先月、母の米寿祝と言う名目で妹たちと私の三人でお金を出し合って二泊旅行に行きました。

その際に他県に嫁いでいる妹1の家にもうかれこれ20年は行っていないな~と思い、軽く「また一度遊びに行くわ」と言いました。そしたらパートで働く妹から「今月のシフトを出さなくちゃいけないからいつ来るか決めて」とラインが届きました。

ほんの軽口のつもりで具体的な日程も決めていなかったのですが、妹が提示した日にちなら前の方がいいな、と思い「〇日の方がいい」とお返事しました。で、妹はお休みを取り、今まで3か月待ちでしか取れなかったお店のランチも取れた、と連絡がありました。

しかし、その後 授業で調理実習の日程が決まり、さらに安請け合いで他の先生の授業の代講もすることになり、バタバタした挙句、突如 息子のお嫁さんが二泊することになり・・・ もうパニックになるくらいバタバタしていました。さらに期末試験の作成も進んでいない状況で、もう出かけるのもやめておこうかと言うくらいでした。元々、私はその妹とはあまり仲は良くなかったけど、でも、そろそろマンションに引っ越した事を妹の旦那さんを含め、話すべきだとも思っていて、そのチャンスは今回くらいだろうなとも思っていました。

で、一泊で妹の元へ行ってきました。

妹の家の最寄り駅まで行くつもりでしたが、新幹線も停まる駅の方が出かけるのに便利だからと車で30分ほどのところに迎えに来てもらい、その後 有名な並木道まで1時間ちょっとの距離。平日にもかかわらず、それなりに多くの観光客が訪れていました。そこをしばらく散策してランチを食べ、妹おすすめのお寺やケンミンショーでも話題になったと言うパン屋さんへ行ったり・・・ そして、イルミネーションで有名な施設を堪能して8時ごろに妹の家に到着して、妹が作っておいた晩御飯をよばれました。お寺あたりからかなり雨がひどくなり、イルミネーションはおかげで人が少なくて良かったと言えばよかったけど本当に凍える寒さでした。

実は今回、妹の家を訪ねようと思ったのは、本当に大きなお世話なのですが、ずっと妹が夫や長男と折り合いが悪く、普段からほとんど口もきいていないと言う話をしていて、気になったからです。車での移動時間のほとんどを妹がマシンガンで不平不満をぶちまけていました。(仕事の話とご近所の話が8割くらいだったけど) 

妹はぱっと見、ものすごくしっかり者でシャキシャキして見えます。私も子供の頃からずっと「しっかり者の妹」に面倒を見てもらったねーちゃん、と言う構図でいたと思っていました。

しかし今回の妹の愚痴を聞いているうちに本当にとことん、この子は我慢する子なんだと思いました。本当にびっくりするくらい理不尽な態度を姑や義兄一家、ご近所さんや職場の同僚にされているのに、何一つ言い返さず、結局、何もかも押し付けられて貧乏くじだけを引いているような感じです。一見、本当に何でも言い返すように見えるのに、嫌なことは全て溜め込みます。だから実家に戻って私たちの前になると本当に堰を切ったように愚痴が飛び出ます。

それでもなんだかんだで好きな相手と結婚したのだから、とそれだけは思っていたのですが、そのことを妹は全否定しました。「本当に切っても切っても捨てても縋り付いてくる相手で結婚する気など全くなかった」と。 ううう~~ん・・・ そう言えば高校時代もバスで一緒になった隣の高校の男子にものすごく纏わりつかれて困っていたことがあったなぁ、と。その時も「断っても断っても…」と言っていました。本当に一見、嫌なことはキッパリ断るように見えるタイプなので断ったとは言っても口だけでそれほど嫌じゃないのでは、なんて思っていました。

ダンナさんに対してもそうでした。何を言っても結局は自分で決めた事じゃないか、と。

でも、思い起こせば妹が結婚を決めた時、父はもうすでに死へのカウントダウンされた状態だったと言ってもいいと思います。私も含め周り全員が父が元気なうちに花嫁姿を見せてやってほしいと言っていたと思います。他県に嫁ぐこと、しかも夫の実家のすぐ近くに住むこと、そう言う事も全て見ないふりして「早く早く」とプレッシャーを掛けました。「どうしてもダメだったら戻ってくればいい」と決して許すはずもないのに、その言葉に押されて結婚して・・・ 本当に壮絶な嫁いびりと兄嫁からの意地悪も加わって 妹は前々から正月などに実家に戻ってお酒を飲むと「結婚してから何一つ良かったことなどない」と泣いていました。それを私も軽く受け流していました。

でも、今回、本当に久々に妹の家を訪ね、田舎の景色を見ているうちに私の中にも、どうしようもない切なさと言うか苦しさと言うか、妹の悲しみが流れ込んできてしんどくてしんどくてたまらなくなりました。

子どもは二人とも男の子で長男が色々あって同居しています。次男は大学院を卒業してから外に出て今は彼女と同棲しながら生活しているようです。

長男はうちの息子と同じ系列の会社で働いていましたが、メンタルを病んで退職し、こちらに戻って旦那さんのお兄さんの口利きで再就職したものの、それをやめてしまって、結局、今は運送会社で夜勤の運転手をしているのだそうです。

こんなことを言っては失礼でしょうが、10年程前の最初の就職先は関東で、彼は関西の大学院を出ていました。そこにいいた関東人は信じられないくらい関西人を馬鹿にする人たちだったそうで、それでメンタルを病んでしまいました。私も一度息子を訪ねたついでに彼の社宅に寄ったことがあるのですが、たかが1ルームの部屋がゴミ屋敷で、電気代、水道代の督促状が散らばっていました。社宅の隣にコンビニがあるのに、毎日、宅配のピザを取ったりしていたようです。大学院から家を出て一人暮らしをしていたはずですが、学生と社会人では環境が違ったのでしょう、東京での暮らしにはいかされていなかったようです。彼もぱっと見オチャラケキャラで容器に見えますが、実は妹同様、かなり繊細な子だったようです。妹はこの時期、地元の霊視のできる先生に「すぐに息子を連れ戻さないと取り返しのつかないことになる」と言われてたそうです。やはり妹も決断しきれずに、それでもギリギリ セーフのところで退職して家に戻りました。

妹は50歳くらいの時に、その先生に「今のあなたの周りには悪い人間しかいない。きっぱりと決別しろ」と言われて、その時は職場の人の事だとばかり思っていて、辞めるまで何度も紆余曲折ありながら、それでもやっとのことでその先生の言葉に従って職場を辞めることができたのですが、改めてその先生のところへ行くと「まだ、離婚していなかったのか!」と叱られたそうなのです。切り捨てろと言われた人間関係は夫と夫の家族が一番だったのでした。

でも、結局、妹はそれができなかった… その先生に「あなたは今までただの一度も自分の望んだ人生を歩んでいない、何一つ自分で決めて来なかった」と言われたそうです。

それを言えば、結婚を決めたところでもそうでした。それでも離婚しないと決めたのは結局、自分で選んだ答えだから、と。

妹が「何一つ自分で決めたことがない」と言った時、思い至ったのは高校受験の時

私も母が決めたところにあまり疑問も持たずに行ってしまいましたが、正直、私はその学校が気に入っていたので、母が妹にそこを勧めても「いいんじゃないの」と言う感じでした。実際に15歳の子どもにハッキリと将来を考える力もなかった気がします。

結局、妹は私と同じ高校に入学しました。私はその学校を出て大学に行きました。その後、妹は「大学に行かずに就職する」と言っていましたが・・・ ごめんなさい、この時、妹の進路を決定づけてしまったのは私です。その当時、私と妹はあまり仲が良くありませんでした。普通、自分が大学へ行って仲が良くない相手が高卒なら、それに対して物言いをするとは思わないでしょう。でも私は将来、妹が「ねえちゃんばかり大学に行かせてもらってズルい」と言い出されたらいやだ、と言う理由で「せめて短大くらい行ってよ」とごり押ししました。妹の方が私より成績もよかったので余裕で、うちの高校に案内が来ていた推薦入試はより取り見取りでした。実際に妹は私の行った大学よりレベルが上の女子大の短大に進みました。それもただ、私や親が「子の短大が一番、聞こえが良いから」と・・・(短大で旦那さんと知り合っています)

そして、就職は父親のコネです。ここでも、色々あってずいぶん辛い思いをしたようですが誰もそんないい所に就職しているのだから、と取り合ってもいなかった気がします。

妹が就職して2年くらいしたところで父が倒れました。私は嫁いでいて、下の妹は専門学校に生きながらやりたい仕事を探している所でした。母が一人で商売を切り盛りしていましたが、結局、妹が仕事を辞めて、実家の手伝いをすることになりました。その段階では、下の妹は働いていなかったので、上の妹が仕事を辞めるより下の妹がそのまま実家の手伝いをする方が現実的だったはずなのに、結局、上の妹はここでも「貧乏くじ」をつかまされたのだと思います。

さんざっぱら、いいように使っておいて、父親のリミットが近いから安心させるために嫁に行け、と・・・

同じ地域ならまだしも風習も何も全く違う他県の田舎で、本当に苦労したようです。田舎なので長男教で、次男の旦那さんも子供の頃から相当 邪険にされてきたようですが、それでも、田舎育ちなので理不尽な事を妹にも我慢させてしまいました。

田舎の集落は怖い、と言っていましたが、周りを見ても関西圏以外のところから嫁いでいる人もおらず、ずっと勝手もわからないまま、言われるまま・・・ それこそ我慢我慢我慢の連続で

 

今の季節になると天気が悪くなり気分が陰鬱になります。いわゆる「冬季鬱」と言う状態になるみたいです。

実際、私もたった2日、妹のところに滞在しただけで、お天気と、田舎の「氣」と言ってしまってはいけないのでしょうが、何とも言えない負の感情に押しつぶされそうになっています。

もやもや、もやもや湧き上がる言いようのない悲しさに押しつぶされそうです。

 

正直な事を言うとずっと、子供の頃からこの妹が好きではありませんでした。どちらかと言えば末っ子の方をかわいがっていましたが、今はその妹の方が苦手です。今回、マンションを買ったことを家族に言わなかった理由は下の妹の発言がきっかけになっていたからでした。今も自分勝手でありながら、結局まわりにかわいがられる下の妹に嫉妬と怒りを持っているのは間違いありません。

 

家に帰ってこの2日間の妹とのやり取りを夫や娘にくっちゃべりました。

正直言って、私も母の事やお嫁さんの事、そして夫や娘(本人たちには言っていない)に対する不平不満がありました。でも、ここが私の特性なのですが「自分より大変な思いをしている人がいるのなら我慢しなくちゃいけない」とチラッと言ってしまいました。

とたんに娘に「人と比べる事じゃないでしょう」と娘にとがめられました。私としては「前向き」な発言だったと言うか、自分を奮い起こす発言でした。私はいつも、そうやってつらい事を乗り越えてきました。自分より大変な思いをしている人がいるんだから弱音を吐いちゃいけない、と。それでまた頑張れる気力を無理やりでもチャージしてきました。でも、それをまた否定されてしまって、言いようのない泥の中にとごってしまった気分です。

 

私は昔から人の言う事に影響されやすい、流されやすいのだと改めて実感しています。

この陰鬱な気分から どうやって抜け出たらよいのかわかりません。

幸か不幸か12月の頭にカウンセリングの予約が取れているので、それまでは現実的な忙しさを優先して気を紛らわせます。

明日中に試験問題を完成させ、明後日には印刷を済ませ、12月頭の試験と試験監督、そして採点。(今回は4クラスだけなので少しは楽です)

本当は頼まれていた共通のプリント作りが暗礁に乗り上げていて放棄したいのですが、これがずっと頭を悩ませています。 

その後、成績伝票を提出し、今学期最後の調理実習を済ませ、3学期のプリントを作成して印刷・・・と言うのがちょうど1か月間の日程です。

グダグダしている余裕は全くありません。

無理やりでもこの負の感情を追いやらねば……