また1年が過ぎてしまった・・・

色々と忙しく、大変だった1年が過ぎました。

新型肺炎のおかげで本来は今月半ばまでのお仕事が突如、先月末で終わってしまいました。

色々ストレスで行きたくない気分満載だったので、それはそれでいいのですが・・・

 

昨年の11月に肺炎になりました。

まさか、今、こんな新型肺炎が話題になるとは思っていませんでしたが

 

その時の私は、風邪の症状で始まり夜には熱と咳が出るものの、朝にはそこそこ平熱になり、仕事が忙しかったこともあり、休むことなく出かけていました。

ある土曜日の夜、熱が39℃を突破して、さすがにこれはインフルかも、と夜間救急に行きましたが、結果は陰性。

解熱剤をもらって帰りました。インフルの検査だけでしたが時間外だったので1万円近くもかかり、結局何もしてもらえなかった感が強いです。

解熱剤を飲みながら仕事に行っていましたが、どうにも体調がよくならず、木曜日にかかりつけのお医者さんへ行くと、レントゲンを撮ったら「肺炎」との診断。

しかも、相当、ひどい状態らしく、かかりつけのお医者さんが、「明日、紹介状を書くから、すぐに大きま病院に行きなさい」と。

しかし、その金曜日はどうしても抜けられない仕事があり、行けないといったら、大きな病院は平日の午前しかやっていないから、ここを逃したら死ぬよ! と。

そう、ここのブログでも書いていた私の事を癌だ癌だ、と脅す先生なのです。

血液検査をして点滴をして、お薬をもらって帰りました。

薬が効いたのかかなり、楽になった気がしていたのですが、朝7時に、その先生から「血液検査の結果がとんでもなく悪いから、とにかくすぐに紹介状を取りに来なさい。病院に予約も入れておくから」と・・・

さすがに、そこまでされては仕方なく・・・

結局、大きな病院でCTの検査も受けました。しっかり肺炎でした。

しかし、かかりつけの先生の処置が良かったのか、薬が効いたのか、前日撮ったレントゲンに比べるとCTは回復の兆しが見える、とのこと。で、入院してもいいし、通院でもいい、と言われたので通院を選びました

ただし、月曜日には必ず診察を受け、そこで悪くなっているようなら即入院です、と。

とにかく、仕事が忙しくて、月曜日に休むことも厳しかったのですが、後々の事を考え結果として2日、休むことになりました。

その後はとにかく、セーブしながら仕事をつづけました。

 

肺炎の原因もどこから移ったかもわからない状態だったので、懲り懲りして除菌液やアルコールを買い込みこの時からマスク生活が始まりました。

まさか、それが今役立つとは思ってもみませんでした。(節約して2~3日使いまわせば家族3人で、あと3か月くらいは持ちそうです)

普通の細菌性の肺炎でしたが、結構長い間、息切れが続き、ストーブを消した時の排気ガス?で死ぬほどせき込んで、肺がやられるとこんなに苦しいんだと実感しました。(息ができない恐怖)

 

お仕事がなくなったので、少しストレスがありませんが

多くの人と接する仕事だったので、もしも自分が感染源になってしまったら、と本当にものすごく神経質になっていました。

 

体調が悪かった時には実家にお世話になっていたのですが、その実家の近くの病院で感染者が出た、と言う話があり、逆に心配が募りました。職場の近くのジムでも集団感染があり、そのあたりを歩いているだけでも「もしも・・・」と言う恐怖がありました。

あまりにストレスが溜まったせいか、この1か月の間に血圧が 190を超えるケースが4かいもあり、最高では206と言う、普段120あると高い!と思っていた私にとってはパニックに相当する状態でした。

昨年の肺炎の時に、パルスオキシメーターを買ったので、それで正常値にあると少しパニックが収まりますが、とにかく、毎日毎日、あまりのストレスで鬱っぽくなっています。

昨日も、家にいたら新聞の勧誘員がやってきて、うっかりマスクをしないで対応してしまったことに夜になって気づき、パニックになりました。

血圧が177まで上がり、熱まで出てきました。

 

慌ててお布団に潜り込んで、とっとと寝ましたが、体が火照って、どうなるか心配でした。

しかし、今朝、体温を測ってみたら、お布団の中にいるのに35.8℃(普段の平熱は36.4℃です)

ホッとすればいいのですが、逆に体温が低すぎて怖い! と思ってしまいました。

結局何をしてもストレス、ストレス、ストレス、です。

 

お盆

実家は本家でしたので、子どもの頃からお盆の時期はお寺さんと親戚が来るのが当たり前でした。

と言っても、近くに住む叔父は昔からヤンチャな性格で自己中な人で礼儀とか儀式とか気にしないので盆正月に仏壇に手を合わせることも墓参りをすることもありませんでした。

毎年必ず来るのは父の妹夫婦と父の姉二人、あとは祖父の兄妹たちでした。

夏が忙しい自営業だったので、本当にお盆はバタバタとしていた記憶があります。お盆が過ぎる頃、母の姉妹が子ども(私たちにとってはイトコ)を連れて遊びに来ることが多く、これが夏休みの一番の楽しみでした。私たちが小さな頃は母達の実家(祖父母の家)に行ったりもしていましたが、弟(跡取り)嫁が気に入らないらしく行けば険悪になるのでだんだんと足が遠のいたような気がします。

父の姉たちも亡くなり、最近は叔母が来るだけとなりました。

私はいつも夫の家を優先させられてイトコ達が集まる時に間に合わないのが悔しく悲しかった覚えがあります。もちろんイトコ達もやがてそれぞれに家庭を持ちオバの家に来ることもなくなりましたが、私はイトコの中では一番年上だったので、私が結婚したときはまだイトコは全員、独身で子どもの頃からの週間で我が家に集まるのが常でした。

それなのに、夫の家のつまらない集まりに拘束されてイイ嫁するのが苦痛で苦痛で・・・

私は次男の嫁ですが、なんだかんだと呼びつけられては泊まらされていました。

しかし、夫の姉はその当時で結婚して20年ほど経っていたにもかかわらず「夫の実家には一度も泊まったことがない」と自慢げに言っていました。

不思議なのですが、同じ嫁の立場で自分がイヤなことできないことを弟の嫁には平気で強制する小姑根性・・・

夫の母親が孫に買ってくれた服を「田舎くさくて袖も通さずに捨てた」と平気で曰ったあげく「あなたは良いわね、うちのお母さんのように良い姑で」とおっしゃること・・・ 

義母が作ってくれる子供服・・・私の感覚からすると時代遅れも良いところなんです。だって夫は義姉から一回りの下の末っ子。それだけでも時代が違うのに・・・ そもそも結婚式の時もお色直しは 振袖とウェデイングドレス、と指定してきたのは義母。打ち掛けは良いけど、振袖が死ぬほどダサくていやだったのですが、何も言えませんでした。ところが、20年も前に結婚した義姉の時はドレスが2着だったそうなのです。それでイイなら私だってウェデイングドレスドレスとカラードレスを着たかったです。(今でもアルバムから振袖を消したいと思ってるくらいひどい)

そんなこんなで、娘がいるくせに(娘には好きかってさせているくせに)嫁には自分の所を優先させる義実家が大嫌いでした。それでもイイ顔しいで我慢してしまう私・・・

だから、息子が結婚しても、絶対に何も口出しをしないでおこうって決めました。

結果として結婚して3年、お嫁さんが我が家に来たのは、初めて紹介されたときと結婚式の話をしたとき、そして結婚してからは去年のお盆に突然顔を出した1回キリです。

なんだかな~~って思うことはありますが、でも、昨日自分の実家へ娘と夫と行って、二人の手持ちぶさたな様子を見て、ホンット 儀礼的な付き合いって疲れるだろうなって思いました。私は母の話し相手をしてたので時間をつぶせましたが、途中でイビキをかいて寝てたりしたそうです(笑)

そんなこんなで、お盆ってなんだろうな、と。

夫の父が亡くなって2年になります。

去年は初盆なので、息子を呼びつけて(お嫁さんは来なかった)夫の実家に行きました。今年は息子は来ません。

娘に「どうする?」と聞いたら「おじいちゃんもいないし、行かなくてイイ?」と言うので「まあ、いいんじゃない?」と。

今までも義母が亡くなってからは、夫の実家へは30分くらい話をして義父のホームへ行って30分くらい過ごして帰る、と言うパターンでした。

これも正直、儀礼でしかありません。

今年も御供えとして1万円を包み、ちょっとしたお菓子をもって、お茶を頂いて30分くらいでおいとまする予定です。

高速を使えば1時間ちょっと、下道を使って2時間くらいです。

あとは長い「お盆休み」を何をするでもなく過ごします。

メンドクサイなぁって思います。

宗教心がなくなったことは良くないことでしょうか

気がつけば1年以上(笑)

すっかり存在を忘れていたブログを見つけました。

あれから1年以上が経ったのか・・・

考えてみれば、あれからこの1年は、それほど大きな問題がなかったんだろうな、と思います。

もちろん、いろいろなことがあったけれど、少なくとも心がボロボロになるような出来事がなかったことは胃の痛みも治まっているし、そもそも体重が大幅に増加したことからもわかります。

ただ、つい3ヶ月ほど前に、生検で胃ガンではなかった話を後援会で知り合った外科の先生に言ったところ「セイケンはアテにならないよ。ちゃんと問題のある部分が取れたかどうかわからないから。それよりも経験のある先生の見立ての方が信用できると思うけどね」って言われました。

うううう・・・

せっかく「なんともなかったんだ」って安心していたのに・・・

 

 

でも、実はそれもまた「やっぱり大丈夫かも」と思っています。

信頼している霊視能力のある方に、一連の話をしたときに「とりあえず、将来的に問題のありそうな病気事故事件に巻き込まれることはない」と言っていただいたのです。しかも「家族を含めて」です。

私の心配事の8割は家族のことです。なので、何が一番楽になったかと言えば、家族を含めて大きなトラブルはない、と言っていただけたこと。

日常生活の小さなトラブルはあって当たり前、と思っています。

だから、それをなくしてくれ、なんて思わないし、だから自分が吹こうとも思いません。

家族が幸せでなければ自分も幸せになれない、もしくはなってはいけない感があったので、その心配がなくなると言うことは、自分も幸せになることだと思います。

ありがたいです。

私は長生きを望んでいないので、例えば平均寿命より遙かに短い人生でも不幸だとは思いません。ただ、それで周りにどう影響するのかと言うことは気になります。ガン疑惑の時には、それまで家族に振り回されて自分の人生を楽しんでいなかった虚しさのようなものを感じて悲しくなりましたが、ガンではなかったと知ってからは結局、私は家族のために犠牲になる自分が好きで演じてきたのかも知れない、と思いました。

でも、それは結局は自分以外の人間の考え、感情に依存するもので、どれだけ尽くしても心配しても最終的には報われないのだと思います。

だったら、そろそろ自分のことだけ考えて自由に生きても良いのかな?

ただ、そのためには家族の健康幸せ、と言う担保が必要です。

それを霊能力のある先生に保証していただいたので、もうそれを信じることにします。

ありがたいです。本当に。

とりあえず

生検の結果は「1」とやらで、ガンではなかったようです。

「これが4とか5だったら危ないけど・・・ まあ、ガンじゃないって事で」

って、よくわからない先生のお言葉でした。

とりあえず、胃が荒れているのは間違いないのでお盆明けの分まで食前の薬を貰いました。

でも、食前のお薬ってついつい飲み忘れてしまいます。

この調子だと、次に行くのは9月くらいになるかもしれません。

8月の末には夫の会社のふぁみりー健診があるので、そのまま行かなくなるかもしれません。

いずれにしても、あの先生の脅しのような言葉で、逆に本当に病気になるんじゃ?と言うくらい悩まされてしまいました。

 

でも、おかげで自分の人生やこの先の人生設計も見直すきっかけにはなったと思います。

感謝すべきなのかもしれません。

ガンかなぁ・・・

胃カメラで引っかかりました。

以前、胃潰瘍をやったところが怪しいらしいです。

詳しい結果は来週出ます。

 

娘がおかしくなってからずっと、しんどいしんどい毎日を過ごして、生まれて初めて「標準体重」になりました。

その娘も少しずつ落ち着いたところで、息子が結婚し、お嫁さんとのトラブルに見舞われました。

娘との葛藤の最中でも起こらなかった胃潰瘍になったのはまさに一昨年の年末のことです。同時に帯状疱疹にも見舞われました。

辛い辛い出来事でした。

前回の日記もそれと決別するつもりで書いたみたいですが、結局の所、ストレスは続いていたようです。

さらに、娘に対しても不満は山ほどあります。と言うか、本当に毎日毎日、小さな事をグチグチ言われてウンザリしていました。

確かに私は家事全般、いい加減です。

でも、いくら私がほとんど専業主婦に近いとは言っても月に10万は稼いでいます。ちゃんと労働しています。その上で誰一人として家事をねぎらってくれることも手伝ってくれることもなかったじゃないですか。

そう、それは結婚してからずっとです。

私は人に感謝もしなければ謝ることも出来ない人間だと娘は言います。

じゃあ、あなたたちはどうなの? 私だって、そんな言葉聞いたことないです。でも、私は自分勝手で傲慢で感謝するところもない人間だから仕方ないの?

以前、反論したばかりに「お母さんは絶対に自分だけが正しいと思っている」とさらに責め立てられました。夫もそれに便乗しました。

今まで、どれだけ私が言葉を求めていたかしれないときに何も言わなかったくせに。

私の怒りは常に悲しみの発露です。そう、私は怒っているのではなく悲しく悔しくむなしかった。それを全て怒りの感情で表していた。

だから、私に起こっていることは自業自得だと思います。

だから、私は別にガンになろうがそれは自己責任だと思っています。

でも、息子もお嫁さんも娘も夫も、責任の一端を少しは感じて欲しいと思うのはわがままでしょうか。

いや、言わないでおきます。

ずっと霊視が出来る方に「役割を辞めて自分自身の人生を生きなさい」と言われていましたが、結局私は妻として母としてやらなくちゃいけないと勝手に自分が思い込んでいることだけをし続けてきました。

それは自己満足ではあったけれど、でも自己欺瞞でもありました。

 

私は自由になりたいです。

この自由になりたい強い思いが病気への逃避だったのかもしれません。

 

まだ確定前ですが、お医者さんは内視鏡で日帰りで手術できるタイプだと思うというようなことを言っていました。

私はまだ、胃カメラで引っかかったことを家族の誰にも言っていません。

(パート先の上司には「もしかしたら急に辞めるかもしれない」と言う形で報告してあります)

結果が陰性でも陽性でもこのまま、家族の誰にも言わないでおこうかと思っています。

バイバイ

2年前に結婚した息子。

結婚式以来会っていません。

盆も正月も夫の父の葬儀にも来ませんでした。

仕事が忙しいことは知っていたので仕方ないと思っていました。

 

結婚した年の年末にお嫁さんに近況報告とお正月に来るのか尋ねるメールをしたら息子から「嫁にメールをするな」と言われました。

「聞きたくもない話をされて迷惑だ」と。

それは息子の考えなのかお嫁さんの考えなのかわかりません。

あわてて?お嫁さんの弁解メールが届きましたが空々しく感じてそれ以降、お嫁さんにメールをしていません。

 

このまま疎遠にしてはまずいのかと、上京する予定があったので予定のメールをしたけれど「忙しくて会えません」とだけ返事が来ました。

 

ああ、本当に迷惑なんだな、と認識しました。

もう、これっきり、縁を切ってもイイと思っているんだとしか思えません。

 

それならもう、私もしがみつくことなどないでしょう。

 

バイバイ