父の33回忌

父が亡くなって32年が過ぎました。

実家は本家なので、ご先祖様の法事はキッチリ行ってきました。

でも、ここ10年ほど前から大掛かりな親戚を呼ぶスタイルはやめて母と私達三姉妹のみで行うようになりました。

それまではキッチリ3と7で行い、47回忌の後に50回忌、そしてとんで100回忌でとい上げとなります。私が子どもの頃には本当に毎年のように誰かしらの法事があって、100回忌も数回あったように思います。

もちろん、同じ年に重なる人はまとめて、なので年に1回以上にはなりませんが・・・

母が律儀に関係者が生きているうちは、と行ってきましたが、その関係者も年を取り、息子さんたちが来てくれるようになり、これはかえって迷惑だろう、と父の法事でも父の兄弟(姉二人、妹弟一人ずつ)も呼ばなくなりました。その後、伯母二人も数年前に亡くなりましたが、母も3回忌以降は呼ばれていない、とのことです。

夫の実家も義父が「俺は13代目」と自慢にする?本家でしたが、義母が20年ほど前に亡くなってからは、もうご近所を合わせて20名以上が集まる法事はなくなり、義父が亡くなった今では義兄嫁さんに夫が「お父ちゃんの法事も3回忌まででいいから」と言って終わりになりました。

それに比べるとうちの母はまだ本家の嫁の役割にこだわっています。

ただ、昔のように家で食事をしたり、引き出物を沢山用意したりをしなくなった分、簡素化はしているし、それこそ10年前など私は父の法事をすっかり忘れて「お経が始まるけど何やっているの」と携帯電話で呼び出されてあわくって駆けつけたらちょうど、お経が終わったところでした。それで許されたのが驚きでした(笑)

昔はお経だけでも2時間位はありました。(中休みがあり、終わった後のごえん様のお説教がある) でも、そのお経もすんごい簡略化で母はグチグチ文句を言っていましたが、子どもの頃から長過ぎる法事に辟易していた身としてはありがたいです(笑) その時から母が4人だけだから美味しいものを食べよう、なんていい出して、その時はフランス料理のコースでした。なので私はお料理だけ呼ばれた次第です・・・

でも、とりあえずお墓でのお参りとお寺での読経には間に合ったので良しかもしれません・・・

さて、今回も母と三姉妹のみの予定でしたが、唯一、他県に嫁いでいる妹が、このご時世なので当日キャンセルとなりました。私も前日、旦那さんが公務員なので大丈夫か?と聞いたのですが、多分大丈夫だろう、と。

でも、もうひとりの妹の旦那さんも公務員なのですが「不要不急で他県に出かけると結構、針のむしろだから嫁もあまり出かけられない」と

そこへ急激な寒波の襲来に、雪が多い高速を飛ばしてこなくちゃいけないので母がストップを掛けました。

結局、法事に参加したのは母と私と母と同居している妹の3人のみでした。ごえん様ががんの手術をしたあとで膝も悪くしていたせいか、お経は本当に超簡素化(笑)

まあ、ご時世だね・・・ こんな調子ならどんどん法事なんてものはなくなるかも

で、母にも「あんたの時には何回忌までやってほしい?」と訊くと「まあ7回忌まででいいかな」と。最近は3回忌で終わりのこところも多いらしいから、それでも十分かもしれません。とりあえず本人の意向を確かめて起きます。

母は誕生日が来ると84歳になります。母方の祖母が亡くなった年に追いつきます。先日医者で検査をしたら「まだ10年や15年は大丈夫」と言われたそうです(笑)

なんとかまだボケてはいないようなので笑い話で済んでいるうちに色々と意向は聞いておいたほうがいいかもしれません。

実家の仏壇とお墓は父の弟が譲り受けたいとは言っていましたが、この叔父は私の記憶にある限り盆正月にお参りに来たことなど一度もありません。

法事には仕方なく?顔を出すので、年に1回は仏様にお参りしていたのは間違いないのですが、お墓参りは見たことないです。

それでも実家の名前を引き継げるのは叔父しかいないのですが、叔父には息子と娘がいてどちらにも子どもがいません。

姉弟とは本当にきょうだいのように育ちましたが、私の父の葬儀の時以来会っていません。おそらくどこかですれ違っても気が付かないでしょう。

無理無理叔父がお墓とお仏壇を引き継いでもその後の従姉弟で終わりになります。その時にきちんと墓じまいをしてくれるかどうかも心配です。叔父はとんでもない困ったちゃんでしたが、息子も同じレベルだったので(笑)

父やご先祖様のお骨は全て本山に納骨されているそうで、実家のお墓には誰も入っていないんだそうです。母は自分は本山でなくていい、と言っていました。

それもどうしたものでしょう? 

夫の父が亡くなった時に夫の家族は本山には納骨しなくていい、と言っていました。でも、私が関わっているのは義父の母親と義母のときですが、そのどちらも京都の東本願寺まで納骨に行きました。それは義父の意思だったと思います。だったら、その当の本人も東本願寺に納骨してもらいたいのでは? そう言って納骨してもらいまいた。

考えてみれば夫や義兄嫁さん、そして夫のお姉さんもどちらかと言えば、家とか先祖とかあまりこだわらない人だったみたいです。

そこへ行くと私だけが意識として「本家の跡取り」感覚があったのかもしれません。

とは言っても結局は私は実家を出た身なので、もう実家のことに関わる筋合いもないのかもしれません。

母が私が自分の実家にこだわっているのとは逆で全然、執着がないことに気がついたのはまだ10年くらい前でした(笑)

この先、夫婦別姓制度が確立すると、以前の話ではこの法律が通った後、すでに結婚している夫婦でも施行後1年だったかは夫婦別姓を選べるようになるというような話を聞いたことがあります。私が民法改正の話題を授業で取り上げたのが、確か1996年頃だったので、あれから25年、全く前に進んでいないのでこの先どうなるかもしれませんが、私は今でも元の名字に戻りたいとは思っています。でも実際には今の姓の方が1.5倍長く使っています。そして私が実家の姓に戻ったところでやはりここで終わりです・・・

なんだかんだで私だけが実家にこだわっている気がします。

実を言うと夫の実家も義兄は30そこそこで亡くなっており跡取りである息子も障害があって独り身ですでに50歳を過ぎています。この家もやはりもう跡取りがいません。

どうしても家を継ぐ、ということになるとすれば我が家の息子になるのかもしれませんが、息子も子どもがいません。この先もおそらく子どもを持つことはないでしょう。

そう言えば夫と結婚した当初、ここの家は途絶える家なのかも、と感じたことがあります。夫の父は9人きょうだいの長子ですがそのお父さんは本来は次男でした。そして夫の兄は早死しており、そしてその子どもは・・・

夫は次男で、義兄が亡くなった時(大学1年)に自分があとを継がなくてはいけないのかと覚悟したそうですが、障害があっても甥っ子が跡取りだから、とアテにされなかったそうです。義母がとてもやり手だったので、障害がある孫息子にでも嫁を取らせる気概はあったようです。なので、自分はこの先も家のことに関わるつもりはないようです。義母は私のことも実はあまり気に入っていなかったと思います。でも、すんごい自意識過剰ですが、私が最初から跡取りの嫁であったなら夫の家も安泰だったと思います。私はキッチリと息子を跡取りに育て上げたと思います。

でも、そうでない今は夫の家のことも名字のこともなんのこだわりもありません。

ただ、私は自分の実家に帰りたい、自分の名字に戻りたいだけです。

でも、母は逆に私の実家には全く何の未練もありません。じゃ、自分の実家に対してはどうかと言えば、それもあまりないのかもしれません。母の実家は祖母の名字を名乗っていました。祖父母は共に再婚同士です。母には異母兄弟、異父兄弟がいました。異父兄弟とはほとんど交流がなかったそうで、10年ほど前にかれこれ40年ほど前に亡くなった祖父の土地の名義が変えてなかったために、異父兄弟(兄、と姉それぞれ独身)に連絡をとったところ、親が死んだときにも連絡をくれなかったことなどから揉めて、さらにその相続の話で裁判所まで出向くことになって大変な思いをしました。遺産と言っても住んでいた土地だけで母たちは相続放棄しているので実質的には末っ子であった弟が全て相続したのですがこの叔父もダメダメな人で、しっかり者の母に頼ったわけです。とは言え母も70を過ぎて裁判沙汰というのは大変だったようです。

でも、その異父兄弟が存命でしかもふたりとも結婚していなかったのでまだ良かったみたいです。もし二人が亡くなっていてその子どもたちが代襲相続人だったらもっと厄介だったかもしれません。いずれにしても、誰かが亡くなるといろいろな厄介事があるようです。

終活という言葉が流行りですが、なにもない、と思ってはいてもあれこれ決めておかなくてはいけないのかもしれません