタイプ1であったのが悲劇です。そう、タイプ1は完璧主義で物事を善か悪か、1か0かで判断するタイプです。そしていつも正義を振りかざします。何が怖いって自分が間違えることが一番許せないのです。

その私を生まれた瞬間から「間違っている」と世間が糾弾し続けていると感じていたのでしょう。それはそれはしんどい日々でした。もちろん、それをハッキリと意識するようになったのは思春期の頃、中学生くらいだったのだと思います。

あれから45年・・・ 私の人生にはずっと、その思いが通奏低音として流れています。

心理学の先生は「周りからの働きかけがあったとしても、実際に人生脚本を書いたのは自分です。だから自分で、今からでも書き換えることができるのです」と

ここで怖い先生の「人間の脳はいくらでも騙せる」と言う言葉と繋がりました。それは耳鼻科の先生にも似たようなことを言われました。

「とにかく、どんなことでもいいから『良いこと』を書き出してそれを現実だと受け入れるようにしなさい」と 「たとえ、嘘くさいと思ってもいい。何にでも二面性がある、悪いことも裏を返せば良い面がある、それを記録していきなさい。ただ、ひたすら書きなさい」とそうすればそれがいつか、本当の思いになる、と

以前、彼には「あなたの親がいくらあなたを男の子が良かったと言ったとしても、あなたをあなたのままに望んでくださった大きな存在がある。だからあなたはあなたのままで完璧なのです」と

ここでも、私の完璧主義を見透かされていました。私の場合は「完璧でありたい主義」であって、本当に完璧を目指して努力ができる人間でもないので、自分を完璧主義とは思っていませんでした。完璧にしたいのにできない中途半端な人間、と言う認識です。

でも、それも心理学の先生には、それすら思う必要がない、と。「嫌なことはやらない」のスタンスでいいんじゃない? と。これも整体の先生の言葉とリンクしました。

耳鼻科の先生にも「娘が羨ましい」と言う話をしたときに「なぜ?」と言われたので、つい「自分の気分次第でやりたくないことをやりたくないって平気で言うところ」って答えてました。

そっか、私はタイプ1の性質で「あれもやらなくちゃいけない、これもやらなくちゃいけない」 「私は妻として母として主婦としてこれをするべきだ」とムキになっていたんだな、と。

やりたくない、と言ってやらずにすむなら、やりたくないよ!!

って泣き叫びたいのを抑え込んでいたんだな、と。

でも、結局、「やりたくないから やらなかった」と開き直ってしまったら「自己嫌悪」の方がしんどくなります。

だから、結局、自分の心の安定のために、やりたくないことをやり続けるのです。

 

昔、木原敏江さんの「摩利と新吾」の中で私の愛する摩利さんが、愛する新吾が恋をしてその恋のために、それまでの人生を捨てて出ていこうとする時、摩利さんは「ここで泣いて『行かないでくれ』と言えるならバカらしくて、とっくの昔に鷹塔摩利なんかやってないよな・・」って言うセリフがメッチャ好きでした。

ああ、これが摩利さんの生き様なんだ、と。

でも、考えてみればこれってカッコいいか悪いかの違いはあっても、私が私でしかいられない状況と似ているのかもしれないと。

私は自分でしかいられない自分を嫌悪しているけれど、でも、そっか少なくとも心理の先生は「それでも頑張っている」って認めてくれているんだな、と。

もちろん、私が摩利さんの生き方を真似できないと思うのと同じように、私のような生き方を彼女らがしたいとは思わなかったとしても、でもその人の生き方を「理解してくれる人がいる」ということ。

そして、私が今の自分と違う選択したとしても「新しい人生脚本を書いてみただけ」の事で自分の人生に対する「裏切り」ではないこと

 

心理学では私はCP(Contorol Pearent=支配的な親)が高く、FC(Free Child=自由な子ども)が低いと言われました。

だからFCの部分を伸ばすといいのですよ、と。

FCはまさに やりたくないことは「やりたくないも~~ん」って言っちゃえるようなタイプです。

タイプ1の私が目指すのはタイプ7「楽天家」です。

 

もう、笑っちゃうくらいにハッキリと私の進むべき道は見えています。

・・・と言いながら、やっぱり「進む”べき”」って書いちゃっていますが・・・

 

2月以降、体調が悪くてしんどくてダラダラしていました。私はそれに対して自己嫌悪でいっぱいでした。

今も仕事を辞めて家にいるだけの穀潰し状態に罪悪感を感じています。

今までの私だったら、たとえ病気であってもやるべきことはやらなくちゃいけないと思っていました。

でも、「結局、あれは本当に病気だったんだから仕方ない」と思うことにします。

 

そして、体調が戻ったこれから先も「頑張って」あれこれしなくても、「ま、いっか」って思うことにします。その時にやっぱり、つい「今まで頑張ってきたんだから」と言い訳したくなりますが

FCで言ってみたいと思います。「だって、やりたくないんだも~~ん!!」って(笑)

 

おお、気がついたら2時間もこれを書くのにかかってた!

すごいじゃん、あっという間に時間が過ぎたぞ!!

 

実はこんな書きなぐったような文章でも「書いては消し」「書いては消し」の連続だったのでした(笑)

これはもう、私らしさ、と言うしかないね