記憶

映画の話で過去を振り返りましたが、人の記憶と言うのは必ずしも正確とは言えません。その記憶につながる様々な事象があります。一つのものが繋がっていく過程もさまざまです。

たとえば「尾美としのり」君ですが「火の鳥」で知りました。私は今でも基本的にあまりドラマとかは見ない人でした。ただ、漫画に関しては6歳ごろから今に至るまで好きです。なので、漫画の火の鳥の実写映画という形で見て彼を知りました。そして、翌年、NHKのドラマで再び彼を目にすることになったのですが、これは詩集の「ぼくは12歳」が元です。じゃ、その「ぼくは12歳」を知るきっかけとなったのは何かと言えば、やはり漫画に関連するのです。

私は小学校5年生の時に「ベルサイユのばら」にリアルタイムで出会って、以後週刊マーガレットを買うようになりました。その後の流れで(「花とゆめ」「LaLa」は創刊号からずっと買っていました) それ以前は週刊少女コミックか月刊少女コミックのどちらかを時々買っていたように思います。週刊漫画が1冊 60円か70円だった時代ですが、子どもの私は毎日10円をもらって近所の駄菓子屋さんでお菓子を買う生活で、小学校6年になったときに「これからはお小遣い制にする」と母が言い出し「6年生だから600円、4年生の妹は400円、3年生の妹は300円」と言うことになりました。なので週刊マーガレットはお小遣いの範囲で自由に変えるようになり、結果として定期購読に至ったわけです。ベルサイユのばらが終わってしまっても、当時の週マには魅力的な漫画がたくさんありました。なので、漫画から足を洗えなくなったのです(笑)

お小遣いは中学生になって1000円になり、中2で2000円、中3で3000円、高校生で5000円になって、結局そのほとんどを漫画につぎ込みました。花とゆめの創刊が中2の時で結婚して子供を産むくらいまでは1号も欠かさず買い続けました。LaLaも同様です。なので私の漫画コレクションは花ゆめコミックスが多いです。

私は作者が気に入るとその人の作品をコンプリートしたくなる癖があり、ベルばらの池田理代子先生の次の作品「オルフェウスの窓」も読み続けていました。そのオルフェウスの窓週刊マーガレットから月間セブンティーンに移動になり、ものすごく不本意ながら月間セブンティーンを定期購読するようになりました。私は昔も今もファッションとか恋愛とか、はやりものには全く興味がなかったのでセブンティーンと言う雑誌は好きではありませんでした。

またまた前置きが長くなりましたが、この月間セブンティーンで「ぼくは12歳」の本が特集?されていたのです。その本の表紙を一目見て即座に本屋さんに走りました。

暗めの青い海と空の間に紙飛行機が飛んでいて「ひとり ただ くずれさるのを まつだけ」と

12歳で自らの命を絶った少年の残した詩をお父さんがまとめたもので、その詩の数々は思春期当時の私の心には突き刺さるものでした。詩、そのものにも感銘を受けたのですが、その略歴?のところに「大空に投身 自死」と言うような表現がされていたのが本当になんて言ったらいいのかわからず胸をえぐられました。

私は中学2年の時、小学校時代の友人と交換日記をしていたのですが、その友人に「あなたの書く文章って詩みたいだね」と言われたことがきっかけで、なんとなく詩のようなものを書き始めました。今で言うならまさに「中二病」の極致のような詩の数々でしたが、人間、やはりこのくらいの時期って「死」と言うものを見つめる時期なんだろうと思います。中学、高校時代は本当にいつも漫画の世界に現実逃避していました。ファンタジー、別世界、そして死の世界も憧れの世界だったように思います。なので「ぼくは12歳」に強く惹かれたのかもしれません。

私は今でこそ、自分の性質ってのがよくわかるようになりました。実は私は想像力と言うものが欠如していたのです。子供のころから母がよく図書館に連れて行ってくれて本をよく読んでいましたが、想像力がないので、文章だけでは理解できないのです。だから絵で説明してくれる漫画に強く惹かれたのかもしれません。

文章の世界と言うのはおそらく読者がそれぞれ「想像」して自分なりの解釈をすることも醍醐味だと思うのです。でも、私にはそれができません。

私の文章(メールやライン)を家族からは「回りくどくて長い、何を言いたいのかわからない」って言われます。自分で書いているこの日記でも、本来の言いたいことから逸脱していきます。でも、それは、とにかく「全てを説明しなくてはいけない」 「間違えてはいけない」意識が働くせいだと思います。これも私の本質が影響をしています。

リアルな世界では私はいつもいい人ぶっているので、ここでさらしているような本音とか、特に「自慢話」や人を見下したようなことは家族以外の前では絶対に言いません。でも、本音はやっぱり本音で、思っているわけですからどこかで零れているのかもしれません。ただ、その零れ出る本音も頭の中でグルグル渦巻いた後なので、ある時突然、突拍子もないことをいう、と言う感じで見られることもあります。

今日のブログは簡単に書けば「映画の話をしていたら、火の鳥が出てきた。その主人公が尾美君だったなぁ、と思ったら高校時代に読んだ『ぼくは12歳』を思い出した。NHKのドラマで尾美君が主役をやっていたから」それだけのことです(笑)

そこにそれまでに至る背景の記憶がごちゃ混ぜに浮かんできたので、それを説明するために回りくどい思い出話になりました。

文章にしているので長いのですが、私の中ではこれが一瞬にして起こっています。

私は今まであまりテレビドラマって見たことがありません。コロナで巣ごもりするようになってこの1年くらいドラマを見るようになりました。で、今更ながら「尾美くん、おじさんになったんだ・・・すごい、ずっといろんな作品に出てたのね」と(笑)

 

また、何が書きたかったのかわからなくなりましたが、前回、唐突に「映画」の話を書いたのはきっかけは実はコロナで尾身会長の姿をよく見たせいだと思われます(笑)

コロナ関連のニュース→尾身会長→尾美くん→火の鳥=映画

 

で、前回はそこから映画にまつわる話を逆に自分の思う、最初から順を踏んで書いたつもりでした。

 

でも、何か、どこか腑に落ちない

そこであれこれ考えていたら今回の流れになりました。

 

こんな感じです   

映画→火の鳥→尾美くん→ぼくは12歳→月間セブンティーン→週刊マーガレット→漫画を買っていたころ&漫画好きな理由

 

で、私はリアルでは最初と最後が一気に結びついてしまうので、唐突に何を言っているんだ! ってことになります。

そう、前回映画の話を書いたのはそもそもがコロナが発端だったんだ、とあらためて気づきました(笑)