残り時間

私は30年ほど前に保険のオバサンをしていたことがあり、自分の成績のためにいくつかの保険に入っていました。

それがちょうど60歳で満期を迎えます。一つは終身保険バブル崩壊直後だったので、まだかなり利率の良い時代でした。個人年金もしかり、です。

ただ、当時の設計書を見ると、たとえば年金の場合、私が入ったのは 年60万円の10年確定年金でした。支払ったお金はざっとで260万円くらい。で、トータル600万円が戻ってきます。

今で言えば、それだけでもすごいのですが、設計書の試算では60万に利息がついて96万ほどになる、と言うものでした。つまり260万が1000万弱 おおよそ4倍になる、と言いものでした。

実際にはその後、金利がほとんどなくなり配当金が一切つかなくはなりましたが、保険の額面の60万だけはちゃんと貰えるはずです。

終身保険は自分が長生きするだろうと踏んで、掛け捨て型の保険に比べれば相当に高い保険料を払い続けました。もちろん保険ですから死ななければ手に入らないのですが(笑)

一般的な保険は大抵の場合60歳くらいで大きな保障はなくなります。父の場合は53歳で亡くなったので満額もらったようですが、そもそも健康に自身のある人だったのでさほど大きな保障には入っていなかったし、新築して10年ほどだった家も見栄っ張りな父はローンを抱えているのが嫌で一括で返してしまっていました。父が亡くなった時母はまだ40代だったし、末の妹もまだ未婚でした。なので父の遺産はその後の生活費等できれいに無くなったようではあります。

あ、保険屋さんの常套手段でしょうが、父の保険金の一部を母の保険の全期前納に当てて数百万を使いました。実はこれも終身保険です。母がその後、それを解約したかどうかはわかりませんが、いやらしい言い方をすれば80を過ぎた母が亡くなったときには私達三姉妹が数百万程度の保険を受け取ることができると思います。母はお金がないのが悲しい、と言っていたので私と真ん中の妹は、その終身保険を解約すれば、おそらく1000万やそこらは解約金があると思われるので(でも、私の年金同様、利息がついていないとは思う) それを使ってしまえば良いのでは? と。昨今はお葬式と言ってもたいしてお金はかからないようですし。

父が亡くなったときは、父の友人が葬儀屋さんで、祖父が亡くなったときに世話になっているのですが、(その時は父が見栄を張って大規模にやりました)その規模でやらなければかわいそうだ、と。で、押し切られて(葬儀のときにゴタゴタ検討する余裕もない)かなり派手な葬式になりました。なにしろビロードばりの棺桶だけでも50万だった、と母が嘆いていたので総額たるやいかがか、と。(田舎なので三弔いと言ってお坊さんも3人呼ぶ)

とにかく葬式はお金がかかると母が大騒ぎしたので、その後すぐに私は互助会に入ったくらいです(笑)

義祖母、義母が亡くなったときは家でやりましたが、田舎なので祭壇はその地域が所有しているものを格安で借りられたそうです。義父のときは家族葬、と言う名目で葬儀会館でやりました。正直、田舎のお葬式ってホンット大変です。私は本家で育っているので祖父母と父の葬式とその舞台裏を知っていたので良かったけれど、街で育った人だったら大変だろうな、と。

でも昨今の簡略化はありがたいと思いました。義父のときは本当に楽ちんだったなぁと。

私達夫婦と義姉夫婦がお通夜のあとに葬儀会館に泊まり込みましたが、お線香当番も今は長時間のろうそく線香があって、一晩中起きていなくて済んで、寝泊まりする場所もなんていうかホテル並みで着替えとかもバタバタしないですんだし。

義祖母の時は私は臨月の主婦でした。今から思えば列席を免除してくれても良かったのでは?と思います。なにしろ、とんでもない大雪で、霊柩車が雪で立ち往生し、救助に向かったレスキュー車も田んぼにハマり、斎場の閉館時間が迫るので結局、ワゴン車を借りてきて運んだ、と言うくらいの状態だったのです。私は大きなお腹を抱えていたので、夫の親戚に心配されました。でも、心配してくれたのは親戚と言っても義祖母と直接血の繋がりのない人たちだけでした。 義父の兄弟のお嫁さん(叔母さん✕3)と義兄嫁のお母さん、夫のいとこ妻数名。

そもそも私は次男嫁だったし息子は1歳10ヶ月でした。

その心配してくれた叔母の一人に「ちゃんと鏡をお腹に入れている?」と言われてわけが分からず????だったのですが、その人が慌てて腹帯の下に手鏡を入れてくれました。

なんでも妊婦のときに葬式に出るとお腹の子に茶色いあざができるからそれを跳ね返すために鏡を入れておかないといけないんだそうです。そんなこと全く知らなかったのですが、まさに偶然かどうかわかりませんが娘の腕に生まれつきの茶色いアザがあってちょっと落ち込みました。茶色というよりは赤いアザもあります。これは臍帯がまきついいていた痕だと思います。この子は何度も逆子になって逆子体操をやっていた覚えがあるので。

いずれにしても、後々、この娘の腕と足のアザを見ると、迷信とは言え臨月の妊婦を真冬の通夜、葬儀に出席させた義母を恨めしく思いました。田舎だったので自宅での葬儀で義母のとき(1月)もそうでしたが一晩中付き添っていました。なかなかにしんどかったです。

そう考えると義父のお葬式は本当に簡単で良かったな、と。お値段もぶっちゃけると100万程度でした。

家族葬なので、兄弟(9人兄弟のうち生き残っていたのは5人)と子供だけ、と言い張っていた義姉夫婦の意図に反して? 当然本家なので、兄弟が亡くなっている家からはその家の跡取りが来てくれました。義母が先に亡くなっているので義母の兄弟には連絡しない、と義姉が言い張って連絡しなかったのですが、義母の姉の旦那さんも来てくれました。その時の義姉の信じられない言葉が「呼んでもいないのに伯父さんが来た。おときはどうするんだ」でした。

おときとしてお寿司を用意していましたが、大皿でいくつかのテーブルを用意していたので、適当な所に座ってもらえばいい、と夫がいい「もしも足りなかったら私達夫婦は結構です」と。

結局、お通夜の場でガツガツ食べる人もいなかったし、十分すぎるくらいでむしろ余ったんですけど・・・ なんだか、義父の葬儀の時の義姉夫婦のことを思い出すたびに腹が立ってきます。その時に、義姉から聞いた昔話が常軌を逸していたし・・・

まあ、書き出したらきりがない義姉の話はもうやめておきます。

 

さてさて、また何を長々思い出しているのかと言えば

葬儀なんてイマドキは簡単にしてもいいんだな、ということ。昔は葬儀でもめないことはない、と言われていましたが(私も親戚やご近所関連の葬式に出て、驚くようなケンカをいくつか実際に見聞した) 葬儀会館に任せてしまえばそういう不手際も責任転嫁できるし、そもそもイマドキは花の順番だの、焼香の順番などであまりギャアギャア言わない気もするのですが・・・

義祖母の時に義祖母の実家の跡取りが、義祖母の子どもたち(義父を筆頭に9人)より後だったと言って暴れた・・・ 義祖母がその実家から嫁に行って80年過ぎてるんですけど・・・ 義祖母にならって義父を筆頭に9人の子どもその段階で夫婦ともども全員、健在だったんです。なので、ちょっと後回しにはなるけれど 普通なら実子たち先でいいんじゃない? でも、その人からすれば、どうやら嫁に行った娘たち(4人)よりは本家の跡取りが先だということらしい・・・ まあ、めんどくさかったです。

いや、昔話って書き出したらきりが無い(笑) 今でこそ笑い話だけれど、本当にしんどかったこと辛かったことたくさんあったなぁ、よく我慢して乗り越えてきたなと思うこともたくさんありました。

35年だものね・・・

そう、35年て長い。いや、でも あっという間と言えばあっという間。

父が亡くなった年をとうに過ぎ、父方の祖母が亡くなった年にもう後数年。祖母が亡くなった時私は8歳でしたが、祖母はしっかり「おばあちゃん」でした。あの祖母の年に追いついてしまいます。ちょっとショックでした。

義母が亡くなったのは77歳だったので、その年まで、と思ったら20年ないんですね。

今の母の年まで、と思っても25年。平均余命をザラッと調べたら 残り30年。

え? たったそれだけ? だって30年なんて簡単に遡れるんだもの

母はありがたいことに今のところまだボケてはいないようですが、65歳で商売を畳んでしばらくは喜んで旅行に行ったりしてたけれど75歳ころにはもう、あまり出歩きたくない、と言っていました。私もここのところの急激な体調不良に、元気で外に出られるのは これはあと15年位かも知れない、と

義父も75歳まで仕事をしていましたが仕事を辞めてからは体力的に急激に衰えた気がします。それでも田んぼと畑があったので気を張ってはいたのでしょうが、90歳を過ぎた頃から認知症の症状が始まり、96歳で施設に入り100歳でなくなりました。

もちろん90までピンシャンしていられるのなら御の字でしょうが・・・ とてもじゃないけれど私達とは鍛え方が違います。

結局、私自身はバリバリ動けるのはもう残り10年か15年なんだろうな、と。

子どもが手を離れたら好きなことをしよう! て張り切っていた10年前。まさかの娘のメンタル崩壊でこの10年は本当に地獄でした。

一番しんどかったのは娘が不安定であると同時に息子が結婚してトラブルになった6年前です。娘が落ち着いてきたのがここ2~3年。でも、そのあたりから私の体調が不良になり、この1年はコロナに翻弄されてヘロヘロ状態。このコロナ騒動もまだあと1年は収束しないみたいです。

(テレビでインドの預言者の少年がコロナの終息は11月、と予言していると言っていた)まだ8ヶ月は不安な中で時間を無駄にしてしまうのか・・・

そしたら残り15年の 1/15を無駄にしてしまう!!!

これは不味いです。本気でヤバいです。嵐が過ぎ去るのを待っている場合ではありません。

 

暖かくなったら、と言うヌルい予定をもっときっちりとした目標を決めていい加減、動き出さなくちゃ!! モタモタしている時間はありません。