執念深い女

父は53歳で、祖母は62歳で亡くなりました。父が亡くなった頃から、ずっとなんとなく自分はこの二人の年を超えることができるのだろうか、と考えていました。

父が亡くなった年の頃の私は娘のメンタルの状態が一番ひどかった頃で、正直、自分の人生がもう終わってしまってもいいかなって思っていました。むしろ、それを望んでいたかもしれません。好き勝手やっていつも「俺はいつ死んでもいい」と言っていた父が本当はもっと生きたかったと思っていたとしても、父と同い年だった私は、好き勝手に生きてとっとと自由になった父がやっぱり羨ましくてたまりませんでした。それほど、私も精神的に追い詰められていて・・・

もがいても もがいても抜け出せないような本当に地獄のような日々が続きました。でも、ここ数年は本当にゆっくりと穏やかに収束してきました。特にここ1ヶ月で最後の重しが外れたような感じになっています。8月の半ば、私は夫と娘に泣きわめいてしんどさを訴えました。実はそれ以降、夫とは冷戦状態で、娘とは雪解け状態です。見事に対応が分かれました。娘が精神的におかしくなってから、私もうつ状態になり、本当にしんどかったのですが、夫は本当に私の救いにはなってくれませんでした。その時の恨みつらみ、苦しみ悲しみを今でも引きずっていて、私は許してはいません。それでも家族なので私はいつもどおり必死に妻として母としての役割を頑張ってきました。でも、体も心もしんどいのです。更年期に重なったこともあるのでしょう。大学病院にも通ったし、検査も色々受けて、それなりに色んなことを試していました。それでも不調は治らず、特にコロナ以降は自律神経の乱れで不眠状態。そして、そこにプラスされたのが五十肩と変形性膝関節症、ヘバーデン結節・・・ 整形外科にも整体にも通ったし、ネットで見たストレッチも頑張ってやってました。それでも体のしんどさは治らず、ついつい、マッサージと言うかちょっとしたストレッチの手助けをお願いしたりしていました。でも、どれだけ頼んでもめんどくさそうにしたり、イヤイヤだったり・・・

で、私は泣きわめいたのでした。私は家族が体調が悪いといえば、相手が何かを言う前にマッサージしたりそれこそ、毎日でも言われなくてもしていたのに・・・ しんどいよ、助けてよってどれだけ言っても「その言い方はお願いではなくて命令だ」と・・・

そう、私の物言いはいつもきつくて、今までのお願いではなくて全てが命令にしか思えなかったのだそうです。  それは恐らくそのとおりで、きっと反省しなくてはいけない部分なのだろうけれど

でも、私は子供の頃、暴言大王で今だったら毒としか思えない母が、病気になると、普段は別の部屋でしている作業を私の布団の枕元でしていました。商売屋だったので配達やお店の対応をしているのが普通ですが、母は手の空いている時間は必ず洋裁や編み物で私たち娘3人の服を作ってくれていました。たまに自分の趣味でお人形を作ったり革細工をしたりすることもありましたが、とにかく常に何かを作っていたように思います。いつもは厳しくて冷たいと感じる母でしたが、病気になるとそれは親身に介護してくれます。恥ずかしながら私は大学生の頃、風邪を引いたのか寒くてたまらず、夜中に父と母が寝ている部屋の布団に潜り込んだことがあります。ウトウトしながら目を覚ますと母が布団を何度も掛け直してくれていました。結婚してから一度、母と香港に旅行に行った時、寝る時に足が痛い、と言ったら朝までずっとさすってくれていました。私はあまり病気をすることのない子供でしたが、病気をした時、体調が悪くなった時は必ず母がつきっきりで世話してくれていたイメージがあるのです。そうして思い返してみると、子供の頃仲の悪かった妹1にも出産後、実家で体調が悪くなった時、一晩中、氷枕を変えてもらっていた覚えがあります。この妹は父が倒れた時、仕事を辞めて父の看護をしてました。最初の一ヶ月は手の空いていた私が父の看護をしていましたが、出産が近づき、妹1が仕事を辞めたのでした。その時のことがあったせいか、私のイメージではこの妹1もいつも、誰かの看護をしているイメージがあります。(長男が子供の頃心臓の手術をしている) いずれにしても、実家にいた頃は誰かが体調を崩せば誰かが手助けをするのが当たり前でした。

でも、結婚してから夫にそれを求めても無駄なんだと思い知りました。何度も書いていますが、実家は仕出し屋をしていたので私の父も料理はできます。母は滅多に病気をしたことがない人でしたが、でも母がご飯の支度ができなければ父がやってくれたし、そもそも私たち姉妹も小学生の頃には何某かの料理くらいできて、母を休ませてあげることができていたと思います。

私は痛みにはかなり強いほうだと思っていました。めったに病気もしないし我慢強くて、今までずっと一人で我慢してきたと思っていました。でも、それでも今回は我慢できない体調不良で、特に足は時に引きずっても歩けないくらいの痛みが定期的に襲う状態が2~3年続いていたのをだましだましやってきて、五十肩は急激に悪くなって、そこへコロナの自律神経・・・ もう本当にいっぱいいっぱいでした。それでも家事の手を抜くのは自分的に許せなくて、娘がかつて「ただの強迫観念」と言ったけれど、その強迫観念から抜けることもできずに必死になって・・・

そして、五十肩のマッサージを(怖い先生に毎日家でやるように勧められていた)頼んだら・・・

協力してくれないので文句を言ったら「一日仕事を終えて家に帰ってリラックスしたいのに強制される」と・・・ 1時間2時間やってほしいと言っているわけではないんです。ホンの5分10分、確かに「毎日」ではあったけれど、それは怖い先生が「一日1回でも毎日少しずつやりなさい。おうちの人にちょっと手伝ってもらえばできるから」って言ってたからです。でも、夫も娘も頼めば(彼らからすれば命令だそうですが) 嫌な顔をする・・・ それが、どれほど悲しかったか。

だって私は自分の家族にはそうしてもらってきたし、夫や子供にだってちゃんと言われなくてもやってきていたのに… それなのに、やってもらえない。痛い痛い痛いって、しんどいって言ってるのに、助けてって言ってるのに・・・ 結婚して30年以上の間に、私がこれほどしんどい助けてって言ったことが何度あるというのでしょう? 私は泣いて喚いて今までの思いをぶっちゃけました。

結果として、娘が優しくなりました。ここ半月くらい、何も言わなくても足をマッサージしてくれたりします。湿布が貼れないから貼って、と言っても嫌な顔をしません。ツボを調べたり、他の健康法を調べたり健康器具やサプリの情報を調べてくれました。

でも、夫は結局いつもどおり自分から行動を起こすこともせず、私の怒りの嵐が過ぎるのを見ているだけです。

私は執念深いです。絶対に許しません。

夫が食事の時にクチャクチャ音を立てて食べるので「それってクチャラーって言われて嫌われるから気をつけてね」と言ったら「人が食べているのを見なけりゃいいのに」と

なので、それ以降、夫の帰宅を待たずに食事をするし、今まではリビングに用意してあった食事もダイニングに移して、お一人で食べれるようにして差し上げてます。

もうここ数年、私は夫の朝ごはんを作っていません。眠れない日が続いていたので、夫の出かける時間に起きれない時もありました。でも、ちゃんとここぞという時には夫のお見送りもするようにしていました。ところがある朝、起きてきたら洗面所の電気がつけっぱなしだったので、消したら「今から歯を磨くつもりだったのに」と。 リビングでテレビ見てたくせに? 

「前々から電気はこまめに消してって言ってるよね?」とキレたら「いつも、こんな時間に起きてこないくせに」と。

なので、それ以降、絶対に夫が家を出るまで1階に降りていくことはしないと決めました。なので、夫がどんな服を着て何を持って家を出たか毎日知りません。もしも夫が行方不明になって「どんな服装でしたか?」と聞かれても答えられないでしょう。今までの私だったら、それはとても耐えられないことでした。そもそも服のセンスも悪いし、季節感とか全くわからない人なので帰ってきた姿を見て「良くもそんな格好で会社へ行ったものだ」と呆れることも多々あります。でも、それだってもう知りません。

今は夫とは最小限の会話しかしていません。夫の方から歩み寄ろうとか努力をしないで いつもどおり、嵐が過ぎるのを待っている感じが嫌だからです。だって、娘は私の泣いて喚いた真意?を汲み取ってアプローチしてくれているのに・・・

そもそも私は人と接触することが好きではありません。なので、恋人時代から今に至るまで夫からのスキンシップは我慢して合わせていてあげたのです。夫はベタベタさわりたがる人で、本当にそれが嫌でたまりませんでした。でも、それを言ってしまっては身も蓋もないと、照れているふりをしてかわしてきました。でも、本当は「触わんな、うっとおしい!!」って感じです。何しろ男嫌いなので(笑) その私が「マッサージ」と言う形で触らせてあげているのに!!! 

はいはい、わかりました。私にとっては実益を兼ねたスキンシップだったのに、私に命令されてするマッサージのせいでリラックスができないんですよね・・・

じゃ、家に帰ったら放っておいてあげるから、さぞかしリラックスできるでしょう、良かったね。

という事で、夫が帰ってきても「おかえりなさい」を言うだけであとは放置です。私は好きなテレビを見て、娘がやってくれるマッサージやお灸に感謝して娘とだけ会話しています。

多分、夫はどうしていいかわからないのだと思います。でも、結婚して35年、私は何度も何度も「こうしてほしい」 「これはやめてほしい」って繰り返し伝えてきました。それに対して夫は常に私が諦めて折れるのをただただ待つだけ。その時にはいつも「ごめんなさい」って簡単に言います。そのくせして同じことを繰り返すのです。

私は「口先だけのごめんなさいはいらない。ただ、同じことを繰り返さないでほしい」って言い続けているのに・・・

 

これで娘が同じ対応だったら諦めもつくのでしょうが、娘は対応を変えました。私の望むやり方に変えて歩み寄ってくれました。

だから半月前、同じように夫と娘にキレても今の状態が違っていることに夫はまだ気付いていないようです。いつまでも、私が諦めて折れるのを待っているだけ。

もちろん、夫が呆れて逃げ出すという可能性がないとは限りませんが

 

でも、もう私は長いこと「自由になりたい」と願っています。

なぜ、夫には通じないのでしょうか?