やっぱり

お正月以来 ナシのツブテだったお嫁さんからラインが有りました。

確か次の通院は3月だったな、こちらから連絡するべきかしら? と思っていたのですが、まあ、たぶん、お願メールがあるだろうな、と。それまでこちらからは我慢してました。

心配性の私は本当だったらせめて月に1回位は連絡がほしいのですが、迷惑かもしれないと遠慮していました。

今までに何度も痛い目を見ているので、基本、相手からアクセスがない限りはこちらからはアプローチしないスタンスにしています。

でも・・・本当は寂しい

息子とは決別するつもりだ、とこのブログを立ち上げた時に決意してたはずなのですが

でも、本当は気持ちを察してほしい。

家にいたときだって特に話をしたり一緒に何かをしてたわけではないのですが、でも私は本当は家族で出かけたりしたかったのです。

息子がオトナになって、子離れをして距離を置くのが良い親のつもりで

それまでだって少しも良い親だったわけでもないのに

すっかり疎遠になってしまいました。

毎日毎日毎日、私は家族のことばかりを考えて1日が過ぎます。

息子は結婚して家を出ているので、彼のことを心配するのはもう私の役割ではないけれど、それでも心配ばかりしています。

それが私にとっては唯一の愛情表現だったのですが

結局、誰にも私の思いは届かなかったのだと思います。

言いたいことも言えず、言わないくせにわかってくれないと怒り狂って、結局、家族から疎まれているんだな、と。

 

今回連絡があったのはお嫁さんからで、お嫁さんからの頼み事です。

息子からは何の連絡もありません。

お嫁さんと話をすると「息子くんから聞いているかも知れないですけど・・・」と切り出される話は毎回、何の連絡もないことです。東北への転勤の話(時期、期間も含め)、盆の帰省の話(来るつもり、来れなくなった話)、東北から帰る時の話、その後のお正月のすごし方などなど

結局、去年の4月、転勤する前に1時間くらい顔を出しただけで、その時にお嫁さんが5月に再手術になったので、その後のがんセンターへの送り迎えを頼まれました。その前の12月にがんの報告はお嫁さんから私のお誕生日おめでとうメールのついでにありました。その時に私から「手が空いているから病院の送り迎えはできるよ」みたいなことは言いましたが「毎回」だとは思っていませんでした(笑) 結局、コロナの不安があったので、この送り迎えのために私は仕事を辞めたと言うのが真実です。

でも、息子からの労いの言葉は、私からすれば「おざなり」に感じました。だって、年末年始、我が家に顔を出したのは年末1時間位と年明けに30分くらい。お嫁さんは我が家から車で10分くらいの実家にいたはずですが顔も出しませんでした。夜おそくまで何某かの用で出かけられる体力はあります(3回位、送り迎えを頼まれてした・笑)

こちらからの あけおめメールの返信だけで終わりではなく、せめてお正月くらい顔を出してほしかったな、と言うのが本音です。

ついでに息子は年末年始は向こうのご両親と一緒にゴルフに行くとか言っていました。

お食事にもしょっちゅう行っています・・・ お父さんが社長さんなので美味しいお店を知っていてあちこち連れて行ってもらっているようです。会話もないし、お酒も飲めないうちのパパや無愛想な妹やウルサイ母親と一緒よりは楽しいのでしょうね・・・

私の妹からも「相手の家でかわいがってもらえてるんなら幸せだよ」って言ってもらって諦めてますが 本当の本当は 寂しいです。

でも、我が家ではやっぱり「寂しい」と感じるのは私だけのようです。

昔、山岸凉子さんの「アラベスク」という漫画に

「テナンは愛する時と憎んでいる時の表情が同じだったのよ」と言うセリフがあったのですが、私もそのタイプなのかも知れません。

だから、私の愛情は家族には伝わらなかったのだと思います。

もしも私がとっとと死んでしまったら、夫は平気で再婚してただろうな、って思います。とても優しい人だけどやっぱりどこかドライなんです。

夫に対して、私がどれだけ怒りや悲しみや失望を感じていても、私は最終的に夫の最期まで看取るつもりでいます。それはおそらくは愛情というより恩義だとは思うけれど

私は家族に対してはやっぱり絶対に見捨てることはできないのです。夫のことも娘のことも息子のこともそして縁あって娘となったお嫁さんのことも。苦手だから、と言って手を抜くことはできないし、むしろ、自分を犠牲にしても相手を優先するでしょう。

でも、でもね、私の心は寂しさでいっぱいなんです。

それだけはわかってほしい と そう思います。