ストローク不足

心理学の講座でクライエント役をやることになりました。

最初は別の受講者の人がセラピストをしていたのですが、途中でパニックになってリタイア。結果として先生がその後のセラピーを引き受けることとなりました。

ロープレですので、どこまで「演じ」ればいいのか悩みましたが、結果的に 普通に先生のセラピーを受けたような形でした。

 

とりあえず「主訴」として「体調不良と家族との問題」と言うここ数日、ブログに書いているような内容を説明しました。(カウンセラー役の人が『人間関係のワークをやってみたい』と言ったため、私も急遽、とってつけたようにテーマを出しました・笑)

結果としては先生の巧みなカウンセリングで本当に自分でも納得のできるところに落ち着きました。

先生は一般的な話から私の言動の奥にある物を引き出してくれました。

 

まず、先生に言われて納得がいくと言うかいかないと言うか、それでいてストンと落ちた部分が「あなたは旦那さんに甘えている」と言う事。私と毒母の話は以前にも話したことがあるので先生はそれを把握しています。私が永遠に母親に片思いをしていることも知っています。どれほど母が私を罵倒し罵っても私は母の言葉が正しいので、結果として母の望む娘になれない自分を責め続けていることも知っています。

今回、去年の12月半ばのインフルから続く体調不良の話をしていた時に、夫や娘が私が体調が悪いとか体が痛いと言うと「姿勢が悪いから」とか「普段の生活が良くない」と言って責めると言う話をしました。その時に思い出したと言うか、私が「健康自慢」だった事を言うと、先生はそれは禁止令の一つだったと言いました。親が「健康であれ」と「健康でなくてはいけない」と植え付けていたのだ、と。確かに母は母こそが健康自慢と言うか、我慢強いのが自慢の人で、私は母が病気で寝込んでいる姿を見たことがなかったし、仕事柄、骨が出るほどのケガはしょっちゅうでしたが、それも医者へ行かずに治す人でした。私は母の体質を継いで健康だと思っていましたが、実は我慢していたのかもしれない、と思いました。私は滅多に頭痛になることはありませんが、頭痛になっても薬を飲むことはありませんでした。子供の頃から母が「頭痛薬は習慣になるから飲んではいけない」と言っていたからです。頭が割れるように痛んでもひたすら耐えていました。ところがある時、ついに我慢できずに頭痛薬を飲んだらものの30分できれいさっぱり痛みが取れたのです。本当に驚きました。少なくとも半日は苦しんでいた痛みがたった30分で…

思い起こせばそう言う事が多々ありました。私が「痛い」と言うと「大げさ」と言われました。いつ頃からか慢性的に胃の痛みを感じるようになり、日常的に「痛い」と言う日々が続くと、「毎日言っていてそれでいて普通に過ごしているのだから大したことないのに騒ぎ立てている」認定をされてしまいました。生まれて初めて胃カメラを飲んだ時、かなり胃が荒れていて、その時にお医者さんが「これほど荒れていたらさぞ痛かったでしょう。大変でしたね」と言ってくれた時に、初めて自分の痛みをわかってくれる人がいたんだ、と涙が出ました。そう言えば初めての出産の時も、本当に我慢に我慢をして医者へ行ったら「ありゃりゃ、子宮口が半分以上開いている。平気な顔をしているからまだまだだと思った」とじーさま先生に言われました。これも「お産ごときで騒ぐな」と言う母の言葉を忠実に守っていたせいです。そう、ずっと痛かったし辛かった・・・でも、それを我慢するしかなかったのです。

そうして人には見えない「痛み」は我慢してきました。(訴えるとバカにされる) でも「熱」とか「嘔吐」とか客観的な症状が出るとさすがに「病気扱い」をしてもらえました。

 そして、毒母は病気になるとなぜかとても優しかったのです。私の一番好きな記憶は私が寝ているお布団の横で母が編み物をしている姿です。実家は自営だったのですが、冬は閑散期で比較的、日中は余裕があります。私の寝ている横にずっと母がいる、その光景が頭にこびりついて離れません。 

先日、以前の家に用があって往復2時間ほど車を運転したのですが、私はその間、たった1曲を延々リピートして聞いていました。私には昔からそう言う傾向があって、とにかく好きな物はエンドレス。何度も何度も繰り返すのでそれが定着します。たぶん幼い頃の記憶も良い事も悪い事もとにかく反芻しつくして定着させてしまったのだと思います。

そうして、私は自分が病気になった時、病気の時だけ優しい母の姿を何度も何度も思い出します。一晩中、足をさすってくれたこと、お布団を何度も掛け直してくれたこと、すりおろしリンゴを作ってくれたこと・・・ いつもいつもそうであった、と思うのですが、本当は私は我慢強い子で寝付くことがなかったので数少ない思い出を何度もリピートして「常にそうであった」と思い込んでいたのかもしれません。今までも時折、書いていますが上の妹とは子供の頃からあまり相性がよくありませんでした。でも、この妹はかいがいしく世話を焼くタイプで、たぶん里帰り出産で家に戻っていた時に、それこそ一晩中背中をさすってくれていたように思います。(下の妹は身体が弱かったので周りが世話をする方だった) とにかく、私にとって病気で寝込む、と言うのは滅多にない事で、そう言う事があったら家族が身を挺して面倒を見てくれていたイメージです。

 私はいつしか知らず知らずそう言うものを夫や娘に求めていたのだと思います。

でも、私が「痛い」とか「調子悪い」と言うと夫と娘は「普段の生活が悪いせい」 「ちゃんと姿勢を直せ」と言う感じで「原因分析」と「提案」をするのです。それだけで終わるのです。

私は今回先生のセラピーを受けてここ数日の体調不良に対して家族から 「大変だったね」 「大丈夫?」 「何がしてほしい?」と言う言葉を掛けてもらいたかったのだ、と気が付きました。

もちろん、夫も娘も心配はしてくれていたのだと思います。でも、多分私が一番欲しかった「優しい言葉」を掛けてはくれなかった・・・ 

むかし「生徒諸君!」と言う漫画で岩崎君がお正月だったか何かでご馳走を食べ過ぎて苦しんでいる時にナッキーをはじめとした悪たれ軍団は彼に「自業自得」とか「意地汚い」とか言うような言葉を投げつけたのですが(愛あるイジリだと思います)、その時、初音ちゃんだけが彼をかばって「でも、かわいそうだよ、痛いのに」と言うようなことを言ったことがあります。私はこの初音ちゃんがすごく苦手なタイプだったのですが、この時の彼女の言葉は本当に衝撃でした。

これをずっと覚えていられたら娘が「辛い」と言っている時に「もっと大変な人がいる」とか「みんな乗り越えて来た」と言わずにすんだのかもしれません。でも、私は本心から彼女のような「愛」の人ではなかったのです。そして、自分自身がそうでありながら、家族に対して寄り添ってくれないと不満を持っていたわけです。

今回、私の後に夫も娘も二人とも体調を崩した時に、私が普段から言っている「痛い」「苦しい」がどれほどのものか思い知ればいいと黒い気持ちになったとセラピー言ったら先生は「それは裏を返せば自分をわかってほしいと言う訴えなのでは?」と。

そしてコロナワクチン接種後の不調から2年、少なくともこの1年は同じ漢方の先生に掛かっていることについても、本来の白か黒かすぐにでも結論を出したがる私が「あいまい」な診断のお医者さんについていっている理由も、セラピーの先生は私が「本当は薬も医者通いも辞めたいのだけど、先生が優しくて丁寧に話を聞いてくれるので」と言ったところから「ストローク不足」と言う説明をしてくれました。「そもそも体調不良だと、自分で調べたり、ネットで検索しまくっているでしょ?」と先生。「病気を探しているんですよ」と。 

今までの話を総合して、私には子供の頃から「健康であれ」と言う禁止令が発行されていて病気であったり、体調不良になることを許さないできた。でも、その一方で病気になることで周りから心配されたり、やさしくされた記憶もある。子どもの時の母のように妹のようにずっと自分をいたわってくれる事を夫(娘)に求めているのに、そのストロークがない。ストローク不足。それがここ数日、しんどかった理由かもしれない、と。

治してもくれない医者でも、やさしいストロークを返してくれるところに通い続けている、のがその証かも知れません。

実際、今までの不調を検査しても検査結果としては「問題なし」でワクチンとの関連にしても「不明」で医学的には私の症状なんて誰も認めてくれません。

私は必死になって、なんとか自分で病気を見つけようと(作り上げようと?)しているのかもしれません。もう20年以上昔、神経内科のお医者さんに「あなたは『ストレス製造機』です」って言われたことがありました。このお医者さんも私の不調を直してはくれなかったけど、でもいつも長々と話を聞いてくれました。私だけにではなくどの患者さんに対してもそうで、大学病院で予約で行っているのに予約時間の2時間後にやっと呼ばれるってのもザラでした。さすがに拘束時間が長過ぎてしんどくなったので途中で行かなくなってしまいましたが、それでも半年間毎週通っていました…

そう言ったことを思い出して、私はいわゆる「かまってちゃん」なんだな、と思います。

必死になって「かまって」「かまって」「わかって」「わかって」って喘いでいるのに、その言葉を発していないので届かない、通じない・・・だから余計に悲しくて辛くて その「悲しみ」を「怒り」で表現してしまいます。

12月にカウンセリングを受けた時に先生に「あなたは本来『愛』の人なんですよ」と言われました。

霊視の先生と話した時にも「私は自分の事しか考えていな自己中な人間で」と言ったら先生は「人間なんて全員自己中ですよ。自己中で当たり前なんです」と。

セラピーの先生は「今まであなたと接してきて一度も自己中だなんて思ったことはないですよ。いつも家族や周りの事ばかり優先している」と。

でも、私が家族や周りを優先するのは単なる自己満足なんです。その自己満足に対して見返りがないと嘆くのはやはり自己中なのではないのでしょうか?

 

こうして書いてみると、私はいつの間にか家族以外の人には「助けて」のサインを発していて?それが通じています。そしてたくさんの「ストローク」をもらっています。

でも、セラピーの先生からすると「本当に欲しいのは夫からのストロークでそれがもらえないから悲しい」のだそうです。私は夫に対して意地悪で手厳しく冷たい態度を取り続けてきたと言う自覚はあります。でも、先生はそれを「夫に対する甘え」なのだと言いました。

私はずっと甘やかしてくれる存在を求めてきたのでしょう。

夫は4歳年上です。だから当然、自分より大人で自分を甘やかしてくれるものだと思っていたのかもしれません。

 私は長女だったのでいつも妹たちのお手本でいなくてはいけませんでした。私がミスをすると母は妹たちを巻き込んで「本当にお姉ちゃんて…」と責め立てました。それでいながら明らかに妹が悪くて母に叱られていたのを見ていたら「おまえはお姉ちゃんのくせに妹が叱られてるのを黙ってみているだけか! 一緒に謝ってやろうと言う気もないのか」と言うようなことを言われました。その時本当に理不尽だと思った反面、自分が長女としていたらないのだ、思いやりややさしさのない人間だと言う事も理解しました。今も、自分は「姉として」(年長者として)下の者のお世話をしなくてはいけない気がしています。でも、本心ではないので偽善者な自分が嫌いになります。

夫と結婚する前に好きで好きでたまらなかった相手がいます。一つ年下でした。結局、無意識に私はその彼のお世話をする自分がしんどくなっていたのかもしれません。

その当時から自分に自信がなかった私は本当は嫌な奴なのに人に「いい人」と言われるのがしんどくて、そんな思いを飲み会の席でポロっと零した時に、その彼が言ったのです。「でも、僕もあなたは本当にいい人だと思いますよ。だって本当に嫌な人間だったら、ほくそ笑んでるはずだから。それを心苦しいって感じるのはとても真面目で真摯な人だからだと思います」と言うようなことを「年下」の男の子に言われたのです。それでノックアウトです(笑) 彼は私の言ってほしかった言葉を言ってくれた…… そうしてその時のことも何度も何度もリピートしたおかげで、彼に対する思いは45年近くたっても色あせることはありませんでした。

別れる原因は私が「終わり」が怖くなったからで不器用なまま逃げてしまいました。

たぶん、あのまま付き合っていてもいずれ別れは来ただろうし、その時にはもっと嫌な思い出ばかりになっていたのかもしれません。もし、仮にそのまま付き合って、結婚と言う事になっても、やはりうまくいかなかっただろうと言う予測しかありません。

彼は大人だったけれど、でも大人ぶっていた子供だっただけなので。もちろん、その時の私もかなり子供だったと思います。すべてが淡いおままごとの世界の都合のいい思い出です。

結局、私は私を甘やかせてくれる相手には恵まれなかったのでしょう。

一見、夫は私を甘やかせているように見えます。いつもいつも言っていますが、「仏様のようにいい人」ってみんな言います。

でも、それでも「欲しかったもの」はくれなかった・・・

 

先生に「自分で自分にストロークを与えてみませんか?」と言われました。

自分を癒す術を自分で見つけなくちゃいけないようです。

前回のセラピーで宿題として出されたのが「私は愛の人です」と言う言葉を唱える事でした。

かなりしんどいワークですが、試みることにしました。でも、これはその1週間後のインフルでダウンしてから途絶えたままです。

私は「愛」と言う言葉が嫌いです。と言うか苦手です。特に自分に対して使うものではないと思っています。

実は同人活動で恋愛小説を書いていた時も、どうしても「愛している」と言う表現はできませんでした。ブームになって知ったのですが、夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳した気持ちがわかります。私にとってもたぶん、それが精いっぱいだと思います。

私にとって究極の愛の表現は 「あなたは大切な存在なの」=「愛しています」です。

だから逆に相手から「好き」と言われるよりも「あなたは私の大切な人」って言われる方が幸せに感じると思います。そう「大切にされたい」です。それこそ「寄り添ってほしい」って事なのかもしれません。

たぶん、夫から私の望むストロークはかえってくることはないでしょう。

だから、先生は「自分で自分にストロークを与えなさい」と。

褒められるのは嫌いです。相手に本当の自分を知られて幻滅されたくないから。さらに相手の期待に応えなくちゃいけないと無理をして自分を追い込んでしまうし、自分の定めた目標に到達できなくて自信喪失、自己嫌悪に陥るから。

好きって言葉も同じように感じるのかもしれません。いつか嫌われてしまう、と言う恐怖。

そんな風に他者に依存ばかりしているのはしんどいです。

だから自分で自分にストロークを与えて、自分を癒すように、と今回のセラピーで言われたことは本当に腑に落ちました。

 

自分が打ち込めること楽しめる事、それをもう一度思い出すと、たぶん何かしらの手芸に落ち着くのだと思います。

中学生の頃、友達に頼まれて作ったマスコット。子どもたちのために作った服や小物。

そうだ、思い出せば小学校の時からリカちゃんの服を作ったりしてたんだ。冬には家族みんなでこたつに入って編み物してたっけ・・・

大人になっても簡単な洋裁やパッチワークやレジンやクロスステッチや天然石を使ったアクセサリーや小物づくりも時間を忘れて取り組んでいたなぁ・・・

材料は全て今も「前の家」に残ったままです。

捨ててしまってもいいのかと思ったりもしたけれど、もう一度取り組んでみようと思います。