7本指のピアニスト

サワコの朝」で中川悟平さんの回を見ました。(途中から)

素直に演奏に惹かれるものがあり、たまたま図書館に行く機会があったので中川さんの著作「7本指のピアニスト」を借りてきて読みました。

文章を読んでいると、どちらかと言えば軽いタッチでなんだか、とってもラッキーと言うか恵まれているような印象を受けました。

でも、じっくり内容を吟味していくと、とてつもない試練を乗り越えて来た人なんだ、と改めて感銘を受けました。

(私は昔から読書感想文とか苦手で、感じたことをうまく伝えることが苦手で陳腐な言葉しか出てきません m(_ _)m)

もしも、この方がジストニアと言う病を患わなかったとしたら、この人のことは単なる運に恵まれた成功者と言う形でしか知るすべはなかったと思います。むしろ、人の成功が妬ましい、卑しい人間の私は順風満帆とかバリバリに成功している人のことを認めることなどなかったと思います。

私はいつも自分の不運とかうまく行かないことに対して、諦めと言うか虚しさばかりを感じていました。絶望感を味わって、その一方で ある意味、前向き?に努力が足りないせいだ、と自分を責めたり・・・ でも、結局は、いつもそこに留まっていました。

私は努力が好きだ、努力をしていると、その自己満足だけでも味わおう、と

でも、私って一体何を努力したと言うの? 何を頑張ったって言えるの? と、本当に努力をした人の前で打ちのめされた感じです。

この方はどんな時も本当にポジティブな感覚を持ち続けていました。

言葉にしてしまえば簡単かもしれませんが、その言葉の裏にこそ本当に果てしない努力がありました。ポジティブを単純に楽観主義、とだけ表現するのはどこか違う気がします。

もちろん、元々の気質として物事をポジティブに捉えられるのはとても羨ましく感じます。私にはとても無理だと思うからです。でも、だからと言って諦めるのは辞めることにしました。

ネガティブであっても良いのだ、と思います。私はブラックマヨネーズの吉田さんの言動が結構好きです。ネガティブも極めればお笑いになるって感じました。(というか、あの人の場合はとにかく頭の回転の速さに舌を巻くのですが)

私、と言う人間が何なのか、見つめることができればいいな、と思います。

 

ちなみに、この放送と本をきっかけに、あらためて「音楽」の素晴らしさを実感しました。

娘がメンタルをやられて、私自身も追い詰められていて、本当に死んでしまいたいくらいしんどかった時に、私は賛美歌の「ひさしく待ちにし」を大音量でリピートしながら1時間かけて車を運転しメンタルクリニックに通っていました。

この曲だけがまるで救いであるかのように・・・ そして実際に救いでした。

「主よ 主よ み民を 救わせ給えよ」と。

残念ながら私はキリスト教徒でもなんでもありません。かれこれ45年も前の中学生の時に「ナルニア国ものがたり」がめっちゃ好きで、このお話の底辺に流れるキリスト教的な価値観?を知るためにキリスト教について調べたことはあります。大学の時に少しだけ在籍していたコーラス部で宗教音楽に触れて、アベ・マリア、サルヴェ・レジーナ、エレミア哀歌の歌詞はラテン語で今も

暗記しています。でも、正直言って、歌詞の内容は理解していませんでした。キリスト教については今も全く宗教的価値観を見い出せません。むしろあらためて「八百万の神」のありがたみを感じることが多いです。

子どもが小さかった頃から毎年クリスマスにクリスマスキャロルのCDをかけていましたが、それも全てラテン語か英語だったので「きれいな曲」という認識しかありませんでした。それが数年前、図書館で借りてきたCDが日本語の賛美歌集で、そこに「牧人ひつじを」「天には栄え」などが入っていました。そこで私の好きだった曲をやっと日本語で理解しました。このCDの中にあった「ひさしく待ちにし」が、その後、本当に私の命を救うことになりました。あの頃、私はこの曲の洪水の中に沈まなければこの世から消え去っていただろうと思います。音楽の力・・・と簡単には言えないのですが、音楽にはそれほど力があるのだと思います。

おそらく、それまでに何度も聴いていた曲であったとしても、何がどこできっかけとなるかは知れません。他の人にとっては取るに足らないモノ、むしろその時以外の自分にとっても取るに足らないモノ、それが運命を変えるものにすらなりうる・・・

まさに運命なんだな、と思います。

 

私がクラッシック音楽を聴くきっかけになったのはおそらく、子供の頃に母が買ってくれた「ピーターと狼」だと思います。解説付きで、楽器で人や動物を表す、と言うのがとっても斬新だった気がします。あと、小学校のたぶん2年生だったと思うのですが、音楽の授業でやった「軽騎兵序曲」 

中学生になって、成績がよかったらレコードを買ってやる、と言われて頑張ってゲットしたのが「アルルの女」と「軽騎兵序曲」が入ったものでした。

これ以降、時々クラシックのレコードを買ってもらいました。そこで、気がついたのは私は「行進曲」が大好きだということ(笑) そう言えば小学校4年生の時になぜか鼓笛隊に選ばれ(この時の担任に贔屓されていた自覚はある)「軍艦マーチ」をリコーダーで吹いた覚えもあります。リコーダーが苦手だったので泣きながら嫌というほど練習しました。その時はあまり好きでなかった気もしていましたが、今でもソラでふけると思います(笑) そう言えば、トルコの軍楽隊の音楽も大好きです。上皇陛下のご成婚の時の作られた「祝典行進曲」の作曲者が團伊玖磨さんだそですが、お目にかかったことがあります。当時、入っていたコーラス部がよそのコーラス部とジョイントした時、その団の客演指揮者をされていました。先輩が「サインをいただく!」と興奮していましたが、当時の私は無知だったのでへ~と思って見ていただけでした(笑)

考えてみれば、私はあまり、物を調べないし、体系的にも見ない人間なんだなと思います。

これもエニア的なのかも知れませんが、感覚だけです。好き! とか 心地良い!とか

とにかく、その時の自分の感覚だけが全てです。それが何かとか、調べたりするのはいつも随分経ってからです。感情もあとから付いてくる感じです。

私はただ、その時その時、音の洪水の中に身を委ねていたい人のようです。

思い起こせばちょうど30年前になりますが、耳鳴りが始まりました。最初は1日中頭に鳴り響く金属音に気が狂いそうでした。特に夜など静になると眠れなくて

あれほどの苦痛も慣れてしまうものですね。今も耳鳴りは続いていますが気にならなくなりました。でも、やっぱり体調が悪くなると金属音が大きく聞こえます。

なので私にとって音の洪水は今も時々必需品です

その曲の選択肢が増えるのはありがたいのかも知れません

「真我の実践」

去年、体調が悪かった時に通っていた耳鼻科の特殊外来の最後の日に先生が「これからはこれを目指しなさい」と書いてくれた言葉が 『真我の実践』というものでした。

「『真我』とだけ書くとわかりにくいから」と「実践」を加えて読みやすいよう、実感しやすいように、と言う配慮です。

それをしばらくPCの前に貼り付けていたのですが、年末大掃除の時に片付けてしまい込んでしまっていました。

この言葉を頂いたときには、その先生はとりあえず治療を卒業、と言う感じで「また何かあったら来てください」と

私も本当に心が軽くなって感謝していたのですが、どこかまだ余裕がなかったせいか、その「真我」 が何か、というのを調べる気もありませんでした。

つい最近、娘が借りてきた英語を身につける本をちょっとだけ興味を示したら「読んでもいいよ」と渡され、未だ本を読む気力も戻らなかったのでついつい軽く放置してしまいました。そしたら娘の逆鱗に触れ、慌てて「もう少し待って、ちゃんと読むから!!」と

こうしてやっと本を読み始めました。で、元々、英語を習うためにロングステイをしようか、なんて考えるくらいは本気で英語に取り組みたかったので、とっかかりとしてとりあえずDSソフトの「えいご漬け」がどこかにあったはずだと探していたら、自分の記憶していたところにはなく、そこにたまたま入っていたのが「速読」の本でした。ココ最近、本当に本を読むのが億劫だったこともあり、これは試してみるか、と。おそらく私のお得意の「買っただけで放置」 積読本のうちの1冊だったと思います。これは「速聴」のCDがついているので本を読むのが億劫でも取っかかれるな、と思った次第です。

3倍速、4倍速、10倍速で吹き込まれた音声をテキストを見ながら訊く、というものだったのですが、この中に中村天風氏と真我の話が出てきました。

ああ、すっかり忘れてしまっていた・・・と思い慌てて探すとちゃんと「真我の実践」と書かれた紙が見つかったので、とりあえずPCの前に貼っておきました。

そして、今日やっと、「そもそも真我って何? ついでに中村天風て誰?」とネットで検索してみました。

ザラッと書き出すと

『真我』とは、古代インド発祥の宗教から派生した言葉で、「本当の感謝をすることで引き出される「本当の自分」 宇宙心であり、無限の調和の愛のエネルギー

という事らしいです。

そう言えば、一時期、自己啓発本に凝っていていろんな本を読んでそのほとんどに「感謝」ってあったな~、私に足りないのは感謝の心、愛の心なんだよな~ と実感していた気がします。

でも、不思議とここしばらく自己啓発本からは離れていました。なぜでしょう?

交流分析の講座を習っていてどちらと言えば「自分の歴史」に重点が言っていたせいか、いや、そもそも 体調があまりに悪すぎて自己啓発に思いを寄せることすらできていなかったのかも知れません。

変な話、「感謝に感謝しなくなっていた」のかも知れないと思います。感謝されないことに不平不満は有り余るほどあるのですが、なぜか「感謝できない自分」をあまり責めていないのです。それで心が重くなっているわけでもないみたいです。 

ある意味、息子夫婦のように人に感謝しなくても(伝えなくても)恩恵を受けられる人もいるってわかってしまったからでしょうか(笑)

私は感謝を言葉として口には出さないけれど、いつも行動で示してきたと思っていました。でも、それでは伝わらないんだ、だから言葉にしなくちゃ、と焦って、さらに、それができない自分が嫌で嫌で・・・ 苦しくてたまりませんでした。

でも、なんだろう? 今は変な話、私は自分はよくやってる、頑張ってるって思えるんです。

と言うか、そう思えたのは今、このブログを書いている瞬間です。

忘れるといけないので、ついさっき調べた中村天風さんの名言で気にいったものを書き出しておきます

 

「今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に生きよ」

「持たなくてもいい重い荷物を、誰に頼まれもしないのに一生懸命ぶらさげていないか」

「終始一貫、勇気勇気で押し切るのだ」

「心も身体も道具である」

 

本当はもっと、感謝の心とか笑顔でいることとか、悪口を言わないこととか書いてあったのですが

今の私に響くものは上記のような言葉でした。速読の本に書いてあったもののほうがピンと来るものがあったのですが、未熟な私はまだ速読を初めたばかりで、1回読んだだけでは覚えられない老化現象に支配されていて響いたはずの言葉を書き出すことができません(笑)

でも、その本の中で中村天風氏の真我と著者の先生の 自分の人生の王座に真我を座らせる、と言うような事に なんとなくこの長い長いトンネルの先の出口を見出している気もします。

私はいつも焦っていました。

できない自分を嘆いていました。「できないではなく、やろうとしない」と言うのが娘の評価でした。私は自分もそれが事実だと思っていました。

でも、それでも私はたとえ1mmであっても、毎日ちゃんと前に進んでいると思います。イヤイヤであっても、やって当たり前のことでしかなくても、私にできることををやってきていたんじゃないか、と本当に今、気がついたのです。

不平不満を言うし、マイナス思考だし、自己弁護ばかりだけれど

私はそんな私でも良いような気がしています。

もちろん、もっと高みに向かうには自己啓発本にあるような生き方が正しいのだと思います。

でも「私は私」

ここで、私はやっと 以前の私の 一番好きだった「ゲシュタルトの祈り」にたどり着きました

 

ゲシュタルトの祈り

私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
私はあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたも私の期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ

 

 

私はこの言葉が大好きで紙に書いて貼っていたのですが、娘は嫌いだ、不愉快だ、冷たい、と言いました。

なので外してしまっていました。(当時、娘のメンタルの方ががかなりやばい状態だった)

その段階で、私はこの大好きな言葉を消し去ってしまっていました。

 

でも、今はもう、自分に嘘は付きません。

「私は私」 これだけが真実です。それこそ私にとってはそれがある意味「真我」です。

コミュニケーション心理の講座の最終面談の時に先生とお話をした時に「最終的にあなたが言ったことを相手がどう受け止めるかは『相手の問題』である」というような事を言われました。

相手とトラブルにならないような交流の仕方を学ぶ講座だったので、その方法を行使して行くことの大切さも学びました。でも、それでも相手と相容れないのであれば、それは「相手の問題」であって私の問題ではない、と。

今、あらためてそれを「聖なる諦め」として受け入れることができる気がしてきました。

 

エニアグラムと出会って21年、娘の心の病と付き合って11年、霊能のある先生と出会って5年、そしてコミュニケーション心理学を学んで1年半

その間に紆余曲折、本当にたくさんのことがありましたが、

今、この瞬間が一番、心穏でいられています。

 

一体、これは何なのでしょうか?

一体何があったのでしょう?

 

 

やっぱり

お正月以来 ナシのツブテだったお嫁さんからラインが有りました。

確か次の通院は3月だったな、こちらから連絡するべきかしら? と思っていたのですが、まあ、たぶん、お願メールがあるだろうな、と。それまでこちらからは我慢してました。

心配性の私は本当だったらせめて月に1回位は連絡がほしいのですが、迷惑かもしれないと遠慮していました。

今までに何度も痛い目を見ているので、基本、相手からアクセスがない限りはこちらからはアプローチしないスタンスにしています。

でも・・・本当は寂しい

息子とは決別するつもりだ、とこのブログを立ち上げた時に決意してたはずなのですが

でも、本当は気持ちを察してほしい。

家にいたときだって特に話をしたり一緒に何かをしてたわけではないのですが、でも私は本当は家族で出かけたりしたかったのです。

息子がオトナになって、子離れをして距離を置くのが良い親のつもりで

それまでだって少しも良い親だったわけでもないのに

すっかり疎遠になってしまいました。

毎日毎日毎日、私は家族のことばかりを考えて1日が過ぎます。

息子は結婚して家を出ているので、彼のことを心配するのはもう私の役割ではないけれど、それでも心配ばかりしています。

それが私にとっては唯一の愛情表現だったのですが

結局、誰にも私の思いは届かなかったのだと思います。

言いたいことも言えず、言わないくせにわかってくれないと怒り狂って、結局、家族から疎まれているんだな、と。

 

今回連絡があったのはお嫁さんからで、お嫁さんからの頼み事です。

息子からは何の連絡もありません。

お嫁さんと話をすると「息子くんから聞いているかも知れないですけど・・・」と切り出される話は毎回、何の連絡もないことです。東北への転勤の話(時期、期間も含め)、盆の帰省の話(来るつもり、来れなくなった話)、東北から帰る時の話、その後のお正月のすごし方などなど

結局、去年の4月、転勤する前に1時間くらい顔を出しただけで、その時にお嫁さんが5月に再手術になったので、その後のがんセンターへの送り迎えを頼まれました。その前の12月にがんの報告はお嫁さんから私のお誕生日おめでとうメールのついでにありました。その時に私から「手が空いているから病院の送り迎えはできるよ」みたいなことは言いましたが「毎回」だとは思っていませんでした(笑) 結局、コロナの不安があったので、この送り迎えのために私は仕事を辞めたと言うのが真実です。

でも、息子からの労いの言葉は、私からすれば「おざなり」に感じました。だって、年末年始、我が家に顔を出したのは年末1時間位と年明けに30分くらい。お嫁さんは我が家から車で10分くらいの実家にいたはずですが顔も出しませんでした。夜おそくまで何某かの用で出かけられる体力はあります(3回位、送り迎えを頼まれてした・笑)

こちらからの あけおめメールの返信だけで終わりではなく、せめてお正月くらい顔を出してほしかったな、と言うのが本音です。

ついでに息子は年末年始は向こうのご両親と一緒にゴルフに行くとか言っていました。

お食事にもしょっちゅう行っています・・・ お父さんが社長さんなので美味しいお店を知っていてあちこち連れて行ってもらっているようです。会話もないし、お酒も飲めないうちのパパや無愛想な妹やウルサイ母親と一緒よりは楽しいのでしょうね・・・

私の妹からも「相手の家でかわいがってもらえてるんなら幸せだよ」って言ってもらって諦めてますが 本当の本当は 寂しいです。

でも、我が家ではやっぱり「寂しい」と感じるのは私だけのようです。

昔、山岸凉子さんの「アラベスク」という漫画に

「テナンは愛する時と憎んでいる時の表情が同じだったのよ」と言うセリフがあったのですが、私もそのタイプなのかも知れません。

だから、私の愛情は家族には伝わらなかったのだと思います。

もしも私がとっとと死んでしまったら、夫は平気で再婚してただろうな、って思います。とても優しい人だけどやっぱりどこかドライなんです。

夫に対して、私がどれだけ怒りや悲しみや失望を感じていても、私は最終的に夫の最期まで看取るつもりでいます。それはおそらくは愛情というより恩義だとは思うけれど

私は家族に対してはやっぱり絶対に見捨てることはできないのです。夫のことも娘のことも息子のこともそして縁あって娘となったお嫁さんのことも。苦手だから、と言って手を抜くことはできないし、むしろ、自分を犠牲にしても相手を優先するでしょう。

でも、でもね、私の心は寂しさでいっぱいなんです。

それだけはわかってほしい と そう思います。

いつになったらエンジンがかかるのか

娘が先週末からリモートではなくなりました。

なので今は気楽なはず・・・ですが、やはり私の気持ちは晴れません。

焦りばかりです。

昨日夫と将来のことについてもう少しきちんと考えよう、と言う話をしました。

夫は最低でも70歳まで働きたいし、機会があればその先も・・・と言っていました。

私の尊敬する霊能の先生は「76歳まで働く目がある」とおっしゃっていました。

私の仕事も「一旦やめたとしても、またやる事はできる」と言われて、実際に断りはしましたがオファーはありました。64歳で免許が切れるのでその先は考えていなかったのですが、私より4歳年上の方が、迷ったけれど、あと10年延長するために研修を受けることにした、と言っていました。私はその研修は3年後から5年後の間に受ければ良いはずですが、そのためには3年後にその仕事をしていなくてはいけないのかな? 微妙なところです。

今回断ったお仕事も「どうしても人が見つからなかったら考えます」とは言ってあるのでまだ再度依頼がある可能性もあります。もしもう一度依頼されたら行くつもりではいます(笑)

なんだかんだで25年はやってきた仕事なので慣れているし・・・

 

夫が70歳を過ぎても働いてくれるのはありがたいのですが、そしたら私は永遠に家事から解放されないということです。

昨日、改めて実感したのは私はとにかく家事をしたくない、ということ。

それは夫や娘に対する怒りなのだと思います。

百歩譲って台所の片付けができないのは私のせいだとしても、廊下や階段、庭やトイレの掃除

・・・これって私だけがしなくちゃいけないの? できていないことを責められなくちゃいけないの? 

先日の娘とのトラブルはお風呂から出る時、湯船の垢とか髪の毛を取っておいて、と言ったこと。娘は洗い場の髪の毛だと思ったらしく「片付けてない時に私が入る時、片付けることが何度もある!!」と 「普段からきちんとできていない人に言われたくない」と。

私が玄関の靴を出しっぱなしにしていることとか使ったものをその辺りに放置しておくこととかを引き合いに出して抗議されました。

そう言えば娘は昔から「自分ばかり言われること」を理不尽だと感じていたようです。

たまたま目の前にいた娘に「洗濯物干してきて」と頼む(娘からすると命令だそうですが)と「お兄ちゃんはいいの?」と文句を言います。娘は知らなかったかも知れないけれど、私が息子に洗濯物を頼んだ時「はい、は~い」と二つ返事でやってくれたことがあって、私はそれがあまりにオドロキだったので、延々友人へのネタにしていたくらいです。

少なくとも息子にものを頼んで「なんで、俺が?」とか「俺ばっかり」とか言われたことは一度もありません。私からすれば息子に対しても娘に対しても同じくらいにものを頼んではいたのですが

でも、娘はずっと「自分ばっかり」割りを食っている、と思っているし、それも「本当はお母さんががやるべきだろう」って思っていたんだな、と。

夫は娘のように口答えはしませんが、やはり物を頼むと不服そうです。そして、ハッキリキッパリ言って役に立たないので戦力外で頼みたくもないのですが・・・

でも、どれだけ私が一人でバタバタしていて、逆に夫はテレビを見ているだけのときでも「手伝おうか?」の一言もありません。せめて出来上がったものを食卓に運んでくれてもいいのに、と思うし、実際に何度も言っては来たのですが、毎回言われないと絶対に動きません。

この二人の態度に私は腹が立ってたまらないのです。いえ、腹が立ってると言うよりは「虚しい」が正解です。

この先も私は一人でイライラしながら、そして娘から非難されながら「やって当然の家事」をやっていかなくてはいけないのだ、と

それが嫌で嫌で・・・ 一人になりたいはそこでした。

 

実家へ行くと洗い物が流しに放置されっぱなしで、母が「ヤツがちっともやってくれない」と文句を言いますが、元は仕出し屋をやっていたので食器はくさるほどあるため、1日や2日放置したとしても足りなくなることはありません。(さすがに1日分くらいですが)

でも、母と妹の二人で流し台が一杯になるくらいの洗い物・・・って思うと、妹の長男夫妻が毎週のように食い出しに来て食べたものなんかもあります。

甥っ子のお嫁さんはホンット あきれるほど何もしません。伯母である私が洗い物や片付けをバタバタしていても素知らぬ顔でテレビ見ています・・・ 見かねた母が「わしが注意してやろうか?」というのだそうですが、妹は「自分が姑になにか言われるのが嫌だったから絶対に言うな」と。

「イマドキの子ってこんなもんだよ」って

そう考えると、うちの娘も典型的な イマドキの子なんでしょうね。

まあ、諦めるしかないのか  少なくともばーちゃんちに行ったら、うちの娘は少しは手伝うだけマシかも・・・

「おばさんが片付けしているのに知らん顔していられる嫁さんてすごいね」って言ってるし(笑)

まあ、でも人のことはよく見えても自分が見えないのはわかっていないかも知れません。

 

私は子どもの頃から母に「役に立たない」「気が利かない」「常識がない」と言われ続けて来て、それが本当に嫌だったので自分の子供には言わずに来ました。それで普通のしつけすらできなかったのは言い訳に過ぎないのかも知れません。でも、私は言わなくても行動で示していたと思っていました。夫の実家でも自分の実家でも率先して働いていたのに・・・ その姿を見ていれば自然にできるようになるのだろう、と。

大きな間違いだったな、と思います。でも、夫の母が同居していた孫娘に「あれをしろ、これをしろ」と口を酸っぱくしていっていたのに彼女は何もしませんでした。だから、言っても無駄、っていうのもあったのかも知れないと思います。

上手に日々の生活の中で物事を教えて躾けていける人が羨ましいです。

 

またまた、こうして 「やりたくない理由」のルーツまで持ち出してしまいました。

過去に縛られているのはやはり私です。

 

今までは頑張ってやってきたけれど、もう ここから先はやらない! 

もう、みんな自分のことは自分でやって!!

 

って言ってもいいですが?

 

1年は何年?

お題「#この1年の変化」

 

私は祖父が還暦の年に生まれました。

なので、こどものころ、祖父に年齢を訊くと「おまえと同じ」と言われて子供心にどうにも納得の行かないわけのわからない思いを抱いていました。

還暦は生まれた時の干支に戻るのですから、確かにまた0からのスタートと考えてもいいのでしょうか

でも、60年前の私と今の私とでは1年の長さが違う気がします。

今は本当に1年が羽が生えたように飛んでいきます。今の1年は昔の何年なのでしょう?

 

この1年の変化と言うお題があったので少しこの1年を振り返ってみました。

コロナの影響で私の生活は大きく変化したと思っていました。

その1番は、パートの仕事を辞めたこと

でも、元々多い時でも週に3日(たまたま前の年は途中から週5日でしたが)2年前は確か、週に2日のお仕事だったと思います。しかも現実的には1年間で出勤するのは70日くらいでした。

そう考えると生活にあまり変化はなかったのかも知れません。

週に1回、お嫁さんを医者に送り迎えしていたのが丁度、時間的には同じでした。

お給料に関しても、私の収入はなくなりましたが、夫が丁度私が月に稼いでいる分くらいの昇給がありました。

そうすると仕事を辞めたことでの大きな変化は私に「家での仕事時間が減った」ことと、人と接するストレスが減ったことでした。

さて、それ以外の変化は

私の体調不良が長く続いたこと、家族がリモート仕事をしたこと、

いざ書き出してみると、思ったよりインパクトが小さい(笑)

家計支出は前の年に比べると1割ちょっと減っていました。

外食はほとんどしていないのですが、なぜか例年より食費が年間で10万円くらい増えています。家にこもってゴロゴロしている時のオヤツのせいですかね・・・

被服費も外に出ていないのに全く変わらず(元々そんなに服にお金はかけていない)

それじゃ、一体何が減ったのか・・・ 答えはおそらく多くの人と同じだと思います。

「教養娯楽」

ここ数年は習い事も多かったので、実を言うと毎年100万を超えていました。でも去年は20万のみ。習い事だけではなく他の娯楽費も含めて(娘と二人でGoToを利用して1泊で京都へも行っている)なのでかなり少ないです。

コロナのおかげで研修等がリモートになったおかげで東京までの旅費、宿泊費がなくなったのも大きいと思います。

できれば、この先もリモートにしてほしいと思います。

夫の2度めの定年退職が来年になりますが、私の生命保険の年払いが来年の3月、5月で終わるのでこれだけでも30万くらい減ります。

なので夫の年金でギリ、暮らしていける気がしないでもないです。

きっと、モタモタしているうちにあっと言う間に「その日」が来るんでしょうね。

 

こうしてこの1年を振り返ってみると、ありがたいことに思ったほどにはほとんど生活は変わりませんでした。

普通に感じる「老い」を実感しただけで、それはコロナがあってもなくても変わらなかっただろうと思います。

ただただ、時間の概念が歪んでいくことだけを実感しています。

だってあれほど不安で怖くてたまらなかったコロナの始まりの頃が遠い昔でもあり、ついさっきのことでもあり

昨日のことも、5年前のこともなんだったら30年前のことも、同じくらいに感じます。

 

この10年、本当に辛くて辛くてしんどくて、どうにもならないと思っていたけれど、それでも時間は過ぎていくんだなーと

だから、コロナの1年なんて 本当に「たかが1年」でしかありませんでした。

 

 

 

一人

ここの所、異常に「一人になりたい」意識が働いてホテルステイプランやら湯治プランなどを検索していました。

5万円くらいで1週間~10日くらい滞在できそうで、本気で考えてみようかと思っていました。

しかし、昨日の夕食後、夫がリビングでテレビ、娘はとっとと自分の部屋に行ってしまったので、私も寝室にこもってボンヤリ スマホで色塗りアプリで遊んでいました。

そしたら、唐突に分けのわからない孤独感に襲われました。

そう言えば、結婚前も一人で自分の部屋にこもることがあったよなー と。なんだろう? 自由なんだけど孤独・・・ 一人っきり・・・

そう言えば、ここ数年は時々、東京に出かける時も一人なので、これと同じような感覚を味わっていたなーと

私が一人旅が嫌いだったのは、楽しみを共有できる相手がいないことでした。

娘との旅行が結果的に寂しくなるのは娘がイヤイヤ付き合っているかのように楽しみを共有してくれないせいでした。バスの中でのおしゃべりは、周りの人の迷惑でしょ!って。

うん、それは仕方ないよ。でも、一緒のテーブルに付いた人と何気ないおしゃべりをしても「相手が迷惑しているかも知れないのに」とか・・・ じゃ、自分たちだけのおしゃべりは? と言っても相手もしてくれない・・・

私は一人が好き、と言いながら でも、自分のことを見てくれる人はほしいみたいです。

一人でネットをしたり、本を読んだり それはある意味、一人でできる娯楽のはずなのに、なんだか虚しい

一人で好きなことをしようとしてもとてつもない寂寥感が襲ってきます。

 

もしかしたら娘が「春になったらまた北海道で農業研修に行こうかな」と言ったせいかも知れません。毎日娘の顔色をうかがいながら暮らしている今は、時々しんどくてしんどくて、だから夫からも娘からも逃げ出したくて一人になりたかったけど

でも、一人はやっぱり寂しいのかも知れません

それが自分自身の感情なのか、娘の身を思ってなのか、おそらくその両方だと思います。

母が一人暮らしをしていた期間が数年ありました。おそらく今の私よりも若い年だったと思いますが、その時も今の様な感情が 母に対してありました。

一人で寂しくはないだろうか? と、それが自分の身になって寂しくて寂しくて・・・

 

今年還暦を迎える私ですが、一度も一人暮らしの経験がありません。

この10年は娘との葛藤がしんどすぎて一人になりたいと願い続けてきました。

ここ最近はさらに夫への不満が炸裂しかけていてさらに一人になりたい意識が働いていました。

でも・・・ なんだろう、この寂寥感・・・

 

私は結局は家族に対する執着が強いのです。強すぎるのです。

だからおそらく一人暮らしなんてできない人間なのかも知れません。

夫や娘から逃げたいと思っていながら実家や妹の家への避難ばかりを考えていました。

逃れたいのは家族からでしょうか、それとも実は単純に今住んでいる「家」からなのでしょうか。それとも役割としての「家事」からなのでしょうか。

結局、逃げ出したいのは「自分」からのような気がします。

 

私はやっぱりもう、自分でいることが嫌で仕方がないのです。

一人でいると自分をさらに感じてしまうのがしんどいのだと思いました。

妹と

昨日、ブログを書いて愚痴っている途中で遠くに住んでいるもうひとりの妹にモヤモヤしてる、とラインしました。

そしたら丁度、妹は仕事が休みだったらしく電話がかかってきました。

子どもの頃から私は電話嫌いで電話をかけることはめったになく、その妹は昔から電話好きでした。実家にいる時に妹から電話がかかってくると母も面倒なのか適当に話をすると「今、丁度ねーちゃんがいるから替わるわ」と私に電話を押し付けて逃げてました(笑)

結局、お昼まで1時間ちょっと話をしたのですが、私が母のことを愚痴ったので結局は愚痴合戦となりました。

妹の旦那さんは私と同い年で公務員なので、来年の3月が定年になります。

彼は元々ボンボン育ちなので、定年になったらもう仕事などしないでのんびりしたいみたいです。そもそもここ数年は職場が嫌で早期退職をしたい、と言っていたそうです。

でも、妹は我が家の血筋なので「働かざるもの食うべからず」なので、その考え方が許せないらしくイライラしていました。さらに長男が仕事を辞めて戻ってきて、なんとか再就職をしたもののまた仕事を辞めて家にこもってゲームをしているらしく、それに関してもイライラしていました。

実を言うと彼が仕事を辞めて帰ってきた頃に私の信頼する視える人に妹も見てもらっています。その時に「2~3年は見守ってやってあげてほしい」って言われていました。でも、それからすぐに再就職したので先生の見立てより早かったのか、と思っていたんですが・・・ ついでに、その時に「ご主人は命には関わらないけれど胃腸を悪くするから気をつけるように」って言われてたんですが(私は聞いていて覚えていたけど妹はすっかり忘れていた) 去年の11月に1週間くらい腸を悪くして入院していたそうです。

私は先生の言ったとおりだ、と思ったのですが妹は先生に言われたこと、何一つ覚えていない・・・意味ないじゃん・・・

結局、妹の愚痴を聞いて終わりました。話の途中で、「少し、気分を変えたいからあんたんちに下宿させてよ」って言ってみたのですが全くスルーされました。下の妹に言った時は「来りゃいいじゃん、気楽でいいよ」と言ったのですが(で、去年の1月に1ヶ月位 実家ぐらしをした)

上の妹の家は200坪くらいの土地に5LDKの家です。田舎の田んぼの真中で隣近所に家は建っておらず静かです。ただ、夫の実家が歩いて5分程度で、田舎なのでさまざまな柵があるみたいです。妹は口癖にように「結婚してから 何一つ良かったことがない」と言っていますが、実際 地域が違うの風習も全く違う上に、田舎なのでさらに面倒なことが多くさぞかし大変だっただろうと思います。お舅さんが亡くなった時に、やり手のお兄さんが財産の殆どを相続して、次男の彼はとりあえず、住んでいる家だけをもらいましたが、家を建てる時のローンはある程度は払っていたので、まるまるもらったイメージはないようです。しかし、お兄さんは2棟あるアパートの収入や広い土地を利用した太陽光発電などで羽振りがいいらしく、スープの距離なので毎日それを見せつけられているのがしんどいらしいです。妹の場合は義両親ばかりか義兄嫁にまで下に見られて蔑まれて嫌な思いをし続けているようです。お互いの長男が同い年、というのもいろいろ比べられて嫌みたいです。何しろ、向こうはすでに結婚して子どももいるみたいですし。

私達の住んでいるところは、何でもかんでも嫁の親が用意する地域でしたし、うちの母は遠く離れて暮らすことになった妹を不憫に思っていたし、そもそも見栄っ張りなところもあったので、何かに付けて色々やっていました。しかし、跡取り嫁である義兄嫁さんの実家は何一つしない家だったらしく、当然? 同居の姑が嫌味を言うせいもあって、義兄嫁さんは最初から妹を嫌っていたみたいです。見た目はおとなしそうな義兄嫁と、なんでもテキパキこなす妹を比べるとご近所も「おとなしい兄嫁さんと気の強い弟嫁」と言うふうに認識されていたみたいで、実際には全く逆で何でも嫌なことをテキパキ引き受ける妹は、嫌なことを人には言わないのでストレスでギチギチになっていました。

さすがに、最近ではやっと兄嫁さんの本性も周りがわかってきてはいるそうですが、妹からすれば鬼のようにキツイ姑ババ様よりすでに上手になっているそうです(笑)

10年くらい前まではそんな妹の状況をよく知る気のいい友人がいたのですが、息子が東大に合格したら家を売って一家で東京に出ていってしまったそうです。そのお友達がとてもセレブで幅広い趣味と人脈があって、妹もそういう人たちとお付き合いをしていたらしいのですが、彼女という後ろ盾をなくして、その人達と付き合う度量もなく週に3~4日のパートで田舎のおばさんたちとグチグチすごしているようです。 まさに妹からすれば今は「なにもない」状態。

私も夫や娘に煩わされてはいますが、妹のほうがうちよりも深刻かもしれません。

下の妹もずっと「もう、こちらに戻ってくれば?」と言い続けているのですが、その決断はできないみたいです。所謂「デモデモダッテちゃん」なんだな、と思います。

妹は昔からお洒落でグルメで、もしもインスタとかやっていたらリア充に見えるような生活をしてきたと思います。でも、実際は・・・ なんだかんだでずっとパートもしてきてたし

ちょっと探りを入れてみたら、本当かどうかわかりませんが、妹個人の貯金は私のちょうど半分くらいでした。私はリーマンショックの時に焦げ付かせたお金がまだ700万ほどマイナスの状態ですが、妹より持っているみたいです。

そっか、私のお金、もう少しは使ってもいいのかな、とか思ってしまいました。

実際に私は、これからも仕事で何某かのお金が得られるように資格を取ったりお勉強をしたりしていますが、ぶっちゃけ言うとこれらにお金を掛けなかったほうが月に4~5万の収入でこの先得られるものより遥かに良かったのかも知れません。

月に3万くらい稼げるといいな、と言う仕事のために掛けたお金は600~700万くらいです。

月に3万だったら20年働かないとペイできません・・・ まさに本末転倒・・・

ただ、自分のために やってよかったなと思う所はあるので、半分くらいは娯楽趣味のお金として、やっぱり なんとか300万くらいは回収したいなぁ(笑)

そんなこと言っているより、素直に普通にパートに行ったほうがいいのかも知れません。

と、ここにまさかのジャストタイミングで4月からのお仕事の打診がありました。

ホンっと、すごいタイミング

週に1日ですみそうですが、お給料は今までと同じなら48000円。

う~ん・・・ すごいタイミング

 

と言っても、実はお断りしたのですが(笑)

もしも、どうしても3月末までに他の人が見つからなかったら考えてみます、とだけは追加しておきました。

やはり、今はまだコロナの影響が怖いんです。