ただの顧客? 知人? 友人?

昔、保険のオバサンをしていたころの同僚となんだかんだでつながっています。

かれこれ30年以上になります。

元々私は別の支部に出向していましたが、そこで退職を決意して辞表を出したら、とりあえず元の支部に戻されました。

別の支部は基本個人で動きますが、田舎の支部は二人組が原則でした。で、組んだのが同い年だったAさんです。

彼女もちょうど私と同じくらいの経歴で学年も一緒でした。シングルマザーで一人娘がうちの娘と同い年と言う事もあって、それなりに親近感はありました。

でも、ハナからもう仕事を辞めるつもりだった私は、あまり積極的には活動しておらず、それでもなぜか支部長に気に入られていて担当を地元の市役所にされました。で、Aさんを付けてくれたのですが・・・ とにかく、私は支部での地元密着の営業には慣れていなかったし、怖いおねー様がたがいっぱいの支部は顔を出すのも嫌で、朝礼が終わったらとっとと家に戻り、市役所のお昼時間だけ彼女と組んで出向いていました。

正直、契約はほとんど取れませんでした。基本、契約が取れれば折半なのですが、たとえば超ベテランさんと新人で組んで7:3と言う感じもありました。ベテランさんからすれば本来は一人で全部なのですが、新人育成のためにそうなっていたみたいです。彼女も私が行く前は超ベテランさんについていて言い方は悪いけれどおこぼれをいただいて1年をこなしました。1年は超ベテランさん、2年目以降は同じくらいの人と組むみたいですが、私は別のところでひとりでやっていたのでシステムがわかりませんでした。数か月ほとんど契約が出ないまま、仕方なくそれぞれが自分や身内の保険を出させられ(契約は必ず最低でも月に1本は出さなくてはいけなかった)それこそネタが尽きた状態でした。でも私はもうやめるつもりだったのでそれでクビになるならそれでいいや、と思っていました。それでも、たまたまその頃が一時払い養老の金利が良かった最後くらいの時期で、(正直、保険のオバサンにとって養老保険は成績に響かない損な商品なので見向きもしない人がいる中で)少しずつ、それを拾って数か月は食いつないでいました。それがもう出せなくなってからはキッパリ「欠勤」を決め込んだのですが(辞める意向は半年以上前から伝えている)、欠勤中でもとにかく成績だけは出させられました。その時、苦肉の策で15年満期の一時払い保険に加入したのですが、のちのちこれは所謂「お宝保険」の一種となりそれを満期で受け取った時には入れたお金の倍以上になっていました。今は100万円預けても利息は数千円ですから、本当にありがたかったです。なので、私は当時私が、契約した方たちには感謝されているだろうな、と思っています(笑)

 

相変わらず前置きが長くなってしまいましたが、お昼だけとは言え毎日一緒に活動していたAさんから、ある時「お願いがあるんだけど、市役所の担当、全部私に譲ってくれない?」と。実はその時、辞めるつもりではいたけれど、それでも私の担当を全部持って行こうとする彼女にちょっと不信感と言うか苦手感を持ちました。結局、いい顔しい? もしくはNoが言えない私は「私は構わないけれど・・・」と答えるのが精一杯でした。結局、彼女が支部長に私のオッケーがあると言う事で報告したのですが、却下されたようです。

最終的には3月の末ぐらいから私はほとんど出社せず、運良く?4月から母校の高校の非常勤講師のオファがあり引き受けました。月に65000円くらいのお仕事でしたが、週に4日の勤務だったのでこちらに変わっても保育園に子ども(この時は上の子は小学生)を預け続けることができそうでした。

私の他にも同じように辞めると言っても半年以上食い止められていた人がいたのですが、彼女より先に私の退職が認められたのが5月半ばだった気がします。もう実際に別のところで働いているので当たり前かもしれませんが、実は6月にボーナスが出るので、その前にクビを切ってしまおうと言う事だったようです。実は先ほど書いた「養老保険」を次のボーナスの査定期間中に自分のも含めて6本売っていました。なので、それなりのボーナスがその6月には貰えるはずでした。どれだけ辞めると言っても辞めさせてくれないので、それならいっそボーナス出るまで籍を置いておくか、と思ってもいたのですが、ボーナスの出る前に切ってきたか、と言う感じです。でも、辞めていいと言った時に辞めなければ、6月まで籍を置くために5月分6月分のあと2本は何かしらの契約を出させられるところでした。今でこそ、こんなに金利が下がってしまうなら、無理をしてでも一時払いに入ればよかったと、と思う人がいるかもしれませんが、当時はこんな事態になるとは思ってもいなかったので、身内には誰にも勧められませんでした。(保険のオバサンは身内をぐるっと入らせてタマが尽きたらやめてもらって結構、の世界でした)

もしも、未来が見えていたら(笑) あと2件、誰かに一時払い養老の保険に入ってもらって私もボーナス(50万くらい?)もらって、丸く収まり、保険に入ってもらった人には10年後に感謝してもらえてたのに(笑)

 

まあ、私の人生なんていつもそんな感じで「ハズレ」だなぁ、と感じます。

株にしても本当にあるあるですが、自分が売った途端に爆上がり、って事が良くあります。

せこく1万円の利益が出たから売ったら、その翌日には3万円の利益が出て、そのまま放置したら倍になっていた、って感じです。娘には「手放したんならもう、後々しつこく見なければいいのに」って言われます。そう、ホンット私は株の売買には向いていないと思います・・・

 

なかなかAさんの話に辿り着けませんが

私が辞めてから、数年して彼女はIさんと言う人と組んで、ちょくちょく我が家に顔を出すようになりました。このIさんが、めっちゃ穏やかで朗らかで感じのいい人なのですが、それなりにやり手で、なんとなくいつも「お願い~!」で、結果として子どもたちが成人する頃にそれぞれの保険に入ったり、夫の保険の見直しやら金利が悪くなったとはいえ、定額よりはマシな一時払い終身保険等々に加入したり転換をしたりそれなりにずっと顧客として付き合ってきました。

私は片付けのできない女だったので、彼女たちが来てもほぼほぼ玄関先で話すだけでした。実際、上にあげる時は契約まで持って行かれることが多かったので警戒していたせいもあります(笑)

もちろん、「見るだけでいいから見て~」と言われて、断った件数も半端はありません。自分が保険のオバサンをしていた事があるので、設計書を作るノルマ、訪問のノルマ、リクルートのイベントのノルマなどなどいろいろあることも知っていたので、協力してきました。

毎年、カレンダーを必ず届けてくれるのもありました。

契約書はいつも Iさんの名前で、連絡してくるのもIさんで、いつも来るときは二人でやってきますが、Iさんが来れない時だけAさんが単独で来る、と言う感じでした。彼女だけで来ると、同い年の娘がいるせいか、よく娘の話になりました。思い起こせばうちの娘が摂食障害ガリガリだった時にも顔を合わせているようで、ついこの間 「あの時は聞けなかったけど、大変だったのでしょう?」と

 

そう、半年くらい前にIさんが退職して故郷に帰ったとAさんから連絡がありました。正直、Iさんから連絡も挨拶もなしだったのはちょっとショックでした。私はたぶんIさんだったから、保険に入っていた経緯もあるので。Aさんとだけだったら、今までもつながっていない気もします。

しかし、そのAさんがIさんなしでアプローチしてくるようになりました。

保険関係なので住所変更はしなくていけなくて、家族にも話していない引っ越しを告げました。で、毎年年末にカレンダーを届けに来てくれるのですが、前回はまだ夫が前の家にいたので、そちらに届けてもらいましたが、今後はマンションの方に持って行くね、と言うような話になり、「家族にも言っていなくてほとんどだれも着たことないの、良かったら来てね」とワタシ的には年末のカレンダーを想定しての話だったのですが(笑) 「うわ~、行きたい~~! いつならいい?」と言う話になり、なんとなくぼやかしていたのですが、ま、いっかとオッケーして、先日午前中にやってきました。何だかんだと世間話をして、次第にお互いの娘の話になり、彼女も今、娘さんの事で思い悩んでいることがある、と話してくれました。そんなこんなで午前中からお昼も食べずに2時過ぎまで話し、最後にチラリと保険の話をして席を立ちました。

駐車場に送っていく途中で「で、どうする?」と契約の話に・・・ 確かに私も多少、いい顔をしたのですが、それほど乗り気ではありませんでした。でも、なんて言うか4時間も30年前からの話をして彼女が実は誰にも話していなかったと言う娘さんの話も聞いてしまったし、なんとなく無下にも断れず、後日また、と。

で、仕事のある先日、私の学校まで迎えに来てくれました。

正直ここまで来たらもう「契約」しかないです。気持ちは半々でしたが「ま、いっか」で一時払いの終身保険の契約をしました。

正直、私はリーマンショックの時に手を出した株でマイナスを抱え込み、その後に追い打ちをかけるように先物取引でやられ、ぶっちゃけると1200万ほどのマイナスを抱えました。その後は本当に塩漬けで1200万のマイナスのままでしたが、1000万程度のマイナスになったころに東日本大震災でまた元の木阿弥、アベノミクスで少しずつ取り戻した矢先に今度はコロナ・・・

しかもこの時私はインバウンド目的でJALとかJRとか旅行産業に大きく入れており、さらに信用取引ユニクロを買った時に韓国での「No JASPAN」 ・・・・なんて言うか、ホント株選びがへたくそすぎます。そして踏ん切りがつかないので、塩漬けにして傷口を広げ、もうどうにもならなくてマイナスを確定したとたん、それが値上がりし始め、あと1ヶ月も我慢すれば、マイナスだけはなんとか免れてたはずなのに・・・と言う状況でした。

複数の証券会社を使っていたので、それを清算するためにマイナスを確定して終わった分が500万くらいあります。それ以外に二つ大きなネット証券に残してありますが、一つはなんとかギリギリマイナスがなくなったくらいだと思っています(ここは履歴が3年分しかたどれないので今までの経緯がわからない) もう一つもあと少しでマイナスがなくなりそう、と思っていたのに、ばかな信用取引を掛けてしまって、すぐに損切りすれば良かったのにズルズル持っているうちにマイナスが200万に増えてしまいました。 結果として、おそらく今現在私が抱えている マイナスは700万くらいです。株で損した分はなんとか株で取り戻したいと、粘るうちに身動きが取れなくなり…きっとこんな感じで深みにはまっていくのでしょうね。

とっとと清算してしまえば早いのに、マイナスの株を置いたまま、普通預金にもいくらかのお金を残していました。

その普通預金に入れておいたのは、他に置いておくところが見つからなかったせいです。投資はほんとうに懲り懲りしているし、証券会社に入れてしまえばまた無謀な取引をしてしまいそうです。正直、株取引に手を出さなければ普通にあと700万はあったはずなのに、と思います。でも、その700万があったとしても そもそも、私のお金は常に「老後のため」でした。その老後と言うのももはや「娘の将来」=娘の老後を見越してのお金です。使う予定のないお金なのです。だったら、それを30年運用しないか、と言う話でした。外貨建てなので 正直 円安が最高潮の今、やる物ではないと去年、とても親身に話を聞いてくれたフィナンシャルプランナーのオジサンにも断ってしまったものでした。実際にはその時の方が今より円安がひどくなかったので、その時に契約しておいた方が良かったのかもしれません。でも、そこがやはり一見の人と、なんだかんだで30年の付き合いのある相手の違いでしょうか。最終的に彼女の提案に乗りました。

彼女は私と組んでいた時のことはもうすっかり忘れているようですが、私は彼女と一緒に仕事をするのが本当に苦痛でしたし、その後も、ちょくちょく保険の話をされるのが苦手でした。

さすがに、今の年になったら入る物もないし、とここしばらくは保険にも入っていませんでしたが(医療保険は何度も進められたけど断りとおした) 結局、またご縁ができるのか・・・ と

彼女に「来て」と声をかけてしまったのは、今まで私の保険の受取人が夫になっていたのですが、それを子どもに変えたいと前々から思っていて、霊視の先生の見立てで私の方が夫より先に死ぬのであれば、夫の遺産の二次相続で子どもたちに不利になるな、と思ったからです。

もちろん、それはネットとかでもできるので自分でやっても良かったのですが・・・

まあ、担当の人がいるし、と言う事で彼女に任せるか、と思ってしまったのです。ぶっちゃけて言ってしまうと、今まであまりに大きな損失を抱えてばかりだったので、30年後にこの300万が消えてしまっていても、まあ、仕方ないか、なんて思っている自分がいます。

実は以前、学校関係で協栄生命の貯蓄型の保険に入っていました。しかし、それが破綻して、吸収された時に、たしか額面の2/3 くらいになった気がします。この時は貯蓄型のものほどダメージが大きかったように思います。なので、いくら業界トップともいわれる老舗の保険会社でも今のようにネット生命の躍進もあり、必ずしも安泰ではないのかと心配していました。実際、個人年金も30年後に本当にもらえるのか、と思っていましたが、とりあえず10年確定のうち2回ほどは入ってきたのでホッとしています。でもそれ以外はほとんど終身なんですよね。私の寿命はまだ30年あるので、その時にどうなっているのか・・・(笑)

まあ、いずれにしろ30年後の話です。

株のマイナスはもうキッチリ確定して諦めた方がいいような気もしていますが幸か不幸か今も700万のマイナスを抱えながら300万のお金を吐き出してもなんとかなっています。

その300万でつながったAさんとの付き合いは単なるビジネス関係なのか、知人と言う感じなのか、もしかして逆に彼女が退職したら友情?みたいなものになるのか、とも思ったり・・・

今回、前にも書いた50年来の友人より彼女と話していた方が楽しいと感じたのは久しぶりだったせいだけでしょうか

 

人間嫌いで極力人と付き合いたくないと言っていながら、私は何をやっているんだ? と言う感じです。

友人・・・

久々に小学校からの縁の友人とランチをしてきました。

定期的に彼女からお誘いはありましたが、コロナ禍でかなり頻度が減っていました。

さらに、私は1年半前のワクチン接種後の不調で今も医者通いをしているので、正直、外に出ていく元気がありません。

家の中に籠っていられるならずっと籠っていたいです。

それを、自ら非常勤講師復活で打ち破ってしまいましたが

1年が過ぎて、やっぱり色々 思い悩むことはあります。前回仕事を辞めた時は本当にコロナで突然の緊急事態宣言で、最後の授業も突如なくなってしまって、教えていた生徒の顔を見ないまま終わってしまいました。なので、不完全燃焼な気分があったので、お話を聞いた時にはそのリベンジをしたいと思いました。でも、すぐにへこたれましたが(笑)

そうして、なんとか半年を乗り切り、今年度も1学期が過ぎて2学期からは半分の授業になり楽になるはずですが、何と言うか もう今は燃え尽きてしまった感じです。

それでも、たぶん来年度も(気が早いけど)お仕事の依頼はあるだろうなと思うし、依頼されたらやっぱり引き受けてしまう気もします。

本当に正直なことを言えば、自分が今もこの仕事をしたいのかしたくないのか全く分かりません。

何度も書いていますが、教壇は私のステージなのです。満足いく授業ができた時は本当に気分がいいのです。

でも、おそらくそんな「満足いく授業」ができたことなんて数えるほどしかありません。

とは言え、数少ないからこそ、より感動的なのかもしれません(笑)

 

・・・また話が逸れてしまいました。

友人とのランチで仕事の愚痴や家族の愚痴やいろいろいろいろ話しました。

特に娘のことなどは事情を知らない人の方が多いのですが何もかも知っている数少ない人が彼女です。娘が自殺未遂をしたことだって身内では下の妹だけは知っていますが、もう一人の妹にも母にも言っていません。なので、母たちにはなぜ娘を腫物に触るように扱うかわからないくて私が今でも異常な過保護の母親だと思っていると思います。

霊視の先生に視ていただいたおかげで、少なくとも私自身より先にこの世から去るのは母だけ、と言う言葉を信じてかなり気持ちは落ち着きました。

私はずっと、娘の言動に、”あの時”の事を思い出しては不安に襲われる日々を過ごしてきました。正直言うと、今でもやっぱり怖いのです。何かのきっかけで…と

霊視の先生が「あなたも、あなたのお子さんも普通に年を取った未来が見えます」とおっしゃってくれたから今は踏ん張っていられます。でも、それがなかったら本当に完全にうつ病になっていたと思います。たとえ、霊視の先生が友人の言うように本物でなかったとしても、私はその言葉にすがることで立っていられるのです。

友人は「そんなホントかどうかもわからないことを信じ切ってる状況がおかしい」と言います。その先生の言葉で救われた、と言う話をしたら「そんなのたくさんの人の話を聞いていたらいくらでも想像できるし、どうとでも取りようのあることしか言っていないでしょ」と一刀両断。

さらに「私だって今まで、何度も言ってきた事だよね?」って……

私は彼女の言葉を聞いていなかった?

そうなのかもしれません。でも、その時は人の言葉を聞ける状況になかったのかもしれません。いえ、摂食障害親の会で、色々な人の話を聞いたり、カウンセラーさんからの言葉は聞けていました。だから、娘への対応の仕方はずいぶん学んで実践してきたと思います。実際に同じ状況にある方たちからの実体験に基づいたお話と言うものに勝るものはないと感じました。

それでも、私の「心を最も軽くしてくれた」のは霊視の先生の言葉だったのです。他のセミナーでも本当に心からいたわってくれる人の言葉に感謝して涙したことはありましたが、それでも「不安」と「贖罪」の思いは消えませんでした。

霊視の先生の言葉が今の私の支えです。その状況が友人からすれば「盲目的に信じ過ぎてて心配」なのだそうです。

もし私がその先生を知らない時に、友人がそんな状態だったら私も心配はするかもしれません。これが宗教だったり高額なお金を要求されていたりしたら即座に「やめろ!」って言うと思います。 でも霊視の先生の相談料は30分5000円です。中々予約が取れないのでせいぜい数か月に1回です。他に何も要求をされたこともありません。確かになんだかんだで10年近く通っているのでトータルとすれば10万は越えているのかもしれません。でも、私はその10倍払っていたとしても満足しています。本当に、暗く思い詰めていたあの地獄の日々を思えば、今の自分はなんて幸せなんだろうって思います。

もちろん、その先生だけのおかげとは思ってはいませんが、それでもその先生と出会っていなかったら今はないと思っています。

・・・と、まあ、この思い込みが「洗脳されている」と映るようです。

出会ってから50年。正直、私は最初からその友人が苦手でした。親しく付き合うようになってからも今でもやっぱり本当は「苦手」な相手なのです。

自分がいかにひどい人間なのかを暴露しますが、彼女から連絡があるので付き合いますが、できれば彼女の方からFOしてくれたら楽なのに、って思います。

たぶん私は、誰に対してもそうだと思います。

確かに、友人と呼べる相手は彼女しかいないのかもしれませんが、でも別に友人がいなくても平気です。

数年に1度くらいしか会わないけれど、一緒にいて楽しい相手はオタク仲間の知人一人だけです。私は自分から人を誘うタイプではないので彼女から連絡がなければ、縁も切れると思いますがそれはそれで仕方ないな、と思います。

幼稚園から中学までずっと「一番の仲良し」と言われていた幼馴染も本当は好きではありませんでした。その彼女よりは好きだった同級生は中学時代に仲たがいして、その後、仲直りはしたけれど高校が別になってしまってそれっきりです。ただ、小学校のクラス会のたびに顔を合わせるし、今はライングループもあるので連絡を取ろうと思えば取れる気がします。と言うか、その彼女に対しては時々「連絡を取りたい」と思います。でも、とにかく今まで生きてきて自分から人を誘ったことがほぼないので、勇気が出ません。

友人はそこそこの頻度で私をランチに誘ってくれますが、数年前から「?」と思うようになったのは私と話している時でもスマホを触ること。つい先日はオンラインのゲームをしているので定期的に見なくちゃいけない?と言うようなことを言っていました。彼女も仕事をセーブするようになり毎日行っていないと言うので「空いている時は何をしているの?」と聞いたらゲームをしているか、友達とランチに行っている、とのこと。

その時私は心の中で「え、だったら、私に固執することないのに」って思いました。コロナ前まではちょくちょく「心を割って話せる相手はあなたしかいない」って言われていました。それが正直、枷になってこちらから縁を切ることができなかったのです。いえ、おそらく誰に対しても私は自分から意図的に縁を切ることは過去も未来もないと思います。相手からの連絡には必ず返信をします。私からの返信で途切れると言うパターンで、そのあと私発の連絡はしないので、はっきりと自分が切られたと言う経験はありません。それでも疎遠になると言うのは相手が見限ってくれたからだと思って、それを追う事はありません。 

彼女に対してもそのスタイルで離れていきたかったように思います。

今はそれほど彼女の存在が負担なのです。

と言うか、今回は私の信じている霊視の先生を全否定されたことがとどめだったと思います。

前に一度、彼女をその先生に紹介し視てもらいました。その時は「あんたが信じる気持ちがわかった」と言っていたのに、変な話「喉元過ぎてしまえば」 暗に「結局、まがいモノじゃん。いつまで信じているの?」と

私は占いやスピリチュアルが好きです。でも、心の中で冷めたところもあって「人を支配しようとする」 「法外なお金を請求する」 そう言うものが見えたら即座に手を引きます。それくらいの理性は残っています。

娘が一番悪い状態だった時にはスピリチュアルではなく、心理カウンセリング等で1回で何十万も使いました。娘が少しでも興味を示した資格のための講座費用だけでも百万単位になります。

それに比べれば霊視の先生にお支払いするお金は10年分でも1回分と変わりません。

もちろん、お金が安いからホンモノ、と言うのはまた違うかもしれませんが。

彼女からすれば「ちょっと気の利いた人だったら誰でもできるようなアドバイス」を特別だと頼り切っている私の状態が危険なのだそうです。

「こんな本音を言ってあげられるのは私だけだからね」と。

私からすれば、そうやって私を支配しようとする彼女の方が怖いです。

そう、小学生の頃からいつだって彼女は常に私より「上から」目線で接してきました。

現実彼女はとても悲惨な家庭環境の中で育ち、年よりは大人びた子ではありましたが、それでも私は「同い年」と言う事には固執していたと思います。

前にも書いたことがあったかもしれませんが、私が彼女が決定的に苦手だと感じたのは中学時代に彼女の意見に従わなかった時(基本NOが言えない性格なのでそれまではたいてい私が折れていた) 「あんたって本当に扱いにくい子だねッ!」って言われた事。

私は優柔不断だったけど、付き合ってきた友達も割とふわっとした子ばかりでした。幼稚園時代から完全に主従関係の幼馴染の言うがままだったのは自覚がありますがでも、その幼馴染の態度に疑問を感じていませんでした。でも、彼女のこの時のセリフはずっと私の心に鋭い棘となって刺さっていたのだと思います。

この言葉を思い出してからは、とにかく彼女に対する苦手意識が高まり、そして今回の霊視の先生を全否定した挙句に、言葉では言いませんでしたが「まあ、いくら言っても聞かないんだよね、あんたって子は」って蔑むような眼で見られたのが決定打になりました。

それでも友達を続けていくのが今までの私だと思います。

 

でも、もうおさらばしてもいいのでしょうか?

 

こうして書き出してみると私はおそらく、彼女のいい面を見る余裕がないと感じます。

今、私がマイナスの気分でいるから思い出せないだけなのかもしれませんが、思い出せない時点でもう結論が出ていると思います。

 

私から連絡することがなくても彼女は連絡をくれるかもしれません。そしたらたぶん、普通にお返事すると思います。でも、ランチのお誘いはきっと「都合がつかない」と断ると思います。それが続いた時に彼女がどう判断するかはもう、彼女にゆだねます。

そもそも、この間の一件で、私ではなく彼女の方が愛想をつかしている可能性もあります。

なので、もう、このまま静かに終わりでいいのかもしれないと思っています。

気が付けば・・・

長かった夏休みも終わります

50年来変わらない性質で、いまだにお盆が過ぎると「夏休みが終わっちゃう~~~!」と焦りだしパニックになり、それでいて何もできず

そうして、今日の日を迎えます。

で、基本、8月31日と9月1日の始業式のこの二日間で40日分の宿題を仕上げます。

 

そういった状況からしばらく離れていましたが、去年の今頃もしかし、そして今年もです。

実は今年度の教科書を学校に忘れたままでした。当然夏休みに入ってすぐに気が付き、一度取りに戻らなくちゃいけないな、と思ってはいたのですが、以前なら30分で行けるのに(しかもチャリで)今は 片道1時間半と往復で1000円を超える交通費が掛かります。もちろん、ちゃんと出勤簿にハンコさえ押せばかかった交通費はもらえます。でも、本来の出勤日でない日に出勤すると、その説明をしなくてはいけないのが面倒で、以前はたとえば調理実習の買い物や準備に来た時はハンコを押していませんでした。それもわずかな金額(往復500円弱)だから、と思っていたのですが、1000円を超えると自腹もきつく感じます。そもそも非常勤にはどれだけ残業をしたとしても残業代なんてつかないし。

おそらく、今までは正規の先生も残業代と言う名目ではついてなかったのではないかと思います。それが働き方改革?でいろいろ変わっていくのだとは思いますが、ある意味正当な事だとは思いつつ、今までの学校文化?は熱意ある先生の無償の奉仕もあったのだと思います。もちろん、そういう先生ばかりではなく、いやいや拘束されていた部活動の顧問などから解放されることにホッとしている人もいると思います。でも、そう言ったものを穴埋めしてくれなくなれば、生徒たちの学校生活もずいぶん変わるのではないかな、と思います。

ゆとり教育が始まった時、県下トップの高校で非常勤をしていましたが、その時の先生が「周りの先生のだれ一人学校週休二日制を歓迎していない」と言っていました。実際その当時は、それまで週6日(もしくは隔週土曜休み)でこなして来た授業を週5日に振り替えるために大幅に授業内容を変えなくてはいけなくて、私自身もそれまで4単位でやってきた内容を半分の2単位でやらなくてはならなくなりました。正直、4単位でも時間が足りないと思っていたのに…

私はいまだに4単位でやっていた内容を引きずっているために「詰め込み式」で生徒の度量以上の内容を盛り込んでしまっています。

産休から復帰した先生はちょうどうちの息子と同い年で自分自身は4単位で習ってきたので私の気持ちも理解できると思います。しかし、今年3年目の先生はおそらく2単位でやってきた先生なので、今の状況は全く違和感なく卒なくこなしているようです。でも、私はどうしても内容がもの足りなくて、厳選して減らさなくては、と思いつつ「世間の常識としてこれくらいは知っていてほしい」と言う思いが強すぎでとにかく詰め込みすぎて、結果として本当に最低限のことさえ覚えてもらえない、と言う状況です。

ぶっちゃけると本当にうちの学校のこのレベルは低いのです。でも、それでも私は県下トップの学校に行っていた時と同じ内容(の簡易版?)を押し付けてしまいます。

おそらく、このこだわりが私の人生においての課題なんだろうな、と思うのですが……

結局のところ私は非常勤しかやったことがないので学校の方針とか他の先生方がどうしているのかとかわからないままです。しかも講師室ではなく準備室に一人で机をもらって籠っているので情報交換もできません。

それでもテスト終了時には講師室ので作業をしたので、その時にチラリと話をしたりはしています。ただ9月からは週に2日だけになるのでほとんど講師室に顔を出すことはなくなると思います。

さて、そうなると頼りは主任の先生と若い先生のみなのですが、若い先生とは考え方が合わないな、と思うし、主任の先生は以前から「捕まらない人」でちっとも交流がありません。ただ、10年くらいの付き合いにはなるので話はしやすいです。

チラリとこの二人の関係をうかがうと、割とおざっぱな主任の先生と、そつなくクールにこなす、でも残念ながら経験値の低い若い先生、と言う感じです。

私が指導できる立場ではなく逆にお伺いを立てる感じでその先生と1年付き合ってきましたが、ホンット、もしも私に権限があったら、もう少しアドバイスと言うか指導していかなくちゃいけないな、と思いました。でも、それはあくまでも経験値が低いので仕方がないとは思います。ただ、私立の場合、上の先生の入れ替わりはほとんどありません。(残念ながら若い先生の入れ替わりは激しいのですが) それでも、私がいなかった たかが2~3年の間に古い先生方が定年を迎え、本当に若い先生が増えてビックリはしています。

若い先生が増えて活気は出てきましたが、生徒とは友達感覚で、なんとなく私のようなオババからすれば違和感があります。あまり生徒を叱ることも指導することもありません。生徒も先生を「舐めてるな」と感じます。 ま、私も昔っから舐められっぱなしでしたが(笑)

 

相変わらずグチと言い訳ばかりです・・・・

で、今の私は何をしているのかと言えば、昨日やっと教科書を取ってきたので、これから慌てて2学期のプリントをつくる予定です。

娘も夫も「最終的には去年のをそのままやればいいじゃん」と言いますが、それは私のプライドが許しません(笑)

何より、もう少し中身を簡略化しようと思っているのでかなり大幅な変更を余儀なくされています(それをしているのは自分だけど)

 

今日と明日(医者の予約があるので半日だけ) そして土日の勝負です

50年経っても、夏休みの最後は地獄です(笑)

信じられないッ!!

私も夏休みになり、夫と娘が仕事でいない時に一人でクーラーをつけるのがもったいなくてマンションの共有のラウンジでPCでネットサーフィンしたりして過ごしています。

ワークスペースになっているブースが3つと真ん中に仕切りのある6人掛けの大テーブルがあり、私も夫も一番奥のワーキングスペースを利用することが多かったです。前にも書きましたが、夫以外に30~40代くらいの女性とワーキングスペースを取り合う?ことになりますが、お互い何も言わず、普通に「先着順」です。

管理人さんが8時出勤でお掃除をしてエアコンを入れてくれるので私は8時半~9時ごろにラウンジに行き11時半ごろまで遊んでお昼を食べに部屋に戻り、気が向いたら1時半~4時ころまでそこにいました。

でも、午前中にお買い物に行ったりするとそのまま終わって、結果として夏休みに突入してなんだかんだで1ヶ月ほどになりますが、私が利用したのは5~6回です。

それでも、なんとなく申し訳ないような気分でいたのですが、管理人さんは「皆さんが共有していただけるスペースなので遠慮なく使ってください」って言ってくれていました。

夫は主に木曜日のテレワークの日と、本来なら仕事のない金土に自主的な(結局はサービス残業?)のためにだいたい週に3日ほど利用しています。

私は春休みに娘とプールに行っていた回数券が残っていたので夫がテレワークをする日はプールに行くことにしました。

 

で、それは私がプール、夫がテレワークでラウンジを使っていた時のことです。

プールは夏休み期間は9時からなので11時ころに家に戻ると、夫が部屋にいました。

「下でやってるんじゃないの?」と聞くと

「若い男性が後ろのテーブルでテレワークを始めたんだけど、ウェブ会議みたいでその時に『コロナで自宅待機なので声がガラガラですみません』と言っていたのでびっくりして戻った」と

思わず「はああああッ!?」でした。

「家族がコロナとか?」と聞くと「背中側にいるのでよくは見えなかったけどマスクはしていたとは思うけど何度もせき込んでいたし『声が出にくくて』と相手に断っていたから本人だと思う」と。

「コロナに感染していて自宅待機の人がマンションの共有のラウンジを使うなんておかしいでしょ!!」って私は大騒ぎして

すぐさま管理人さんのところへ飛んでいきました。

管理人室の窓はエントランスにあって、そのエントランスからすぐのところにラウンジがあります。なので、そこを通らない溶けないのですが、確かに若い男性が大テーブルでPC作業をしていました。そして私が近くを通りかかるとこちらをうかがうような眼をしていました。私は管理人さんに小声で「すみません、ちょっと相談があるので向こう側からお願いします」と言ってエントランスから少し離れたエレベーターホールの管理人室の出入り口の方に管理人さんに来てもらって状況を説明しました。すると管理人さんもビックリ。私はもしかしたら自分がクレーマーなのかと思って心配していましたが、やはり「普通」であればいくら5類になったとは言え、自宅療養を言われているコロナ患者がマンションの共有部を使うのはおかしい、と管理人さんも言いました。で、「確認してきます」と言って出て行かれました。私はそこにいてチクったのが自分だと思われるのも嫌だったので部屋に戻りました。(エレベーターを使わずに階段で)

その後、私も夫も部屋に籠っていましたが、夫がしばらくして1階に行くと、その男性はおらず、そのあたりにアルコールの臭いが充満していたので消毒もしてくれたのだと思う、とのことでした。

翌日、朝からお買い物に出かけるためにラウンジを通ると20代くらいの女性が大テーブルで作業をしていました。

「やっぱり、パパだけが使っているわけじゃないから報告しておいてよかったよね」と言うと「そう言えばあの女性も時々作業をしている」とのこと。他にも小学生が大テーブルでトランプをして遊んでいることもあるとのことでした。

その日の夕方、メールボックスの前で管理人さんにあったら、経緯を説明してくれました。

確認したらやはりコロナで自宅療養5日目だったそうです。それまでは確認したら4日目も使っていたようです。本来なら私もその日は使おうと思っていたのですがプールのチケットがあったのを思い出して出かけた日でした。なのでセーフ! と思って「いつもうちばかりが使っているみたいで余計なお世話かと思ったのですが今日もあの女性の方が使っていましたよね」と言うと、「実はその4日目に、あの女性も同じテーブルを使っていたんです」と。

「えええッ!」って感じです。夫はその人が10時ごろにウェブ会議で相手方に説明するのを聞いて慌てて部屋に戻ったのですが、管理人さんに「もしも、コロナの症状とか出たら報告してくださいね」と言われました。

でも、その女性はうちよりまだ感染力が高い?前日に半日?くらい一緒にいたようです。

「デリケートな事なので、その女性に知らせるわけにもいかないので上に相談してどうするか、迷っているところです」とのこと。 その女性がコロナ発症してもまさか、その時一緒にいた男性がもしかしたら感染源、とは思いもしないでしょうし、実際、移した移さないで責任は問えないようですが、でも「常識に欠ける」行動をした責任は取ってもらいたいです。

で、掲示板への注意書きも「特定を避けるためにしばらく時間をおいてから注意喚起を乗せるかどうか上の判断待ち」なのだそうです。

でも、管理人さんはその人から話を聞いた後にラウンジもエレベーターもボタンや色々、念入りに殺菌をして回りました、と言っていましたが、普通はそういう危険性を考えますよね。周りにどれだけ迷惑を掛ける事か。いえ、そもそも夫がたまたまそれを漏れ聞いたからこそ、そういう対応にもなりましたが、その前日には私もエレベーターも普通に使ったし、どこを触ったかなんて覚えていません。その時に感染しているかもしれないです。それに今はマンションの「内見会」が開かれていて、来客も多いです。(逆に言えばそういう人たちがコロナを持ち込むこともあるのかもしれないけれど) もし、その来客から「あのマンションでコロナを拾ってきた」なんて噂になったら、販売会社、運営会社としても大変なことになると思います。

さらにうちのマンションは最近新しく入った人は1歳未満の子供を持っている人が多いみたいベビーカーの赤ちゃんをよく見かけるようになりました。ベビーを乗せる自転車も一気に増えました。小学生もメッチャ多くなりました。こんな状況で、考えなし?の自己中サラリーマンのせいで、とんでもリスクが拡散されることになるとは・・・

 

今のところ、マンションライフはとても快適で、楽ちんでいいと喜んでいましたが

こんなリスクがあるとは想定もしていませんでした。

近隣トラブルがあった時には一戸建てよりマンションの方が出ていきやすい、と言う人もいますが、さすがにこの年で、今更また「終の棲家」を探す財力も体力もありません。

 

良識がないのはこのサラリーマンだけだと思いたいのですが、オバサン特有の「イマドキの若い人は」と言う感覚にもなりつつあります。

その若い人が圧倒的に多いのがさらに憂鬱の元です。

断れない性格

一人で過ごす夏休み、やることもないので、運動がてら少し離れたショッピングセンターに行くとカー〇スの「無料血管年齢検査」と言うのがありました。

少し時間に余裕があったのでやってもらううちに「体験」に来てください、と言われ言葉を濁してはいましたが結局出向くことに。

で、絶対断るぞ、と気合を入れていったものの「とりあえず、登録だけでも」と言われて署名をしてしまいましたが、どうみても入会申し込みだよな、と。

ただ、登録はその日でも2週間の無料体験があって、それが終わってから本登録になり、体験初日に正式に申し込みをするので、そこで断っても全額返金されるので大丈夫です、と言われました。 断り切れなくて申し込みをして帰ってきましたが、よくよく考えると「全額返金」と言うのはとりあえず入会金が引き落とされ、その後での返金、と言うような感じです。

今はまだクーリングオフがきく期間なので、このうちに急いで撤回してこようと思ってはいますが、出向けばまたミイラ取りになるし、基本クーリングオフって書面がベストのはず。でも、そんな面倒はするのかな? とりあえず、名の知れたところだから、あくどいやり方はしないだろうとは思っているのですが… あまりにフレンドリーに「一緒に頑張りましょうね!!」とトレーナーさんに言われて落ち込んでいます。

過去にこれはあくまでも自分の意志で入会したスイミングも、中々 行けなくて月に1万円くらいの会費をそれこそ月に2~3回利用する程度。最後は半年以上無駄に会費だけを払っていた状況でした。運良く?コロナ騒動になってそれを大義名分にして退会することができましたが・・・

今回も入会金(半額キャンペーン中)と1年継続割引の月会費とを払ってしまえば、おそらくほとんど行かないままでも月に7000円程度を払い続けることになりそう。ここはやはり意を決してお断りしなくては・・・ でも、ハードル高いなぁ・・・

実はつい最近も、うっかり「女性用かつら」のおじさんと話をしていたらいつのまにか17万もするウィッグを買うような流れになってしまいました。でも、その時は本当に急いでいたのでそのお店に出向くと言う約束だけをしてブッチしました。ここでは名前も住所も言ってなかったので逃げ切りましたが、今回は全部書き込んであるし・・・ とりあえず、今週末までには決着を付けねば、と思っています。

あとは、今のマンションに移る時に管理費等で月に35000円程度かかるけれど、将来的には車をなくす方向で、なんて言っていたくせに、マンションの売り出しが進み、駐車場に空きが出たようで「2台目用に15スペース希望者募集」と。で、2台目の車もない癖に申し込んでしまいました。ここで娘とあれこれ揉めて大変な思いをしました。

私が2台目の駐車場が欲しかった理由は将来的に娘が車を持つ可能性があるのでは?と思ったからで、その時にスペースが確保できないのでは、と心配したからです。駐車場代は月に7000円。1年で10万余分に必要です。もし、もう一台車を持つとなればさらに大きなお金が必要です。今、夫が車を使うのは週に2日だけなので、「それ以外は自由に使える癖になぜ2つ目のスペースが必要なのか」 「お母さんは昔から私に『お金がない』 『無駄遣い』 『もったいない』と言ってほしい物も買ってくれなかったくせに」と

ここでまた過去の話を持ち出されて責められました。ここが今もネックなのですが、私は確かにドケチでしたが、本当に子どもが欲しいと言ったものをNoと言ったことはありません。確かに「高いなぁ」は言ったかもしれませんが・・・ 習い事だって娘は4つやっていたし、海外旅行だってヨーロッパを中心に5~6回は連れて行っています。それでも「お金がない」って本気で思いこませたのが私のせいなんだそうです。そのために「自己肯定感が育たなかった」っていつも言われます。悲しくて悲しくて・・・ この駐車場を借りようと思った時、たまたま霊視の先生の鑑定があったので「この駐車場を手に入れると言うのはダメでしょうか?」と聞いたら「全然大丈夫ですよ。駐車場があるから車を手に入れる、もしくは車を手に入れたいから駐車場が目につく、それはどちらであったも大丈夫です」と言われました。そして「自分のためではないんですよね?」と言われ、ああ、そうだ、娘に中古の軽自動車を買ってやりたかったんだ、と気づきました。そしたら霊視の先生に「娘さんが可愛くて可愛くてたまらないんですね」と。

それまで、私は娘がメンタルを病んでから娘に対してずっと「贖罪」の気持ちで生きているのだと思っていました。でも、霊視の先生は「娘さんが可愛くてたまらない」のだ、と。

正直目から鱗でした。娘に責められ続けて、本当自分自身が消えてなくなるか、いっそ娘がいなくなってほしいとすら思っていたのです。でも先生は「娘がかわいい」と、それが私の根源なのだ、と。もう本当に号泣しそうでした。

でも、その日、帰ってきて「駐車場もう一個申し込もうと思う」と言ったら、娘に罵倒されました。そして最後に「お母さんのお金でやることなら勝手にすれば」と。 そもそも最初から私のお金から出すつもりでした。私専用の軽自動車、という名目で娘がいつでも使える車も併せて・・・ 過去にもiPadも本当は夫の物だったのに娘がずっと独り占めしていました。いらない、と言いながらあれば使うのに、と(しかもほとんど私物化)

それを今回は車で・・・ と 考えてみれば本当に盛大な親ばかで、こういう限りない甘やかしが娘の自立を妨げているのですが・・・

最近やっと無職の時も年金や健康保険料を自分で払うようになりました。実は今までずっと請求書が来ると娘に見せることなく先に私が全部払っておきました。でも、私が仕事に行き、娘が家にいるようになったせいで自分あての請求書に気が付いたようです。で、払い込むようになりました。無職の時(半年、何もしていませんでした)にはきつかったのでは、とまた「私が払っておけば・・・」と思ったりしてしまいました。

でも、そんなところはすっ飛ばして、私が2台目の駐車場に7000円「無駄遣い」しようとしたことから過去の事を責め立てました。私は思いが伝わらないのが悲しくて悲しくて・・・

でも、私は確かに先生に言われるまで自分の思いを気づいていないし、どうしてそう思ったかを隠してしまっていました。普通であっても伝わらないのに、何重にもベールに包んだ思いなど通じなくても仕方ないかも知れません。

 

どうして、人の心はこれほど複雑なのでしょう?

自分の優柔不断さが嫌になります。あしたはクリニックの日です。ここでストップがかかったと言わけしてキッパリ ジムのクーリングオフをしようと思います

夏休み

成績処理では結構手こずりましたが、結局、1がつく生徒のほかの科目の様子をチェックしてみたら、少なくとも3つ4つは1が付いていました。講師室でも今年から成績処理の方法が変わったせいで「救済」がしにくくなったようで「もう1をつけるしかなくなったのでそのまま機械に任せて成績処理をした」と言う話ばかり聞こえてきました。私は担任にも掛け合って、何度も生徒に呼び出しをかけたり居残りしたり再試を何度もしたりと必死で1を回避するように頑張りましたが、それは全くの無駄な努力のようでした。彼らは1が付くことなんてなんとも思っていないようです。

なので、私が2学期以降も担当する4クラスで数名(そのほとんどは長欠)そしてほかの先生に引き継ぐクラスは3クラスで15人ほど1をつけることになりましたが、あとはその先生にお任せすることにしました。やれやれ・・・です。

最後の授業は調理実習でしたが、クラスによってバラバラでした。正直、今までだったらもう一品くらいできたのに、一つ作って(しかもお持ち帰り)片づけるのが精一杯でした。ホンット疲れました。その調理実習に絡んで2クラスの担当の先生から生徒についての要望?を言われたのですが、どちらも実習に出ていなかったので私は欠課にしておいたのですが、学校には出ていたようで、それなのに欠課とは・・・とそれぞれ担任が調べたら、体調不良で教室にいたとのこと。正直、今までも授業中に「おなかが痛いのでトイレに行ってきていいですか」と言って抜け出す生徒がやたら多かったので、トイレに行きたい生徒をダメとは言えないので行かせるけど、15分経っても戻ってこなかったら黙って欠課にしてました。なので、正直、今回もそのクチだろうと勝手に解釈して「今この場にいないなら欠課!」としてました。ところが一人は学校に来る前に途中で倒れてなんとか学校に来たものの保健室に行っていて、その後教室にいた、と言うのです。なので「ほかの生徒を彼女につけておくとか保健室に連絡しておいてほしかった」とのこと。私からすれば はあああ?です。普段の授業でも「保健室に行ってて遅くなりました」と言って途中で来る生徒はいます。その時には「授業は受けれるの?」と確認します。でも、今回は調理室で実習中で、その生徒は調理室には一切顔を出さずに「教室で待機していた」のだそうです。そんな事情を知らないし、生徒に聞いたら「学校には来てたけど、どこにいるかはわからない」と。その状態を「サボりだ」と軽く見てしまったのはいけなかったのですが、そういうケースがある事など、今まで一度もありませんでした。なので私からすれば「想定外」の出来事です。もう少し、非常勤講師にも情報を共有しておいてほしいものです。

で、もう一人は授業の途中で担任が連れてきました。でも、実習中なので「試食室の机につかせておきます」と言われ、手の空いた時に見に行くと泣いているんです。さすがにこの状況で放置もできず、しばらく背中をさすっていたのですが、他の実習中の生徒たちを放置することもできず、彼女の嗚咽が収まったところで実習室に戻りました。そしてしばらく生徒たちの指導をしてふと試食室を見ると彼女がいない・・・ すぐにそのあたりの生徒に聞くと「さっき、黙って出て行ったよ」と「えええ!」とパニクる私に生徒が「探してこようか?」と言ってくれて頼んだところ、すぐ近くの階段の踊り場に座っていたようです・・・ もう、ホント 疲れました……

 

さて、そんな大変な調理実習を含めて1学期の授業も終わり、夏休み突入です。

世間は死ぬ程の暑さで、マンションの部屋も地獄の暑さ。

夫も娘もお仕事でいない、一人だけの状況でクーラーをつけるのはもったいない、と言うことでマンションの共有ラウンジでPCを広げています。

夫がいつもリモートワークの日と自主的にお勉強をするときに使っています。夫は週に2~3日ですが、いつも朝早くから行って一番いい席を陣取っています。時々 2~3人利用している人がいますが、早い者勝ちみたいな感じです。でも、夫が使う席が一番使い勝手がいいようです。(個人スペース3個のうち一番奥) 3つあっても普通、お隣にはなかなか座れませんよね。なのでこの3つのスペースは一番奥、そして手前のどちらかを使う人がほとんどです。大木は机があって6個いすがおいてあるので、最大9人くらいは作業ができるのですが今まで2人以上が同時に使っているのを見たことがありません。と言うか、私もお仕事をしていたので日中の様子はわかりません。

入居者もかなり増えたので、去年、私がすることがなくてこの場所を数回利用していた時より利用する人が増えたのでは?と思っていたのですが・・・

いずれにしても小学生がめっちゃ増えたのは間違いないので明日から夏休みに突入したらどうなるのかな?

 

あしたも殺人的な暑さになるようなので、私も朝一で陣取ろうと思ってはいますが(笑)

一応、明日やろうと思うことは見つけたので、今日のようにダラダラ ネットサーフィンしているのとは違うのですが

でも、やることなくてここに陣取っているオバサンは迷惑かもしれません・・・

ブチ切れそう!

被服実習が期限内に終わらないと「居残り」と言う事を実習の最初に言ってあります。実習が始まってからは「間に合わない」生徒が続出。なので、何度も「月~金の昼休みと火~金の授業後も居残りをするから」と伝えてました。最後の授業の日、半数以上が仕上がっていないクラスがありました。その当日に来るように言ったところ、コマッタちゃんズが10名以上来ましたが、騒ぐだけで完成には至りませんでした。結果として、このクラスは15名ほどが未完成です。

このクラスの女子数名が「家に持って帰ってやってきたらダメ?」と聞くので「お持ち帰りは0点」と。これは授業の時にも「必ずおいてあるケースに入れていき、持って帰ったら点を付けないよ」と言っていました。にもかかわらず、女の子を中心に5~6名分のキッドがなくなっていました。なので担任の机に「未完成者」の名簿と、キッドが不明であることを書いておいて金曜日の6時過ぎに置きました(担任の先生が不在だったため)

月曜の朝、8時半ごろに私の居室に行くと一人の生徒の未完成状態のキッドが机に置いてありました。

「家に持ち帰ったら0点!」を思い出した生徒が慌てて返しに来たものだと思います。そもそも勝手に持ち出したものをどうやって返すつもりだったのでしょう? だって「持ち帰っていいですか?」と聞いた生徒には「持ち帰りはNG 」ときっぱり言ってあります。

提出しなければ当然点がつかないのですから、どうにかして出さなくてはいけません。その時に シレッと被服室の各クラスのボックスに紛れ込ませるつもりだったのかもしれません。

でも、そのボックスが被服室に置いてあるのは実習(居残り)がある期間だけのつもりでした。居残りが終わったので私はそれを居室の開きの中にしまい込みました。もうこれで勝手に紛れ込ませることはできません。どうしたって手渡しに来るしかないのです。

特別教室のカギは職員室にあり、生徒は勝手に持って行ってはいけないことになっています。

今回、私の机の上に置いてあったキッドは職員室の先生のどなたかが、生徒に頼まれておいて行ったものだとは思うのですが、それにしてもその先生も一言メモ帳でいいから残しておいてくれるか、どこかで会った時に事情を説明してほしかったです。ワケわかりません。

このクラスの担任が「試験だけは来ると思いますので試験の最終日に居残りをしてもらえると助かります」と言うのでしぶしぶOKしました。でも、本当の期限はその1週間前で、どうしてもまにあわない場合は、と念を押しました。ところがその日に来た10人くらいのうち半数は騒ぐだけ騒ぎ、他のクラスの生徒に迷惑を掛けた挙句未完成のまま帰りました。「最終日でいいんだよね」と言い残して・・・

もう、ホンットいい加減にして! と言う感じです。

 

さてさて、そこまでがいつも通りの「前置き」なのですが、うちの学校はコマッタちゃんが多い学校なので試験期間だからと言って勉強をする、と言う認識がありません。私はその日3時間目まで試験監督がありましたが、うちの生徒の大部分は2時間目で試験が終わりでした。なのでその3時間目に「居残りさせてください」と。実は翌日も私は1~3限が試験監督で、それ以降は出てこなくていい日です。なので、本人がやると言うのであればその日のうちの方がありがたかったので同じクラスの女子4人だったこともあり、許可しました。私が試験監督が終わるまでに終わったら箱に入れておくように、と専用の箱も用意しておきました。念のためにコマッちゃんが多いクラスの未完成者の作品も机の上に出しておきました。

試験監督が終わって被服室に戻ると生徒たちはまだやっている最中でした。他の生徒はいませんでしたが「誰か来た?」と聞くと「他のクラスの女の子が『教室でやる』と言って持って行った」とのこと。そのご、その4人の子たちの様子を見て提出までさせたところで、コマッタちゃんズの教室へ行くと3~4人のグループがいて、その中の一人が作業をしていました。(とっくに終わってだべっていたらしい)

「勝手に持って行ったらダメだよ」と言うと「先生がいなかったからしょうがない」と。実はその生徒は最終日にお休みしてしまった子だったので、まあしょうがないかな、と。

出来たという作品は実はまだ終わっていない部品があったので「これはまだ未完成だよ」と言うと「持って帰ってやってきたらダメ?」と言うので「ダメ」と言うとそこにいた男子が「なんでダメなんだ」と。「持ち帰ったら誰が作ったかなんてわからないでしょ? 優しいママがやってくれるかもしれないし」と嫌味っぽく言ってしまいました。「そもそも持ち帰ったら0点だと最初から言ってあるでしょ」と。するとここで「そんな話は聞いていない」 私からすればマジで「出たよ~~~」と言う気分です。とにかく、彼らは何かと言うとすぐに「そんなの聞いていない」と言います。それは私からすれば「あなたが聞いていないのでしょ」と言う事なのですが、彼らはそれを「先生が言っていない」と言う意味で使います。これはあり得ません。どこの授業でも必ず最初に言う事なので。でも、彼らはすぐに徒党を組むと言うか、大きな声を出したものが同調圧力を掛けます。この男子生徒はさらに「ここにいる全員が知らないと言うんだから言っていない」と。「必ず、どこのクラスでも言っている」と言うと「集中して作業をしている時にそんな言葉など聞こえるはずもない。相手に伝わらなければ言っていないのと同じだ」と。フ・ザ・ケ・ル・ナ!!!

そんな理論が世間で通用すると思っているのか! とブチ切れそうになりました。

授業中に先生が言っていることを自分の勝手で聞き逃しておいて「伝わらないのが悪い」

 

 

ああ、でも、彼らはそういうタイプでした。思い出しました。口で言ってもわからないから黒板に書かなくちゃいけませんでした。黒板に書いても「知らなかった」と言われるからプリントにして、それをさらに読み上げて、確認までしなくちゃいけなかったのです。そこで念押しをして「ちゃんと説明したから間違ったら自己責任だからね!」と 

そこまでしても、やっぱり「聞いてない」とか「知らなかった」と言う生徒が出てくることもあったのに、3年、現場を離れていたせいで、忘れていました。と言うか3年前、担当した生徒は特進科の20名程度と女子クラス2つだったので、そんな屁理屈や注意が必要ではなかったのです。だから、今回のようなことは想定していませんでした。

とにかく、このコマッタちゃんズの科があまりにひどくて(1年時の噂)だから私は 「この科だけは担当したくない」と言ってあったのです。(実際、7月からは産休で戻る先生に返す) 

実際、今回のテストを返したらこのクラスとは縁が切れます。もう我慢できないので、テストの採点と再試は担当しますが、被服実習に関しては産休で戻る先生に丸投げするつもりです。

申し訳ないけれど、私だって7月からお給料半分になるのだから、関係ないクラスの面倒を見る義理はありません。そう思いきることにします。

この生徒を探しに教室に行った時に黒板に 英語の先生から「ノート未提出者、期限までに出さなければ『1』をつけます」と書いた紙が貼ってありました。名簿にチェックをされていたのはザラっと見ただけでクラスの半数くらいでした。他の科目の「未提出者リスト」も貼ってありました。

・・・すべての科目がこんな感じみたいです。

うちの学校のレベルが低い事はわかっていましたが、昨年から開設されたこのコースのひどさは群を抜いています。かつて指導困難校と言われた工業でやってきた私からしても、そのレベルよりはるかに下だと感じます。市内の最底辺を全部引き受けたのではないかと思うくらい・・・ 

このレベルの生徒を進級させて、卒業させて世間に送り出していいものなのでしょうか?

かつての工業だったときは退学者続出でしたが、私学なのでなるべく退学者は出したくないのかもしれませんが、指導で謹慎中の生徒もこの科は多いです・・・ それでも平気で戻って来れる図太さと言うか学校の対応の甘さにもうんざりです。

3時間目の試験監督をしていた時、隣のクラスは2時間で終わりだったようですが、余りに騒がしいのでドアを開けて「他のクラスは試験中だから静かに!!」と2回くらい叫び、うるささの漏れる後ろのドアを3回も締めに行ったのに(担当している教室を開けるわけにいかないので手を伸ばして隣の教室のドアを閉めただけ) けっきょく30分くらいは騒がしいままでした。私は進学校だったので(私の科は職業科ですが)試験期間中は、みんな我を争って急いで帰り翌日の試験に備えていました。

答案用紙を職員室に戻しに行った時に教頭先生に「3時間目があるクラスもあるので注意してください」と言っておきました。教頭先生は苦笑いで「いつも言ってはいるんですがね」と。すると生徒指導の先生が慌てて「すみません、もう一度徹底して対処します」と(この先生は昔から見た目も雰囲気もメッチャ好き・笑) さてさて、私は明日も3時間目まで監督です。どうなることやら。