ご近所さん

今のところへ越してきてもうすぐ34年になります。

うちより10~15年位前から宅地化した地域のようで、その次のブームが我が家が家を立てた頃になります。同じ町内の班で我が家の後に、西側に6軒、前のお宅の南側に2軒、さらに我が家と反対側に3軒が立て続けに建って、その後また2軒が建って、班はその後2つに分割されましたが、それでもうちの組は21軒あります。(実家は7軒なのですぐに組長が回ってくるとぼやいていた) 組長さんは新しい人が入ったらその人が、ということで我が家も越してきた翌年に組長をやりました。その後、新しい人が入ってきたら入ってきた順にやるので、一度やったら20年はやらなくていい、と言うありがたい状態でした。5年くらい前に2回めの組長をしましたが、21年後より遅かったのは途中で出入りした人がいるからです。我が家の西側の1軒には同い年の子供のいるご家庭が住んでいましたが、ダンナさんの海外赴任に伴って会社が借り上げ社宅にしたおかげで数年ごとに新しい人が入り、そのたびに新しい人が組長さんになっていました。(結局そのご家族は帰ってきてから数年後にお引越しをされました)

数年前には我が家の裏とその裏の家で入れ替わりがあり、そして問題の前の家の人がやってきたのが3年ちょっと前くらいです。とりあえず、本当にお隣、と言っていいくらいなのですが、新興住宅地のせいかそもそもあまり交流がありません。裏の家はおばあさんが溝掃除とかも出てきていましたが、娘さんと二人暮らしだったようです。私はこの娘さんを越してきた当初、1~2回見かけただけです。3~4年前におばあさんが自転車でころんだ、と言う話を聞いていましたが、その後、お見かけしないのでおそらく施設にでも入っているのだと思います。今までおばあさんが出ていた溝掃除に娘さんが代わりに出てくることもないので、結局誰も詳細を知りません。溝掃除は私が越してきた当初は組全体でやっていましたが、東西でわかれて(私は東)西側は大きな溝なので、市が管理することになり掃除をしなくなりました。なので結局、東側の7軒がやることになったのですが、私が越してきた当初から「仕事をしているので」と絶対出てこない家がありました。おそらく65歳まで勤めたとしてももう20年以上前には定年退職していると思われるその方はその後もただの一度も出てきたことはありません。結果として5軒でやっていたのですが、独居のおばあさんが娘さんのところへ行ったので、今は4軒で頑張っています。

そもそも当初の計画では20年ほど前には下水道が完備するはずで、そしたら溝掃除もしなくて良くなるはずでした。しかし、未だ下水道が来る様子はありません。下水道が来ると各戸100万程度の負担金がかかると言われているのでありがたいと言えばありがたいのですが、毎月、たとえ5~10分程度とは言え溝掃除をしなくちゃいけないのもめんどくさいです。それも、どうしても不公平感があるし・・・ 私も時々忘れてしまうこともありますが、それぞれ都合がつかない時もあり、気がつけば一人で、とか2軒で、ということもよくあります。今の私は膝も痛いし肩も痛い状態でなかなかしんどいです。とは言え、うっかり忘れてしまうこともあるし、昔よく東京へ出かけていた時はサボってしまっていました。なので「お互い様」ということで一人の時でも頑張っています。でも、この先も年を取るばかりなのでもうそろそろ溝掃除から解放されたいです。

さて、ご近所さんトラブルですが、前の家の家族が来るまでは、まあ、それほど気にはならなかったのですが、ここのところのバイクの騒音に苛立ちがおさまりません。確か息子さんがいたと思っていたので、てっきりこの息子さんがヤンチャしているのかと思ったら、なんと、バイクの騒音の主はご主人でした。ひどかった時は家の前でバリバリバリバリ空フカシをして、爆音を立ててでていき、そしてものの15分くらいで戻ってくるのです。そこでまたチューニング?なのかバリバリバリバリ・・・そして爆音を轟かして出ていってまた15分で戻り・・・ これを5~6回立て続きにされた時には本当に腸が煮えくり返りました。音もさることながら排気ガスが入り込むのも嫌でたまりませんでした。 これで文句も言えないところが悲しい・・・ そして、息子さんだと思っていたので、若気の至りかも、と少しばかり大目に見ていたのに、実はこの騒音の主が大学高校中学の3人の子どもを持ついい年したおっさんだったとは!!! もう、メチャクチャ腹が立っています。一時期は少しノイローゼになっていて、大声で怒鳴りつけてやろうかというくらい頭に血が上ったこともあります。でも、越してきた当初から爆音のする古い車をガチャガチャ整備する、ちょっとヤンチャ系だったので、最初に黙ってしまったのが良くなかったのか、今更文句を言うのも・・・ 私が2度めの組長をする頃に越してきて、町内会への加入を勧めたら「賃貸で長くいるつもりはないので」と断られました。なので、そう長くはいないんだろうと思っていたのに。

ハッキリ言って車4台を停められる駐車場、バリバリブルンブルン、音を立てても誰一人文句を言わないこの環境を簡単に手放すとは思えません。前の家の持ち主の奥さんはお金持ちなので、この家があってもなくても、家賃があってもなくても構わない人なので、この方に苦情を入れれば契約更新をストップしてくれたかもしれませんが、そんなことをすれば我が家が文句を言ったのは一目瞭然・・・かな? いや、前々からそれほど親しくしてなかったせいで、お引越される時も全然知りませんでした。(我が家だけではなくご近所全員が知らなかった) なので、今どこに住んでいるのかも知らないのですが、数年前に、一緒に溝掃除をしているその家の2軒隣の奥さんが街で偶然に会ったら、家を見に来て、と言われて連れて行かれたとは言っていました。でも、その方もそれっきりのようです。私はその方が越してから数年後に、たまたまその家にやってきた奥さんからご主人が亡くなったという話を聞いて、驚きました。お二人は海外旅行が大好きで、ご主人のがんがわかってからは、ありとあらゆるところに行って大満足で見送れた、と入っていましたが、おそらくその当時、ご主人は70歳近辺だったと思います。その話を聞いて、やっぱりやりたいことはやっていきたい所には行っておかなくちゃね、と夫と話した気がします。

私が越してきた当初はご近所はみんな近くて一回りくらい年上の人ばかりで、家が越してきた時に越してきた人の多くは同じくらいの仲間で子どもを近くの公園で一緒に遊ばせた今で言うところのママ友です。でも、町内会長をやった時に一緒にやったTさんとは、その時、顔を合わせるのが何年ぶりだろう? と言っていましたが、町内会をやめて3年位になりますが、やめた途端、そのTさんと顔を合わせることも全くありません。いかにご近所付き合いがないかを思い知りました。

なので、溝掃除をする時に顔を出す5軒くらいしか日常的には会っていませんでしたが、そのうちの独居のおばあさんが娘のところへ行ってしまって、今は4軒なのですが、そのうちの一軒が私がブチ切れそうになる騒音メーカーです。残りの2軒はお隣同士で年も近いせいかとても仲がいいようですが、私とはちょっと距離があります。 Yさんとは下の子が同い年て、その子が息子と同じ高校に行っていました。とは言ってもそれほど親しい間柄ではないと言うか、正直言えば私がその人が苦手なのです。ものすごく良識があるというか、きっといい人なんでしょうが

息子が中学生の時、息子の学年でトラブルが相次いで、学校の近辺では住民が自警団をつくるような状態だったそうです。私はその頃はとても仕事が忙しかったので、あまりそういう事情は知りませんでした。それに関して、Yさんが「お宅の息子さんの学年で○○て問題が起きたそうだけど どうなっているの?」と聞かれました。私は全く知らなかったので「どういう事?」と聞きました。そしたら彼女は「知らないならいい、当事者でない私が話すことではないから」と。その時、当事者でもない私から情報を引き出そうとしていたくせに??? と驚きました。なので、それから彼女との会話には一線を引くようにしています。その後、子供の進学とかそういうのもこちらの話は聞き出そうとするくせに自分の子供のことは何も言わない、と言う感じでした。ただ、家の息子が彼女の息子の1学年上だったので、受験の体験談?の講演に呼ばれて行ったので、家の息子の大学を知ったようです。うちの息子の高校レベルでうちの息子の大学に入れたのはかなり画期的だったので、体験談を依頼されたのですが(笑) なんて言うか、それ以来、あまり学校のことは話さなくなりました。何しろ彼女の息子と同い年の我が娘のほうがうちの息子よりも高校も大学もレベルが上だったのでそれからは一切、学校の話はしていません。というか、お天気と世間の話しかしなくなりました・・・

まあ、元々、ご近所とはほとんど付き合いもなかったので今更なのですが。

そもそも、私が実家を出たかったのは田舎の人間関係が嫌だったせいもあるし、夫の実家に至っては周りみんなが小姑、と言う感じでした。

結婚した当初、義母に「裏のお寺のおくりさんが『○○さんの家はちゃんとお義母さんを助手席に座らせるのに、あんたんとこの嫁は自分が助手席に座るんだね』って言ってた」と。

ガ~~ン・・・ 私は姑を差し置いて助手席に乗るとんでもない嫁って事になっていました。そして姑には暗に「気が利かない」と。 そして、隣の家の人の出入りをチェックしたり、その順番まで見ているご近所の存在が怖かったです。 どこやらさんの嫁さんはタオル一枚を干すのに洗濯ばさみを4つも使う、とか ○時にならないと洗濯物も干さない、とか 少し短めのスカートを履いていったら「うちの近所にそんな短いスカートを履く人はいない、誰が見ているかもしれないから今後一切そういうものは履くな」と言われたこともあります。私は昔から太っているのでミニスカートなんて履くはずもなく短いと言ってもヒザくらいです。要するに膝が出るのがいけない、ということでしたが分厚いタイツを履いていたので、むき出しだったわけではありません。でも「見苦しいからやめて」と言われました。そんな状態に嫌気が差していたので今のところではとにかく、人と接しないようにしてきました。

我が家は東側が道路で他の3辺がご近所さん5軒に接しています。南側が騒音の家。北側がほとんど顔も見たことのない娘さんのいる家。そして西側は実は段差があり、我が家が3mほど高くなっているのでお隣と言ってもほとんど接点はありません。南に以前は一人暮らしのおばあさんが住んでいる家があり、2~3mだけ接していて、お隣があって、その裏に一緒に町内会の役員をやったママ友の家がほんの1mほど接しています。うちが家を建てる時、まだそこは更地でその6軒の途中まで南北それぞれ道路があったので、てっきりその道路が通って3~4軒の家が建つと思っていたら、当時はバブルに向かっていく途中でしたので土地が異常に高くなってきていて、結局道路を通さないで6軒が建ちました。なので、我が家は西側いっぱいに家が建ててあったので、お隣の2回のベランダと 我が家の庭がくっつくくらいになっています。我が家からすれば見下ろす感じになってしまうので、それまで、そこにあった物干し場を2階のささやかなベランダに移す羽目になりました。便宜上そちらを西側、と書きましたが、実際には南~南西になるので、フェンスに目隠しを付けませんでした。元々は物干し場だった所は花壇を作り季節の花を育てていましたが、私の仕事が忙しかったりすると放置してしまっていました。田舎なので結構 鳥がよく飛んでくるようで、植えたつもりもない南天やら槇?が大繁殖してしまいました。それを放置したのが良くなかったみたいで、毛虫が西側の家に落ちていたようです。全く気づかなかったのですが、それをずっと恨みに思っていたようです。相手に言えないのは私も同じなのですが、前の家の奥さん経由で迷惑していることを知って、慌てて木を刈ってお菓子を持ってお詫びに行きました。それ以後は木が伸びすぎないように気を使っているのですが、西側の夫婦はおそらく私達より20歳くらい年上で、もう何年も前から隠居生活で家にいるようです。ここ数年、私は花壇だったところに野菜などを植えるようになりました。種から育てたりしたので、ついつい発芽状況とかを毎日チェックするためにお隣との境目の所に行っていました。すると、いつからか、私が外に出ると必ず、西側のご主人が玄関から出てくるようになりました。うちが上の方になるので、なんとなく挨拶もしづらくてついつい、無視してしまったのが良くなかったのかもしれませんが、それまで何十年もほとんど話もしてこなかったので、今更、挨拶もな~とためらってしまったのです。お互いの玄関はうちは東側、相手は西側なので、お出かけする時に顔を合わせるということも一切ありません。私は面倒なので相手が庭に出ている時には家を出ないようにもしていました。なのに、相手はある時期から、うちが外に出るとあからさまに出てくるようになったのです。向こうが挨拶をすれば私も挨拶をする心づもりくらいありました。でも、あ相手の顔を見て上から声をかけるのもな~と躊躇ったし、なんだかその出てき方が嫌な感じで・・・ たまたま、偶然だったんじゃ? と思ったこともありましたが、早朝5時半、とか雨の夕方(私は雨が降る前にチャンスだと思って苗を定植したので様子を見ようと思った)とか普通じゃないときも重なりますし、そもそも私が玄関を出て西側の花壇に出た瞬間くらいにドアが開くのです。(お出かけする時は東側のカーポートに行く。西側の花壇への途中には玉砂利が敷いてある)

これが数年続き、うんざりしていたのですが、去年花壇を菜園にするに当たって、やっと目隠しのシートをフェンスに掛けたらそういう事がなくなりました。南側の日差しが閉ざされてしまうことを心配していたのですが思ったよりは大丈夫で、そうと知っていたらもっと早く目隠しをすればよかったと思いました。でも、結局、それがわかったら相手は私があちらのお宅を覗き込んでいると思っていたということなのでしょうか? 

人間は自分を基準に物事を考えるものです。そう言われてみれば、我が家の完成が10月で、その翌年の2月に娘が生まれて1~3月くらいまで実家に帰っていました。

西側の家ができたのはたぶん、その期間のどれかだと思います。

実家から戻り、お宮参りの晴れ着姿で玄関で写真を撮っているのを見た西側の奥さんにそのしばらく後に「出産でいなかったんですね。ちっとも洗濯物を干さないうちだからどんな人なんだろうって思ってたけど」と言われました。確かにその時はまだ、現菜園(元花壇)は物干し場でしたが、でも、そんなに他所の家のチェックをしているんだ、と、ちょっと夫の実家のことを思い出してうんざりした覚えがあります。その後、この西側のお宅のお隣のママさんと息子が同い年なので仲良くなったのですが、やたら子どもに絡んできて嫌だ、と言っていました。彼女は後に夫の転勤でアメリカへ行って、5年ほどで帰ってきたら狭い我が家に馴れ馴れしい隣人でウンザリして引っ越しを決めたと言っていました(笑) この彼女は中々面白い人物でしたが、今で言う不思議ちゃんかもしれません。アメリカから写真付きのクリスマスカードを送ってくれたりしたのですが、子どもは横を向いていて自分だけがハッキリ可愛く写っていて、しかもクリスマスツリーの大きさを誇示したいためか、やたらでっかい写真でした(笑)

でも、不思議ちゃん度では娘と同い年のママさんがずば抜けていました。ダンナさんが大学の助教授で、彼女は今で言うところの自然派育児?の実践者でした。家にはテレビはなく、食べ物はすべてオーガニック? お友達のところへ行く時に持ってくるオヤツはたくあん?のようなものをタッパーに入れてでした。 

どろんこ育児を実践しているせいか子供の服も靴もいつもドロドロ。でも、その服も靴も全部ディオールだったりしてました。「夫の母が買ってくるの」と。その夫の母が夜中の変質電話で男の人のはぁはぁ喘ぎ声を聞いて息子になにかあったと思って、2時間かけて飛んできて、彼女が夜中に目が覚めたらベッドの足元に義母が立っていた、と。それで初めて義母が合鍵を持っていることを知った、とか・・・ なんか、それを淡々とひょうひょうと話してくれたのが驚きでした。

子どもが小さかった頃は、本当になかなか楽しい地域だったと思います。あれからもうすでに30年が過ぎて、今、この土地にいる楽しさも便利さもない上に、静かさというメリットまで失われてしまったら、この先、ここにいる意味はあるのでしょうか。

うちが越してくる前から住んでいた人たちがどんどん出ていくようになりました。

年寄りが住むにはちょっとばかり不便な土地であることと、近くに小学校があるので、結構、売りやすいという面があるみたいです。

今はまだ、五十肩だ膝痛だといいながらもギリギリ生活できていますが、この先もっと年を取ったら・・・

でも、年を取って新しい土地に馴染むのもしんどい・・・ そうなると、とっとと施設に入るのが正解なのかもしれません。とは言っても夫婦二人で施設に入る資金の余裕はありません・・・

 

ラカン・・・老後が本当に身近になってきています。