割と調子が良い

お仕事を辞めてから体調が格段に良くなりました。

今までは、仕事の事で頭がいっぱいで、もし、自分がコロナの感染源になってしまったら、と言う恐怖に包まれていましたが、もう、そんな心配をしなくていいんだな、と。

夫の会社でも、夫自身や家族の健康状態を報告しなくてはいけないそうで、もちろん私に何かあったら夫にも迷惑がかかるようなのですが、でも、私自身が自分の職場に感染源と認定されることに比べれば全然、感覚が違います。

 

実は、夫の会社に先週くらいに家族でハワイに行って帰ってきた人がいるそうです。

その人が自主的に2週間? 休んでいるかどうかは不明ですが、もしも夫がどこかで感染したとしたら、会社が一番怪しいのでは?

夫は元々、朝6時台の電車で出勤し、帰りはあえて時間がかかるけど(&1時間に1本しかない)バスで帰ります。ほぼ始発から終点近くまで乗ってくるのですが、多くても5人程度だそうです(笑)

 

娘は電車で20分ほどの職場に通っており、ちょうど出勤時がラッシュになります。

なるべく、一個前の駅が始発の電車を選んでいるようですが、会社から時差出勤を打診されたようです。でも、出勤を1時間遅くすると帰りがちょうどラッシュになります。

朝のラッシュと帰りのラッシュでは朝の方がまだマシかも・・・と。

いっそのこと、自転車で行く?と聞いては見ましたが、さすがに10Kmは厳しい・・・

じゃ、私が送り迎えしようか? と言ったら、やっぱり時間の無駄・・・と

さらに、駅前は3車線の道路で、町中を抜けるので時間が読めません。朝一番の何もない時間帯であれば最短では20分くらいで行けるけど、もしも渋滞にはまってしまうと、線路と川を超えなくちゃいけないので抜け道がありません。今までも何度かお迎えに行ってもめたことがあるので、正直私もあまりいい思い出がありません。

 

そんなこんなで、いつ終わるかわからないこのコロナ騒動をどう乗り切るか・・・

中々 大変です。

不眠

一昨日、雨と風が強かった夜、雨戸のカシャンカシャンと言う高い音が異常に耳に触り、お尻の先から電気が脳天に突き抜けるような感覚に襲われました。

お布団に入ってから何時間も眠れず、本当にしんどかったです。

結局、2時半ごろまでは意識があり、朝目が覚めたのは6時(娘のお弁当を作らなくては、と言う意識)

そのまま、一日を過ごしました。

一昨日はここ最近では久しぶりに日中の調子が良かったと思っていたのに・・・

しかし、音に敏感になっていたのはその1日前からで、誰もいない部屋でラインの着信音とかに異常に驚く、と言う感じでした。

 

そして、昨晩・・・ 神経過敏はそれほどではなかったものの、やはり音に関しては、極端に言えば自分の、息をする音が耳障り、と言う感じです。

時折、その音で背中から頭の先にピキっと電気が走る感じです。

昨日は自転車で10分ほどの市役所に出かけたのですが、どうにも息苦しい。

コロナの強い倦怠感って何だろう、と思ったりするのですが、とりあえず、普通に暮らせているのでそうではないと認識していますが

自転車で息切れがする、と言うのは・・・

そう、昨年の肺炎以降、どうも肺の機能が完全には回復していない感じがします。

これでコロナに襲われたらやばいんだろうな、と。

 

肺炎の症状が治まってからもしばらくは息苦しいし、ちょっとしたことで息切れがすると感じていました。それがなんだかんだで2か月くらいは意識していたと思います。

そして、そのほとんど直後、コロナ騒動。

これでまた息苦しさ復活です。ただ、これが新規なのか後遺症?七日、そのあたりがわからなくて不安に駆られるわけですが

 

とりあえず、仕事を辞めたことでかなり気分が楽になり、微熱が出たり血圧が異常に高くなることはここ数日治まっています。

 

4月から、かんたんな体操とストレッチをはじめ、これで自律神経の調子を整えることができれば、と思っています。

コロナが

実家に用があって出かけたところ、母が「一緒に〇〇の役員をやっていた人がコロナで亡くなった」と・・・

前回、帰った時も割と近くでいくつかの感染が発覚した、と言っていましたが

ついに、死者が、しかも面識のある人が亡くなり、動揺が広まっているようです。

 

2月まで体調が悪かったので、実家のお世話になっていたのですが仕事もなくなり、家に戻ってきました。

でも、夫とケンカしたり、娘の態度に腹を立てたりで、もう一度今度は仕事関係なく実家でのんびりしようか、とか思っていたのが吹っ飛びました。

4月から県外へ出て就職する姪っ子がいたのもあって(彼女は東京の友人宅にしばらく泊まっていた) ほんの30分程度の滞在でとっとと家を出てきました。

80代の母も心配だけど、私は絶対にコロナにかかるわけにはいかないのです。

4月からのお仕事を辞めたおかげで気持ちはずいぶん楽になりましたが、どうにも自律神経屋がやられているようで、しかも今日のようにお天気が悪いと、以前の「めまい」もしんぱいになります。

とにかく、悪いところだらけなのです。一番の問題は夜眠れない事、とにかく寝るのは日付が変わってからで、その後1時間ごとに目が覚め、ここ2~3日は4時ごろ目が覚めたらそれ彼眠れないまま・・・ そんなことの繰り返しがここ数年続いています。

実家にいた時だけ、朝までぐっすり眠れていたので、実家で眠りたかったけれど、でもコロナの恐怖には勝てません。

 

今日も母は、老人会の仲間と喫茶店で話してきたと言っていました。(そこで知り合いが亡くなったことを知った)

院内感染が疑われた病院に通っていた仲間もいます。

もう少し、危機感を持ってほしい気もしますが、老人会の特有の人間関係?で、参加しないとハブかれる恐怖があるのだそうです。

 

実家にいる間もマスクをして(私だけ) 家を出てすぐ(車に乗り込んで)に次亜塩素で消毒しました。

申し訳ないけれど自分の親でもバイキン扱いです・・・ なんだかぁ

これは行き過ぎた態度なのでしょうか?

 

 

もし、これだけ気を付けている私がコロナにかかったとしたら、コロナはもう飛沫ではなく空気感染だと思います。

同級生の死

小学校時代の同級生がくも膜下出血で急逝したと連絡がありました。

田舎の学校なので、とても関係が密で、クラス会も4年に一度、オリンピックの年に開催、と言うことで毎回多くの人が参加していました。

たまたま最近になってライングループを作り、クラス会に限らず飲み会などを頻繁にやろうね、と

そのグループに息子さんから連絡がありました。

最初は同級生の名前で「父が・・・」と書いてあったので、うちの母親と同じくらいの年かな、そういう年だものね、と思っていたのですが、「うそだろ!!」と言う別のメンバーの緊迫したラインに、息子さんから事情を知らせるラインが

慌てて読み返すと、彼本人が亡くなっていたことがわかりました。

途端に何とも言えぬ無常感と言うか、喪失感と言うか・・・・・・

 

おそらく私たちのクラスでは一番の人気者で中心となる人でした。

あまりに人気者過ぎて、クラスメートながら、ちょっと別世界の人のようなイメージがありましたが、もう20年くらい前のクラス会の時「なんか、この前のクラス会の時、あなたにときめいた」と言われました。

「どうした、何事?」と目を真ん丸にした私。当時から超おデブで、今も変わらぬ巨漢でいる私に何のリップサービス? と

あの時のいたずらっ子のように笑った彼の笑顔を思い出します。

お通夜に参列した同級生から送られた葬儀の遺影はまさに彼そのものの素敵な写真でした。

それを見て号泣してしまいました。

 

当時36名だった私たちのクラスで亡くなったのは2人目です。数名、行方知れずの人はいますがクラス会にはいつも20名以上が集まります。多いときは30名が集まりました。

丁度、私たちの親と同世代の担任の先生は数年前に癌の手術をしたようで「4年に1度では少ない、毎年やってほしい」と言っていました。

でも、現実的には難しくて「4年に1度が妥当だね」と言っていたけれど・・・

もう、そんなことも言えない年になってきたのでしょうか

 

おりしも新型肺炎のおかげで、明日をも知れない身の上、と言うのが現実味を帯びてきました。

「命」とは何なのか・・・

「生きている」とは「生きる」とは・・・

パートをやめました

4月から週に1回のお仕事を引き受けていたのですが、ぎりぎりのこのタイミングでお断りしてしまいました。

とにかく、コロナ感染の恐怖によるストレスが強かったのと、息子のお嫁さんのがんセンター通い(毎日らしい)をサポートするため。

基本、お嫁さんのお母さんが送り迎えするみたいですが、さすがに毎日はきついと思います。

私の方から「手伝えることがあれば」と声をかけたところ、「お願いするかもしれない」とのことでした。

私は今までも家族の送り迎えをかなり頻繁に行ってきました。ある意味、使命のように。

それが自分の承認要求だったのかもしれませんが とにかく、自分が役に立っているのがうれしくて無理をしてでも時間を割いていました。

なので、今回もお嫁さんに頼りにされたのは本当に心から嬉しいのですが

ひとつ、この時期 「コロナの恐怖」がのしかかり・・・

もしも、パートのお仕事を続けると多数の人と接する仕事なので、どこでもらってくるかしれません。

自分だけならあきらめもつきますが、もしも、がん手術後のお嫁さんに感染させてしまったら・・・

もう、それが恐怖で恐怖で

毎日がストレスでした。血圧は上がるし、微熱におびえるし、吐き気に胃痛・・・

それが、お仕事を辞めると決意して、それを伝え、了解をいただいた途端、本当にピタッと治まりました。

ああ、本当にどれだけ、お仕事が苦痛だったのか・・・

 

お嫁さんの治療は毎日、がんセンターに通うのが少なくともGW明けくらいまでだそうです。

7月半ばとも言っていた気がします。

息子は4月に東北に転勤です。

なので、息子ができない分を私がしなくては、と思っています。

 

切り捨てたはずだったのにね・・・・・・

コロナのせいで

3月半ばまでお仕事の予定でしたが、急遽2月末でお仕事が終わってしまいました。

突然の事で、職場にきちんとしたご挨拶もないままでしたが、先日 呼び出されてあれこれ後始末をして、ついでにお礼のお菓子も置いてくることができました。

正直、ホッとしています。お給料もどうなるか心配でしたが3月分も予定通り入っていたし。

4月からはお嫁さんの闘病の手伝いも必要かと仕事をセーブしました。

週に1日だけです。

正直、去年、体調を崩してゆっくりしたかったのが一番ですが。

 

前々から、海外へロングステイを考えていました。

英語が全くダメですが、マレーシアの語学学校に通いながら半年くらいのステイ、と言うコースを検討していました。

しかし、一昨年は町内会長を引き当てててしまい、流れました。

そして、去年の夏に、交流分析を含めた心理学の講座受けることを決めてしまいました。

9か月の講座と言う話でしたが開講時期が延期になり、どうやらすべてが終わるのは来年の春くらいです。これがなかったら、お仕事が減ったタイミングの今年、思い切って家を出る予定でした。

しかし、申し込んだ講座の開講延期に続いて、お嫁さんのがんが発覚、そして、今まさにこのタイミングで新型コロナ肺炎の蔓延・・・・・・

 

これはどう考えても「やめておけ」の天の啓示ですね。

さらに、このコロナ騒ぎのせいで私の資産のほとんどを株式にしておいたせいでとんでもないマイナスが・・・

そのうち戻るだろう、なんて甘い考えでいたがたために、もう今更 ロスカットをするにもあまりにマイナスが多すぎて怖くてできません。

このお金をロングステイの原資に考えていたので、(まさに丁度、必要だと思っていた金額分が焦げ付いています)これも 辞めておけのサインかな、と

 

お金に関してはいつも、何かをしようと思っていると、それとほぼほぼ同額の臨時収入と言うか(主に保険の満期金でタナボタなお金ではないのが残念)が入ってきます。

心理学の講座の代金も急に9月から仕事が増えた分のお給料と同額でした。

なので、それをGoサインだと思っていました。

今回の株のマイナスも、ロングステイで無駄にしてしまうだけのお金だったかもしれません(笑)

とは言え、扶養範囲のパートでコツコツためてきたお金が一瞬で消えてしまうのはダメージが大きいです・・・

 

なんだかなぁ・・・

 

 

決別したはずなのに・・・

以前の日記で息子の事を忘れるつもりでいたのに、結局、情を切り捨てることなどできません。

昨年末に息子のお嫁さんに癌が発覚したと連絡があり、できることがあるなら何でもする、と。

本当に心から彼らの助けになりたいと思ったのです。

結果としてお嫁さんから、状況の説明やこちらの申し出に感謝のラインがありました。

手術の前にお見舞いに行きたい旨を伝えると、うれしい、という言葉もありました。

しかし、昨日、息子はお嫁さんを実家に送り届けるついでに我が家にも寄りましたが、私の質問や言葉には つっけんどんに返事をする、と言うか返事すらまともにしません。

いったい、いつからどうして私に対してのみ、これほど冷たい仕打ちなのか・・・

それは、もう、私が胃潰瘍を患う原因となった4年前にさかのぼると思います。

あれ以来、息子の私に対する態度は本当に悪意しか感じません。

 

息子は帰省しても、我が家には寝るために帰るだけで、夜遅く来て、朝ご飯を食べる時もあるけれど、翌朝、お嫁さんの家に飛んで行って一緒にモーニングへ行くようです。

その予定すら、お嫁さんやその家族の都合で振り回されているのに・・・

それでも 息子がいいなら、それでいいです。

そうやって全て諦めて来たのに・・・

今日も朝ご飯だけを食べて、とっととお嫁さんのところへ行ってしまいました。私は今日は留守にする予定があり、8時ごろに戻りました。

家族がお風呂に入った後、息子が帰る時間まで起きて待っていました。

(昨日も待っていた。でも、お風呂には入らずに寝る、ととっとと2階へ上がっていきました)

先ほど、ラインに気づきました。

「妻の家に泊まるから鍵をかけてもらっていいです」と。

お嫁さんからすれば、どうせ寝るためだけに帰るんだから、それだったら自分の実家に泊まっていけばいい、と言う感覚でしょう。そして、それは息子も同じ。

おそらく、私が待っていることなど わかりもしない・・・

本当はもっと息子と話したかったのです。

ただ、息子があまりにぶっきらぼうなので、言いたいことも言えず、聞きたいことも聞けずにいるけれど、私はただ普通に息子と話したかった・・・・・・

決別する、と言ってたはずなのに、やっぱり息子が可愛いです。

ただ、高校時代、息子から、私が息子の事をないがしろにしている、と言うようなことを言われたことがあるのですが、おそらく、息子はずっとそういう思いでいるんだろうな、と実感しています。

 

今まではどんなに遅くなっても、一応、我が家に泊まっていました。

でも、今日はお嫁さんのところに泊まるんだ・・・・・・

この悲しいさみしい思いを口にしないで、ただ「了解」のスタンプだけを送りました。

そうしてやっぱり私の思いは永遠に届くことなどないのでしょう。

 

悲しくて、悲しくて眠るのが嫌です。

夫とはずっと喧嘩していて、同じベッドに行きたくないせいもあります。

 

悲しくて悲しくて悲しくて・・・・・・・

 

今日、交流分析の講義を受けました。

私が苦手としていることは自分の感情を素直に表すことだ、と

 

 

私はいつも怒りだけを表に出していました。

でも、本当に私の中にあるのは「悲しみ」だったんだ、と思います。