今度は・・・

6月の半ばにウォーキング中に足を捻って、以来、膝痛を抱えています。

2週間経っても駄目だったので、近所の接骨院に通ってなんだかんだでもう2ヶ月近くになります。

メチャクチャ痛かった時からすればかなり良くはなっているのですが、いつもだったら「もう行かなくていいかな」と言うくらいには良くなるものの、今回は長引いています。

さらに、そこは老先生と若先生がいて、技術は圧倒的に郎先生だと思っていました。

でも、若先生のほうが丁寧だったり優しかったりします。受け付けた順で、先生が担当するので、どちらの先生に当たるかはその日によって違います。先生の施術も方法も時間も、なんていうか先生のさじ加減、と言う感じです。

今回の膝痛は最初が老先生でした。その後は若先生が担当することが多く、若先生は私が「不眠状態」だと言ったせいか、頭や肩などの施術もしてくれていました。

その後、老先生が2回続いたのですが、はたと気づいたのは、老先生に変わってから一時良くなっていた不眠が復活してしまったこと。

いえ、正確には若先生の施術を受けていた時は不眠が軽減していたということかもしれません。

先週は1度も行きませんでした。膝痛が完全に治ったわけではないけれど、とりあえず行かずにいられるレベルかも、と。

しかし! 昨日、壊れてしまったウォッシュレットを新しいのに変えるために夫とトイレで四苦八苦した時に膝を変なふうに捻った感覚がありました。

そしたら、膝から股関節にかけて激痛が走り、歩くも歩けないくらいの状態に・・・

私の感覚ではどこかの関節が外れて引っかかっているような感じです。

で、夫に ちょっと足をキュイキュイと引っ張ってもとに戻して欲しい、と言ったのですが、夫は当然「そんな怖いことできない」と。

おかげで、昨日はもう、膝が痛くていたくて・・・

寝る前にお灸をして、低周波マッサージ機を1時間位かけて、今朝目が覚めても

やっぱり痛い・・・ 階段の上り下りができないどころか、普通に歩こうとしても引きずらないと歩けないくらいです。 

また、いつもの整体に行くか、とも思いましたが、ここ数回は施術を受けても、あまり効果を感じられてません。

そこでふと、かれこれ5~6年前、50肩でお世話になった先生を思い出しました。半年も整形外科に通っても直らなかった50肩をたった2回の施術で完治させてくれた先生です。

人によっては『治る直前になっていたせいだ』と言うかもしれませんが、でも前日までまったく上がらなかった腕が1回目で上がるようになり、激痛がなくなりました。

同じ経験はかつて20年ほど前、肩腕症候群で腕が動かなくなった時にお世話になった鍼の先生でも感じたことがあります。ただ、ここは15年ほど前に廃業してしまっています。もしも、この先生がご健在だったら、私は治療はすべてここで受けていたかもしれません。鍼が良いと感じたので、ここがなくなった後、いくつかの鍼灸院にも通いましたが残念ながらその先生ほどの効果はありませんでした。ただ、ショッピングセンターの2階にある鍼灸院の若い先生が、とても聞き上手で、お話をすると楽しかったので数回通ったことはあります。

50肩を治してくださった先生は正直、メッチャ怖いです。でも、その先生の「異常の正常」と言う言葉がある意味私の励みになっているのも確かです。

では、なぜそこに行かなくなったのかと言えば、「ちょっと遠い」のが一番の理由で、2番めが「この程度で行くのが申し訳ない」と言う変な遠慮です。一人で全てやっているのでお忙しいのです。

それから時々、顧客に頼まれて遠征してしまっていて数日お休みになることがありました。基本、一人でやっているので電話はNGで、電話を受けるとものすごく怒っていらっしゃいます。看板も出していなくて、基本的には紹介で「連れてきてもらって次回からも自分で来れる人」を診てくれます。

少々荒っぽい施術の場合もあります(50肩の時は気を失いました・笑)

なので、ワタシ的には最後の砦のようなイメージでした。

昨日の夜、「明日朝イチで整体に行きなよ」と忠告してくれた娘に「いつもの所はちょっと最近、効かない気がして」と言うと Oリングテストをしてくれました。

そう、耳鼻科の先生のおかげで思い出したのですが、私と娘の間でもかれこれ15年かそれ以上前にちょっとしたOリングブームがあって、試したりしてたのです。

訓練を受けているわけではないので、微妙な結果しか出なくて信用度50%以下なのですが・・・

とりあえず、それで いつもの先生と怖い先生で試したら「怖い先生」が出ました。

ということで、何年ぶりかでその怖い先生の施術を受けてきました。

結果は、とりあえず足を引きずらなくても歩けるようになりました。でも、膝の痛みはあります。先生も最初に触っただけで「今週末にもう1度来なさい」とおっしゃっていました。

今日も、足が痛くて力を抜くように言われてもできずにてこづらせてしまいましたが、以前に比べれば数段優しいです(笑) 前はメッチャ怒られました。

私が行った時は若い女性が一人やってもらっているだけでしたが、私が施術を受けているうちに5人ほどの人が待っていました。一人あたりの時間は5~10分と、あとは機械で電気を当てます。この準備に5~10分はかかるかもしれません。なので5人待ちだと1時間位はかかりかも・・・

いつもの先生の所は施術は15~20分、電気が10分、ローラーが5~10分で、やはりタイミングが悪いと1時間や2時間は待つことになります。ただ、ここは保険がききます。

怖い先生は一律2100円です。(初診料は1000円)

ものすごく久しぶりでしたが「ああ、なんとなく覚えている」で2100円でした。

もう30年近く、同じ値段だそうです。

実家にお世話になっている時に顎関節症のような症状になって罹った実家近くの接骨院は1回 6600円です。週1で2ヶ月位は通ったのですが、今は家に戻ってしまったのでご無沙汰しています。

でも、イケメンのお兄さんの施術はソフトですが効果があった気はします。

 

こうして考えてみると、結構、健康自慢と言っていた割には 接骨院、整体、鍼灸院の通院歴は多いです。

一番苦手だったのはもう20年ほど前に腰痛でかかっていた整体。1回 6000円で、ほぼほぼ強制的に週に2回、予約を入れられます。当時の私はNoが言えない人で月に5万ほどかけてました。でも流石に3ヶ月もすぎるとしんどくなって(治ったとは言い切れない)予約をブッチして逃げてしまいました。

なぜ、そこが苦手だったかと言えば、先生が若い助手のような人を罵倒するのが怖くて・・・ そして、なぜ断れなかったかと言えば、その助手さんがとてもいい人で、予約を入れないと彼がかわいそうで・・・ 

男嫌いだったはずなのに、若い男の子には弱いワタシ・・・

結局の所、それまで本当に腰痛がひどくてアチラコチラの接骨院に通っていましたが、その20年前を最後に腰痛で接骨院に行くことはありませんでした。

あれほど辛かった腰痛・・・ なぜ、なくなったのでしょう?

一つだけ覚えがあります。義母が亡くなったこと。

結婚以来私を苦しめてきた腰痛も胃痛もなくなったことに気がついて、いったいいつから、と考えてみたら、まさに義母が亡くなった直後からでした。

私は同居ではありませんし、跡取り嫁でもありません。

でも、どれだけあの人の存在が私を苦しめていたのか思い知りました・・・・・・

10年間は穏やかでしたが、10年前から娘との葛藤に苦しみ、5年前からは息子のお嫁さんとの葛藤が加わり・・・

結局、私は人間関係で自分で不調を作り出しているのかもしれません。

 

耳鼻科の先生が「あなたは生まれた時から完璧なのです」とおっしゃってくれたし、コミュニケーション心理の先生も「いくらでも思い込みを書き換えることができます」と

そして、久々にお会いした怖い先生の思いの外、優しい言葉に

まさに、いろいろな事が動き出している気がします。

 

そして、今朝、気がついたのですが2年前に一緒にお仕事をしていた方からラインが入っていました。

すれ違いすれ違いで今朝連絡したものの、まだ通じていないみたいですが(笑)

 

血圧と微熱だけは安定してきました。内臓的な問題はクリアです。

明日は特殊外来でまた、カウンセリングを受けることができます。

膝の痛みも、今週末の施術を受ければきっと治るはずです。

 

やっと光が見えてきた気がします。

半世紀以上

先週の耳鼻科の特殊外来に行ってきました。

O-リングテストで私の体の全体の状況を診てもらったのですが、私の根底にあるのは「分離感」だと判断されました。

全体で8分野に分かれていて、その中にまた8つくらいの項目があります。

私の問題点?は その分離感の中にある「受け入れがたい」と「阻害された 冷えた愛  愛に値しない  愛し得ない」と言う2箇所でした。

ここで生育歴と言うか、まあ、私がこの項目で当てはまる自分の思いを口にしたのですが

私は三姉妹の長女でしたが、それこそ物心がついた時からずっと「おまえが男の子だったら・・・」と言われ続けていました。実家が商売をやっていたせいもありますが、何かと言うと「跡取り」と言う言葉を持ち出されました。それは父母からも祖父からも近所に住む叔父叔母、そしてご近所のおじさんおばさん・・・

母は父の仕打ちの愚痴として子供の頃からずっと言っていました。「おまえが生まれたときのお父さんの最初の言葉は『なんだ、女か』だった」と。

これは跡取り嫁なのに男の子を産めなかった母の悔しさなのかもしれませんが、同時に私にとっては まさに生まれた瞬間から「間違っていた」のだと自分を否定されたことになります。

私はエニアグラムではタイプ1の完璧主義なのですが、私の本質はいつも物事を正しいか、間違っているかの二択で捉える、というものがあります。

鈴木秀子先生によると、今ではエニアは生育歴が大きいといいますが、タイプの根幹というのは「持って生まれ」なのです。

だから悲劇は、元々「白か黒か」の二択をしがちな性質を持った私が、生まれた瞬間から「間違っていた」と思い込まされて来て、その長い蓄積の結果が今なのかもしれません。

私が恋い焦がれた漫画の主人公は小学校5年のときに出会った「ベルサイユのばら」のオスカル様です。少女漫画はずっと読んでいますが、好きな主人公は自分で人生を切り拓いていく女性でした。

その後も男性も女性もどちらかと言えば中性的な人が好きです。

大嫌いなのは女女女した女性。だからメロドラマとかトレンディドラマとか、そもそも恋愛ものって大嫌いでした。

現実を見ても、女を全面に出してくるようなタイプの女性は好きではないんだな、と思います。

それも、これも根幹に幼い頃に染み付いた「呪いの言葉」(コミュニケーション心理学の先生が先月の講座の最後におっしゃっていました)があるのだな、と。

母親自身がとても男勝りで負けん気が強く本当に父亡き後も一人で頑張ってきたせいもあって、母も女性っぽい人が嫌いだったように思います。

それでいながら、料理も家事も「女なら出来て当然」とか「女がやるものだ」と言う教えで、できないことを罵られました。

私は子供の頃から「おまえが男だったら良かったのに」と女性であることを全否定されながら、女性はこうあるべきだ、を押し付けられて来たのかもしれません。

  

「あなたは、たとえ親に『男だった良かったのに』と言われて育ったとしても、その親のはるか昔、人知を超えた世界からあなたが女性としてあなたとして生まれることを望まれてきたのです」

「あなたは生まれた時から完璧なのです」

 

先生はおっしゃいました。

私の頑なな心はそんな優しい言葉も、心底から受け入れようとしていません。

夫に対して、どうしてイライラするのか昔考えたことがあります。

私が子供の頃、親に「常識がない」とか「グズ、のろま、役に立たない」と罵られて、必死に直してきたことを夫は大人になっても平気でしています。

こんな事をしていて、今まで罵倒されたことがないんだ、と・・・ これで世間で許されるならどうして私は駄目だったの? と

言ってみれば八つ当たりだったのかもしれません・・・・・・

息子のお嫁さんが苦手なのはまさに「女女」しているせいかもしれません。

小柄でおしゃれで、甘えん坊でカワイイ

そして末っ子のせいか、親兄弟に可愛がれて愛されている・・・

私はいつも「お姉ちゃんだから」「姉ちゃんのくせに」 その言葉で我慢ばかりさせられてきたのに

人に物事を頼むことも、人に何かを言うこともできなかったのに・・・

胃潰瘍になるほど悲しい思いをさせられたのに、お嫁さんのために病院の送り迎えのみならず、お出かけの送り迎えも数回頼まれてしています。

いえ、本当に私は人に物事を頼まれるのが好きです。そのために自分を犠牲にしなくてはいけないとしても、おそらく自分よりも人を優先します。

Noと言ったことはほぼありません。

私は執念深く、嫌なことを覚えています。心の中では復讐心が煮えたぎっています。

例えば、父が倒れたとき、義母が見舞いに来て、前の日に「癌がある」という宣告を受けたばかりの私達を前に 

病床の父に「癌はなかったの?」と

直接的には肝硬変でした。でも、それも末期で更に癌もある、もって3ヶ月、と位う宣言を受けたばかりでした。当時は本人への告知もない時代でした。

私は臨月に入ったばかりの妊婦で昼間の付添を担当していました。母は仕事の合間を縫って病室に顔を出し、夜は母が付き添い、そしてまた仕事・・・

そんな状況で、病人本人に「癌はなかったの?」と

母が言葉を失い、目に涙が浮かぶのが目に入り私は椅子にへたり込みました。父は幸い母を見ていませんでしたが、

「ええ、おかげさまで・・・」母はなんとかそれだけ絞り出しました。

そしたら義母は無邪気に「それは良かった。お父さんは良い人だから癌にはならないと思っていたの。人に恨まれる人は癌になるって言うからね」

私の家系は癌家系だと話したことはあります。祖父母と祖母の兄弟全員が癌で死んでいるので・・・

それでも、あまりにひどい・・・ 私はその時「いつか義父なりあなたなりが癌になったら同じことを言ってやる」と心に誓っていました。

でも、義母は心臓病で、義父はある意味老衰の肺炎で亡くなりました。

ああ、人に恨まれていなくてよかったですね・・・・・・

そんな恨みつらみを抱えていても、私は義理を欠くことなく最後までいい顔した嫁として義両親を見送ったと思います。

だから、私を胃潰瘍にした主犯であるお嫁さんと息子に対しても、私は結局、いい顔をし続けるのでしょう・・・

 

今日、診てもらった「受け入れがたい」 

「阻害された  冷えた愛  愛に値しない  愛し得ない」 は

もしかしたら、今の私自身から外への状態にも丸々当てはまるのかもしれません。

その表によると、私の目指すべき道は「穏やかな」と「安らかな」でした。

 

義母が亡くなって20年、義父が亡くなってからでも3年。娘のメンタルがやられてから10年。その少し前から、体の不調で大学病院の神経内科に通っていました。

胃潰瘍になった直接の原因も5年前にあります。

人生の最悪の時期は娘がおかしくなった10年前から始まりましたが

やっと娘のメンタルが落ち着き始めたのが5年前だったのに、入れ替わるかのように胃潰瘍になり、このあたりから体と心の不調が同時に出てきたように思います。

私のメンタルは見た目とは裏腹に実はかなり繊細だったと思います。

耳鳴りが始まったのが義母と一緒にでかけた時から、と書きましたが、結婚してから肩こり腰痛、特に腰痛がひどくて朝起きるのがすごく苦痛だった時期が続きました。

また、いつも胃が重くて、日記にはいつも「胃の存在を忘れて生活できたらどれほどいいか」と胃の痛みばかりを書いていました。

でも、恐ろしいことですが義母が亡くなってからパタリと胃の痛みがなくなりました。

その後、朝起きれないほどの腰痛がなくなっていることにも気が付きました。

申し訳ないけれど私にとって義母がいかにストレスのもとであったかしれません。

今思えば、20年前~10年前が私にとっては人生で一番穏やかだった時代です。インターネットを始めたのが1999年、エニアグラムを習い始めたのも、HPを開設したのも同じ頃でした。オタク仲間ができたり、追っかけ仲間ができたり、東京大阪、いろんなイベントに出かけ・・・まさに人生の春を謳歌しました。

その時には体も心も不調ではなかった、もしくはこれほど落ちないですんでいたように思います。

何もかもが崩れ去ってしまったのは娘のメンタルがおかしくなった10年前。

そうやって、原因を人のせいにするその性格こそが全ての元凶だったとしても

半世紀以上もそうやって気が付かずに生きてきたのです。

 

たくさんの自己啓発本を読み、セミナーに通い、娘が摂食障害になった時にはカウンセリングも受け・・・

それでも、今も 同じところをグルグル周り続けています。

 

先生がくださった言葉も正直なことを言えば、いろいろな本で何度も目にしています。

 

自分が変わればいい、それはわかっています。

でも最終的に「変わらない」を選択しているのも自分です。

娘のことでお世話になったカウンセラーさんに なぜ、(娘が)変われないのか、と言えば「変わらないことにメリットがあるから」だと言われました。

 

私が幸せにならないメリットは何かと言えば子供の頃の刷り込みもあると思います。

何かで「人生において幸せも不幸せも同じ量」という話を聞いたことがあります。

だから幸せになるのが怖いのです。幸せと同じ量の不幸が来るのが怖いのです。

そして、やっぱり「私にとって楽しかった10年」のツケが今来ているのではないかという思いもあるのかもしれません。

 

霊視をしてくださる先生は娘が一番ひどいときにお世話になりました。

「今が底ならこれ以上は下に行くことはない。むしろこの先どんどん良くなる」と。

「底」はまさに仰るとおりでした。

でも「どんどん良くなる」は正直、体調不良があるので信じきれていません。

でも、言われてみれば あのドロドロの感情はないと思います。

 

今、コミュニケーション心理学の講座を受講しています。この2月から開講されました。

実は去年の7月から申し込みをしていたのですが、タイミング的にはここになりました。

そして今、この先生に出会ったのも、もしかしたら必然なのかもしれません。

 

今度こそ、私の人生の通奏低音を変えることができるのでしょうか?

 

お医者様

もうかれこれ30年以上、耳鳴りに悩んでいます。

きっかけは初めて姑だけと子供二人連れて出かけたこと。

勝手な思い込み、被害妄想だと思われるかもしれませんが、私はキッチリ日記を書いていたので間違いありません。

姑と出かけた翌日、トンネル入ったときのような耳がふさがったような感じがして、それがスポンと取れたかと思ったらキーンと言う金属音が響き渡り、それこそ、色々ありましたが、結局、諦めて慣れて今に至ります。

耳鳴りと共存してはいますが、ここしばらく、テレビの音が今までの音量では聴きにくくなり、聴力が落ちていることを実感していました。さらに1ヶ月ほど前から耳がふさがったような感じがしはじめ、外耳がめっちゃ痒かったせいもあり、3週間ほど前に耳鼻科に行きました。

近くにはいくつか耳鼻科があるのですが、一番気に入っていた所は、知らないうちに廃業となっていました。かなり年配の女医さんだったので仕方ないかな、と。

で、一番良く通ったことのある耳鼻科に行こうと思ったのですが、メッチャ混むし、口コミ見たらやたらひどいし、かかったことのある夫も「あそこは嫌い」と言うので、昨年できたばかりの新しい耳鼻科に行ってみました。

新しくてきれいで先生も感じが良い割にはすいていました。聴力検査をしてとりあえずビタミン剤のようなお薬をもらって1週間飲んでもう一度、聴力検査をした所、誤差の範囲といえないでもない程度には改善している、とのこと。う~ん・・・と言う感じです。

それから1ヶ月分のお薬を出してもらって今も服用しているのですが、また2~3日前から耳がふさがったような不快感が・・・

専門家でもない素人が偉そうには言えませんが、正直、あまりその先生に期待は感じられませんでした。

なので、またどうしようか迷い、結局、一番最初、30年前に耳鳴りが始まったときにかかった耳鼻科の扉を叩くことにしました。

そこを敬遠していた理由は、「やっているのかやっていないのかわからない外観」

夫が嫌いな耳鼻科ができたのはたぶん25年くらい前です。ちょうどその頃、息子がアレルギー性鼻炎で通いました。その時から割と変わらず繁盛しています。でも、なんだか先生が好きではない・・・ってのは私も同様でした。

その後、10年ほど前から女の先生の耳鼻科に行くようになりましたが、慢性的な病気があるのではないので(耳鳴りは諦めて放置です) 急に診てもらうことになるのですが、基本的に「予約優先」で予約が取れないと拒否されます。待っていれば診ないこともないと言われますが、メッチャ時間がかかります。

それでも、今までのちょっとした不調は1回の受診で治っていたので、今後もここをメインにするつもりでいました。でも、夫が久々に行ったら「○日をもって廃業させていただきました」と書いてあったそうです。

と言うことで、申し訳ないけれど消去法でここへ行くことにしました。

ただ、もう諦めてどこにも行かない、と言う選択もできたのですが、行くことにしたのはここはちょっと変わった診療科もあります。

心療内科的なものですが、自費で受けられるものです。

30年前にもその一端がありましたのである程度は覚悟?がありました。

その時は O-リングテストでした。当時、そういうものが流行っていた気がして、私はその存在も知っていたし、試してみたりしていたので、あまり違和感なく受けることができましたが、正直、お医者さんで受けるとは思っていなかったのでオドロキました。

結果として、私の耳鳴りは「慣れる」ことでしか克服できず、今も耳鳴りとはお付き合いしています。

それはさておき、今回、久々にお目にかかった先生は、かなりお年を召しておられ、そして先生も気にしてはおられるようですが、相当に「耳が遠い」状態でした。

でも、やっぱりメインはO-リングで診察でした。(聴力検査の結果はどこでも同じで、かなり聴力が落ちている、でした)

しかし、ここで他の先生と見解が違ってくるのは不調の原因が「精神面」にある、と言うことでしょうか。自律神経の乱れを私は自覚していますが、血液検査でも尿検査でも何の異常もなく、結果として「正常です」で終わってもそれでも不調は治らない・・・

そんな私に先生は簡単に家族構成を聞き出し、私の不調の原因をO-リングでチェックしていった所

「お嬢さんとの関係性」と・・・

その時の私の気分は ドッシャー、ビンゴ!って感じでした。

ものが聞き取りにくい・・・ それは、もちろん物理的なこともあるのでしょうが、「聴きたくない」と言う心の叫びだったのかもしれません。娘に責められ、注意されて怒られて、まさに「耳をふさぎたくなる」そんな事が続いていました。

それを言うなら、最近、目がものすごく疲れている(4月に眼科へ行って、最近またひどく調子が悪い)のは単純にネットサーフィンのしすぎかもしれないと思っていたのですが「見たくない」の現れなのかもしれないと。

そう、私は今、色々なことから逃げ出したい気分です。

見たくないもの、聴きたくないものがたくさんあります。そう、全てをシャットアウトしたいくらい・・・

 

ここしばらく続いていた高血圧、微熱、不眠が少し収まってきました。

と、同時に一気に体重が増えました。

もともとおデブですが、食べる量は変わっていません。

膝を痛めてからやめていたウォーキングも再開しました。

それなのに、体重がみるみる増えたのは、ある意味 自律神経が少しマシになったのかもしれません。

ただし、その代わりに目と耳が不調になり始めました。本当に驚くほど「入れ替わり」にです。

 

私は自分が「体調不良」であることを言い訳の切り札にしていたのかもしれません。

できないことをそのせいで「仕方ない」と。

でも、血液検査で客観的に「内臓的には問題ない」という結果が出てしまったので、次に言い訳できるところを体が探していく、もしくは作り上げていったのでしょうか?

 

先生は「意識的、無意識的に病気を作っている」というようなことを言いました。

「あなたはあなたで完璧なんですよ」と。

「あなたが『良くなりたい』と願うことは、今の状態を「良くないこと」と決定づけること」だと。

だから「今もとてもいいので、これが続きますように」と意識したほうが良いと言われました。

 

昔からネガティブ思考で、それをなんとかしなくちゃと自己啓発本にもセミナーにもお金をかけましたが、結局、同じところをずっとぐるぐる回っているばかりです。

 

私が幸せになる道

それは、自分がいま幸せであるということをちゃんと理解すること

 

今更ながら 「それだけのこと」だったんだ、と思いました。

いつかは

父はもうかれこれ30年以上前に50代で亡くなり、義母は20年前に77歳で、義父は5年ほど前に100歳でなくなりました。

今、私の母は83歳で実家で末の妹と二人で暮らしています。

私は22歳で結婚して家を出てしまったのですが、末の妹が25年くらい前に一家で転がり込んできてからずっと一緒にいます。

妹には3人の子どもがいたのですが、それぞれ独立し、ダンナさんも単身赴任で今はおよそ9LDKの家に母と二人きりです。

私が18歳の時に、大きく建て直したぶんが6LDK(当時はLDK部分がお店だった)私が10歳の時に建て直した部分(3部屋分)はそのまま残し、私が22歳で家を出るまで使っていた部屋はそちらになります。10歳~18歳までは7畳半ほどの個室、18~22歳まではそれまで妹二人が使っていた8畳の部屋。妹二人は新築のそれぞれ6畳の部屋へ。

妹一家が転がり込んできて、ちょうど私達3人が使っていた部屋がそれぞれ甥っ子たちの部屋になり、私が一番最初に使っていた7畳半の部屋は妹夫婦が使っていました。

今現在、使われているのはその7畳半の部屋だけなのですが、結局は甥っ子たちのものが残っていたりします。

昔は2階の8畳6畳の続きの和室で嫁に行った私達一家などが帰省の際に寝泊まりしたりしていましたが、妹一家が家に入ってからは日帰りが中心で10組くらいあった客ぶとんも処分してしまったということで、実家に泊まることも殆どありません。

ただ、今年早々、私は体調を崩してなんだかんだで1ヶ月ほど、実家に泊まり込ませてもらっていました。

 

曽祖父の代から100年以上に渡って住んでいる実家ですが、実は借地です。

事業で羽振りがよかった曽祖父が「別宅」として建てた家だったのですが、事業に失敗して何もかもなくし、家を売り払った挙げ句、「お情け」で住まわせてもらっているという話でした。

私が10歳の時に建て直した家は、当時で築70年という話でした。この地区では初めての「2階建て」の家だったと言います。それが別宅だったので、曽祖父の羽振りがよかった頃は本当に地域の名士だったようです。祖父は次男で、本来の跡取りである長男が早逝した時の葬儀が語りぐさになるくらい立派だったそうです。曽祖父はお相撲を呼んだり、近くの神社やお寺に寄進したりしていたそうです。

でも、伯母(父の姉)の言によると、曽祖父が事業に失敗した時には親戚一同が寄ってたかって骨董品などめぼしいものを持っていってしまったそうで、その後、本当に極貧の生活を強いられたそうです。

貧乏な状態に嫁いできた母は、とても働き者で母の働きがあったからこそ、私達はどちらかと言えば豊かに暮らせたと思います。10歳の時に普請をした時にクーラーがありましたし、ピアノもかってもらいました。私は私立の4大、妹たちも短大を出してもらいました。下の妹などは県外の短大に下宿して行かせてもらいました。でも、もともと甘ったれの末っ子だったので半年でやめて戻って来て、その後は結構お高い専門学校に行かせてもらいました。

私は大学を卒業してそのまま嫁に行き、その3年後に父が倒れ、3年弱の闘病の末、亡くなりました。すぐ下の妹は大学時代に知り合った相手と結婚し、私は長男、そして長女を出産して父に見せることができました。結婚には間に合いませんでしたが、末っ子の妹も、今のダンナさんを紹介することができました。

父が亡くなった時母はまだ50歳でした。私と妹は全て親がかりで嫁に出してもらい、父が亡くなった後に結婚した末の妹も、やはり「姉たちと同じくらいには」と言う母の頑張りで、それなりの嫁入り支度をしてもらったと思います。

父亡き後も母は65歳まで自営業を続け、そしてそれから20年、のんびり暮らせています。

私は母をすごい人だと思っていました。今も思い続けています。

たとえ、母が今だったら「毒母」と言われかねない暴言大王であったとしても。

どれだけ辛く悲しい言葉を投げつけられてきたとしても、これほどに頑張って家を守り子どもを育てた事実の前にはひれ伏すしかないと思っています。

 

それに比して私はどうなのでしょう?

娘が摂食障害になった時、娘に責め続けられる毎日でした。

私は母の暴言で苦しんできたので、絶対に子どもに対して暴言を吐かなかったと言い切れます。でも、確かに過保護で過干渉でした。心配性で彼らの未来や希望を壊してしまうような発言もしたかもしれません。

でも、私は決してそんなつもりはなかったのです・・・

と言うか、子どもたちはわかってくれると思っていました。

私自身が「おまえは常識がない自分勝手な人間だ」 「ネクラで不器用で役に立たない」と言われても、それは事実だから仕方ない、と思ったし、それを指摘してくれるのは親だからこそだと・・・

でも、やっぱり、それらの言葉はキツかった・・・だから私は、そういう言葉を一切言っていません。

そして、本当に子供のためにお金も時間も労力もかけてきました。

お弁当作り、送り迎え、そしてお金の心配のない生活・・・

私が欲しくてしてもらえなかったことは特に優先してやりました。

でも、私が欲しかったものと娘の欲しかったものは違っていました。私が必死になって与えていたものは娘にとってはお仕着せでしかなかったようです

 

10年前から私は自分のやってきたことの罰を受けることになりました。

でも、何がいけなかったのでしょう? 

頑張って頑張って、本当はやりたくないこと、メンドクサイって思いながらも、それでもいつも人のことを優先してやってきたのに・・・

 

いつもいつも一人、いつも一人 空回り空回り・・・こんなに頑張ってきたのに・・・

 

 

経済的には恵まれているし、夫は優しいし、子どもたちは学業面では優秀でした

だから、それに感謝さえ出来ていれば私は幸せでいられたはずなのです。だからだから、この辛さ切なさは自業自得なのです。

感謝の心が足りないせいで与えられた罰なのです。

 

じゃあ、どうすれば良かったのでしょう?

暴言を浴びせ続けた母でも私は今もその働き者ぶりと正義感と頭の良さを慕って尊敬しているし、それを形にしています。

でも・・・私は与えられない。

それは、私が無意識のうちに見返りを求めているのが子どもたちには透けて見えるから?

私の求めている見返り?

それは何?

 

ただ、普通に自分の人生を歩んでほしかっただけ。

「ああ、色々あったけどありがたかったな」と

私は言葉は要らないけれど態度は欲しい人です。

むしろ、行動を伴わない言葉が嫌いです。

 

私を自由にしてください。

私を自由にしてください。

私を自由にしてください。

 

だから、みんな自立してください。

もう、私に人の心配をしないでいい人生を歩ませてください。 

 

何が嫌なのだろう?

相変わらず、イヤダイヤダの毎日です。

今日は娘が久々の出社でした。この先もリモート7日出社なのかよくわからないそうですが、派遣の期限は娘は8月末で終わりだと思っていたのに、知らないうちに11月末までになっていたそうです。

一応「続けますか?」の打診はあったそうですが、飽きっぽい娘はあまりやる気がなかったようです。で、返事をしないうちに延長になったいたそうです。

コロナの影響で苦しいきょうび、派遣をそのまま続けることができるだけでもありがたい話だと思うのですが

まあ、私はすでに半年、遊んで暮らしているので娘からしたら「いいご身分」に見えるのでしょうか?

私はコロナの恐怖とストレス、お嫁さんのお手伝い、と言う名目で仕事を辞めて、今やっと、体調も戻りつつあります。

そうなってくると、正直な所、家にこもっていることが苦痛です。と言うか、収入がないということが不安です。

何度も何度も、我が家の資産と今後の年金などのシミュレーションをして、ぶっちゃけて言うなら、特に大きな問題がなければ、老後はそこそこ安泰だと思います。

海外旅行(特にヨーロッパ)が好きで、落ち着いたらまた行きたいと思っていましたが、このコロナの影響で感染の恐怖もさることながら、ヨーロッパに於いてアジア人であると言うだけで敬遠されそうな気もしているので、もう海外旅行へ行くってこともないのかもしれない、と思っています。

じゃ、Go TOでお値打ちに行けるこのご時世、海外旅行へ言ったつもりのお金を出すなら、たとえば星野リゾートやらウィンザーホテル洞爺、八重山諸島なんて「夢の夢」って思っていたところだって行ける気がします。

でも、まだ仕事をしている夫にとっては、今この時期に旅行に行くのは厳しいなと。

リモートであれば、旅行から帰ってきてからも誰にも会わずにすみますが、旅行に行ってきたから「念の為2週間待機」ってわけにはいきません。でも、もし自分が同僚だったら、旅行に行ってきた人とあまり一緒には仕事したくないかもしれません。

そうなると、やっぱりおとなしく ステイホーム。

仕事を辞めるくらい外に出るのが怖かったんだから、いいじゃないって思ったりもしますが、何もしないで家にいてダラダラ 録画を見たりネットサーフィンをしているのも苦痛です。

今日は特に娘もいないのでお昼ごはんを作ることもなかったら、余計だらけてしまいました。正直、リモート中の家族の食事作りがメンドクサイって思っていたけれど、それよりも「何もない」方が私にとっては嫌だったのかもしれません。

お仕事も、行っている間は嫌で嫌で・・・でも、その頃だって長い休みに入ると手持ち無沙汰になっていたかもしれません。ただ、お休み中でもお給料が入っていたので罪悪感は少なかったのですが

そう、今は収入もないのにダラダラしている、まさに専業主婦状態に慣れないのです。

それでも、体調が悪かった時は多少「仕方ない」と言う思いはありました。

でも、今は「大義名分」がありません・・・

 

せめて、あともう少し涼しくなったら、家のお片付けをしようとは思っています。

何度も口にした断捨離を今度こそ成し遂げねば・・・

 

でも、やはりこの「ねばならない」と言うプレッシャーが私をさいなみます。

無限ループです

 

 

人生は・・・

霊能力のある先生に時々、鑑定をしていただいています。

元々は娘が摂食障害で苦しんでいた時、たまたまお高いマッサージ機を買った販売員の方が別の健康食品の販売もしていて、それを購入したことから、その先生を紹介していただきました。

ぶっちゃけ話になりますがマッサージ機が60万ほど、健康食品がいわゆるマルチ的なもので、販売員の資格?のために10万ほどと、それ以後、毎月数万円の商品購入が必要でした。なので合わせるとゆうに100万は超えていると思います。

娘が摂食障害になった当初は本当に地獄のような日々で、毎日しんどくてしんどくて、私自身も鬱になっていたのだと思います。「この子を殺して私も死のう」とか ぼんやりとクローゼットの服を見つめながら「これに火を付けてやろう」とか何度思ったかしれません。生まれつきの肥満で人生で一度も標準体重にすらなったことがなかった私が誰もが驚くほど痩せました。

そんな時に出会ったのがその販売員さんのボス?が主催している鑑定会でした。30分5000円で相談に乗っていただけるのでどう? と言われ、正直、マルチ的な健康食品の販売関係だったので恐る恐るでかけた記憶があります。

先生は若い普通の男性でした。たまたまそのボスの方の鑑定をして?、その後もタダで鑑定をしていたそうですが、鑑定してほしいという人が増え、そのボスの人がいくらなんでもタダというのは良くないから、と30分5000円を勧めたそうです。

怪しげな霊能商売であるならきっととんでもないお金をふっかけると思うのですが、

(実は過去にメール相談1回3万円というのを受けたことがある)弁護士さんや探偵事務所?など、普通に相談する時の基本が30分5000円と聞いたことがあるので、それからしてもとてもまともだと思いました。

最初の鑑定のことは正直あまり覚えていません。でも、娘の名前と写真だけを持っていったのですが、それを見ながら娘が今までどのように感じて生きてきたかというような事を、まさに娘が言ったとおりに、ずばずば言い当てたのです。

その後も何度か問題が起こるたびに鑑定をしていただきました。

そして、「今の状況が底で、この先、今以上に悪くなることはない。むしろこれからどんどん良くなっていく」と言う言葉は、出口が見えなくて逃げ出す、投げ出すことしか考えていなかった私にはまさに救いの言葉でした。

そして、実際に気持ちが変わったからかもしれませんが、それ以降、少なくとも娘を殺そうとか家に火をつけようとか思うことはなくなりました。

その先生との出会いからかれこれ6~7年になるのでしょうか。今、普通に生活できていることがありがたいです。

息子の結婚後、胃潰瘍になり、それを主治医が「癌の可能性がある」と言ったときも、ちょうど、鑑定があり、尋ねてみると「がんではないと思う。少なくともあなたの人生を大きく左右するような病気とか怪我とかは、この先もない。それは家族も同様」と

「もちろん、小さな怪我や病気はあるけれど、その多くは治るもの。それによって人生が大きく崩れていくようなものは何もない」と

明日のことばかり心配して心配して身動きが取れなくなったり、体調を崩す私には本当にありがたい言葉でした。

娘の将来に関しても「女性として普通の人が体験することは体験できる」 つまり、結婚出産に関してですが、ちゃんと線が通っている、とのことでした。

先生は「これが良い」と言うとフィルターがかかり、いろいろな可能性を潰してしまうので、それは言わないといいます。

娘も鑑定を受けたことがありますが、先生は「それもいいですよ」とか「悪くないです」と言う答え方をして「これにしなさい」とは言ってくれません。なので、娘にとっては先生は物足りなくて、今は鑑定を受ける気にはならないようです。

でも、先生は「線が通っていない人には『それは駄目』とハッキリ言わないのは良くない」と、例えば子どもができない人には、ハッキリと「子どもは諦めたほうが良い」と言うそうです。だから「本人が望みさえすれば結婚も出産もあり得る」と言う、娘の鑑定は私にはありがたいものでした。仕事に関しても実は随分前に30代後半には続く仕事に出会える、と言われていました。でも、それはもう随分前のことで、この先10年近くも、今の状態なのか、と正直、気が重くなった気もしています。

5月に久々に鑑定の予約が取れて話を伺ってきた時に、娘の結婚は今年、来年を目指すなら相当、動かなくては駄目、と言われました。そして再来年以降であれば、自然流れの中で無理をしないでも相手が見つかる、と。そのときには娘も30代後半に差し掛かります。つまり、以前、見つかると言っていた続く仕事もこの頃になりそうです。30半ば過ぎの結婚でも子どもに恵まれるのか、と聞いたら、それも問題ない、と言われました。むしろ、今焦って仕事も結婚相手も、ということになればどこかで「妥協」することになり、後で後悔もしかねないので、5年スパンで考えたほうが良い、と・・・

あと5年・・・ 正直、今でさえ、私はしんどいです。でも、逆に私の我慢も「あと5年」と思えば良いのかもしれません。

先の見えない、出口の見えない状況から比べれば格段に楽になるのかもしれません。

 

このコロナのしんどい状況においても、私自身はコロナにはかからない、もしか買ったとしてもそれによって命を落とすことはない、と言われています。

ただ、先生はコロナは10,11月には薬かワクチンが開発され、年内には収束する、とおっしゃっていたのですが、その鑑定に、昨今の状況を見るとちょっとだけ不安を感じています。

そう、先生のおっしゃることが100%当たるということがないとは薄々感じていることもあります。たとえば、息子のことで「なるべく早く転職したほうが良い」と言われました。

あまり具体的に何かを指示されたことがなかったので、慌てました。当然?息子はそんな言葉など聞く耳も持たないので、今も同じ仕事をしており、お給料も同世代に比べればたくさん頂いているようで、やりがいを感じています。

5月に「結局、息子は今も同じ仕事をしています」と言ったら「それはそれでいい」と言われました。「彼には彼の考えがあり、あなたとは違う生き方をしているのだから、それを選択したのが本人であるならそれでいい」というようなことです。

これを鑑定が外れた、と取るのかもしれませんし、ワタシ的には、もし、彼が先生の言葉を受け入れて転職していたら、もしかしたらお嫁さんは癌にならなかったのかな、とも思います。いえ、癌になったとしてももっと早い段階で対処できていたのかも、と。

お嫁さんが違和感を感じていたのは3年くらい前で、その間、放置していたのです。

息子は毎日午前様のブラック企業で働いていて、お嫁さんに気遣いができていなかったのかも・・・とか

自分たちの生活を優先したいから子どもは作らない、と言っていましたが、生活に余裕ができてたらもしかして、子作りをして、子どもができてたら乳がんにはならずに澄んだかも、とか・・・

すべてが「たられば」ですが・・・

人生なんて、ほんの少し道をそれただけで大きく変わってしまうものなのかもしれません。

先生は、その時その時、見えるものを基準にアドバイスしてくれますが、それを実行しなかったり、仕方が違うとまた別の未来になっていくのかもしれません。

それでも、私は、ありがたいことに「今が底」と言われたとおり、あの時以上の地獄は味わっていません。

とりあえず、病気も怪我も「治る」と言う言葉通りです。

ありがたいことに「老後のお金の心配はない」と言われているのも信じたいです。

娘に責められ続けた私が娘にした過保護、過干渉も「あなたはあなたなりに必死に生きてきた、頑張ってきた」と言っていただけたのも救いです。

「あなたは、あなたの役割を捨てて自分の人生を生きなさい」と言っていただいたのも心に響いています。ただ、それができないでいますが・・・

ワガママに好きなことをしていい、と言われてるのですが、それをしないのも自分で決めたこと(笑)

娘も息子も自分たちで自分の人生を切り拓いていく、それを理解できずにいつまでも、「私がなんとかしてあげなくちゃ」というのが私の苦しさの原点なのかもしれません。

それを息子は「子どもを信頼していない証拠」と言い、娘は「かわいそうな過去の自分を救ってやりたい自己満足だけ」と

そして夫は私のやっていることをただ見ているだけ・・・

それでも、なんとか私は彼らに必要とされたがっている・・・

私だけの人生ってなんだろう? 自分のやりたいことをすればいい

それを求めても本当に良いのでしょうか?

 

でも、やっぱり私は結局「家族に求められる存在」でありたいのだと思います。

 

 

 

過保護?

息子が結婚した当初、いくつかのすれ違いから胃潰瘍にまでなり、最終的にもう、息子夫婦とは決別しようと思っていました。

このブログを書き始めた当初に、結婚してからお嫁さんと会うのは数えるほどしかない、と愚痴っています。

結婚当初は新幹線の距離で、この時は盆にも正月にも戻って来ませんでしたが、2年前に高速で1時間半ほどのところに転勤になり、盆、正月には顔を出していました。

この4月からは息子は飛行機の距離に転勤になりましたが、お嫁さんはこちらのがんセンターに通っているので実家に身を寄せています。

そして、私は3月末で仕事を辞めたのは、ひとつにはコロナのストレスがありましたが、そのコロナのストレスの大元は、がんのお嫁さんにもしも自分が原因でコロナを移しては・・・と言う恐怖でした。

仕事を辞めたおかげで自由が効くので、お嫁さんのがんセンター通いのサポートをしています。私は本当に、自分ができることなら、何でもしたいと思ってはいましたが

それこそ、結婚当初からの経緯からすれば私の申し入れなど「ありがた迷惑」なんだろうな、と思っていました。でも、結果としては9月からは毎週の抗癌剤治療の送り迎えを担当することになりました。

私は子どもたちが学生時代から、雨が降れば必ず駅まで送り迎えをする母親だったので息子は私がそれをすることを「当たり前」だと思っているのでしょう。

決して決して恩を着せるつもりなどないけれど、こんなに私を胃潰瘍にするほど悲しませた事も忘れ、ただの一言もない息子に対して虚しさしか感じません。

お嫁さんは送り迎えうするたびにお礼を言うし、お嫁さんのお母さんにもお礼を言われたり、色々なものをいただいたりしています。

でも、息子からはただの一言もない・・・・・・ 当人が言っているんだからいい?

そうなんでしょう。

でも、ハッキリ言って私が彼女の送り迎えをするのは「”大事な息子の”嫁」だからです。

おそらく、頼まれれば私は絶対にノーを言いません。それが身内でなくてもです。でも、今回、頼まれなくてもいい顔をしてしまったのは、「息子のため」です。

3月以降、私はお嫁さんのために便宜を図ってきました。

それに対して息子からの言葉がないのが寂しいのです。

うちに来て、私が話しかけてもまともに返事もしない態度が許せないのです。

うそでも、仕方なくでも、お礼を言うお嫁さんのほうが息子よりずっとマシです。

 

もう、何年も前に、息子が学生時代、酔いつぶれてお迎えに行ったなぁ、って行った時に彼女は「過ッ保護~!」てポロリと口にしてました。その翌年、お正月に私の実家に息子のいとこたちも集まるので息子夫婦も呼んだのですが、お嫁さんがお友達に会う、というので息子が送り迎えをし、早めに帰ったことがあります。

息子はお嫁さんがお友達と遊んでいる間、息子は漫画喫茶で時間を潰していたそうです。

どれだけ甘やかしているんだよ! って思いました。

息子はそのまま実家でいとこたちと過ごし、お嫁さんは自分で友達のところへ行けばいいんじゃない? だっていい大人でしょ? 学生の息子が酔いつぶれてるのを迎えに行った私を過保護という人のやること?

息子が家族に送り迎えをしてもらうことが当たり前だったから、そのお正月も送り迎えしてもらって、そして今回だって息子は私が彼女の送り迎えをすることを「当たり前」って思ってるんでしょう・・・

結局、過保護の恩恵を受けているのは誰?

 

私は、誰かにものごとを頼まれることが好き

自分が役に立っていると思えるから。

いわゆる「承認要求」なんでしょう

だから、9月以降、「毎週」お嫁さんのがんセンターへの送り迎えをすることは本当に嫌ではありません。

大事な息子のお嫁さんだから、少しでも役に立ちたいと思います。

彼女のために毎日、お祈りをしています。

と言うか「息子とお嫁さんが幸せでありますように」と言う、お祈りですが・・・

彼女には家の宗教があるし、息子はそもそも宗教嫌いなので、私が人知を超えた物に願い事をすることを好みません。

それでも、私は毎日お祈りします。

過保護なのか、自己満足なのか・・・ わからないけれど・・・