箱庭療法

先日、心理学の講座で箱庭療法を体験しました。

大学時代、一般教養で心理学を取っていたのですが、その時に先生が作ってくれたプリントにイラストが載っているのを見て、その存在を知ってから40年以上が経っていますが、実物を見たのは今回が初めてです。

実は私は大学卒業してそのまま結婚してしまったのですが、「専業主婦でいいので結婚してください」が夫のプロポーズの言葉だったので就職活動をしないままでいました。その時にたまたま知り合いがで非常勤講師を探しており、(公立高校の非常勤募集は早くても2~3月)その段階で仕事が決まっていない人がいなかったせいで、私にお鉢が回ってきて週に6時間の仕事を引き受けることになりました。その時に担当した科目の中に「公衆衛生」と言う特殊科目がありました。正直言うと、私にとって公衆衛生学は大学の1~2年で専門科目として習ってはいましたが不得意分野でした。内容としては環境衛生、労働衛生、疾病予防、老人保健、精神衛生、食品衛生、衛生統計などなどで、食品衛生に関しては別に専門でやるので、私が担当するのはそれ以外でした。学校出たばかりの私にとって、この公衆衛生の授業を受け持つことは本当に並々ならぬ苦労でした。新婚だったはずなのに、夫の仕事が休みの土日の半分は夫の実家からのお呼び出しに応じ、残り半分が図書館通いとお勉強に明け暮れました。正直、それまでの人生の中で一番勉強に時間を費やしたと思います。

この時、精神衛生の分野があったので、大学時代の心理学の本を紐解いて目にして、面白そうだと紹介したのが箱庭療法でしたが、今から思えば当時の私は生徒に、自分が実践したこともないものを偉そうに説明していたんだな、と冷汗が出ます。本来は私は経験主義なので、自分がわからないものは不安でしょうがありませんでした。

歳を重ねて経験を積んで色々なことを知ってからの授業は自信を持ってやれていたと思いますが、逆に生徒との年齢差はどんどん広がって、もちろん社会情勢も変わって興味の対処も変わっていってしまったのが残念ではあります。

去年のコロナ騒動で私は非常勤講師から退きましたが、その1年の間に心理学を学んで、授業そのものではなく、生徒ともっと違う接し方ができるかもしれない、と思うようになりました。

もう20年も昔、工業高校でほぼほぼ男子ばかりを教えていた頃、まるで小学生のような生徒に辟易しました。やんちゃな生徒も多かったし、荒れていた時は、ある種「身の危険」も感じました。うちの学校はそれほどでもなかったのですが、同じ工業高校では家庭科であるのに実習が一切ない、ということでした。ハサミも包丁も持たせてはいけない、という事で・・・ 当時は家庭科が男女共修になって間もない頃で、生徒からしても「なんで工業に来て家庭科をやらなくちゃいけないんだ」と言う反発も多かったです。その反面、工業高校なので女の先生が保健の先生、司書さんも含めて6~7人という感じでした。(男性は実験等の関係で助手さんも多く学校の先生の数はとても多かった) 司書さんは長く勤めていらした方で、今で言う不登校手前の子どもたちが図書館にいりびたっていて、まさに「お母さん」のようでした。逆に保健の先生は私ですら「この人大丈夫?」と思うくらい厳しい人で保健室にやってくる生徒を追い返したりしていました。もうひとりの家庭科の先生はとても事務的な人で前に別のところでご一緒していた時は、全く話もしたことがないくらいのクールな人でした。そこへ行くと私は当時からとてもオタクだったせいで、生徒とアニメや漫画の話などで盛り上がることもありました。でも根が真面目で、意外に強気なところもあったので気弱なオタクの生徒たちには慕われていましたが、ヤンチャ系の生徒とは一触即発、と言う際どい場面もありました。でも、性格的にどんな困ったちゃんでも差別をしたり嫌ってはいけないと努力していたので最終的にはそれほど嫌われることもなく過ごせたと思っています。一番怖かったのは校外で暴力事件を起こして謹慎処分になっていた生徒と、その事件の前にちょっとトラブっていて、その時に「殴られたくなかったら近づくな!」って恫喝されていたのですが、謹慎期間は学校の別教室で個別指導をしなくてはいけないのです。基本的にはその部屋なのですが、私は家庭科でちょうどその時は被服実習のまっ最中。職員室から遠く離れた被服室で彼の実習に付き合う羽目になった時は、正直どうしたらいいか、と

でも謹慎を食らっていて、これ以上、なにか問題を起こせば流石に退学もありえたようで、おとなしく?ほぼほぼ無言で補習を受けました。私も手取り足取り、マンツーマンなので丁寧に教えました。そしたら、彼にとって作品を完成させるという事が初めてだったようで(小中の家庭科も途中で未完成だったらしい)できあがった物を見てものすごく喜んでいました。そうして謹慎期間があけ、普通の授業に戻った時、出来上がった作品を着用して写真を撮る機会があったら彼が笑顔で「先生、かっこよく撮ってよ!」と。 実はそれに密かに感動したりしたのでした(笑)

それ以外にも生徒との交流を通して「ああ、この子達はかまってほしいんだな」と感じることが多々ありました。こんな事を言うと失礼かもしれませんが、工業に来る生徒の半分くらいもしくはそれ以上は「成績が悪くて他に行くところがないから」来ることが多いです。しかし、本来、工業は理系のオンパレード。勉強についていけなくなると何もかもが嫌になる生徒も・・・ ヤンチャな子も多いけど、彼らは社交的で仲間をうまく作って乗り切れます。問題はヤンチャではなくて成績の悪いおとなしい生徒で、ほんとうに彼らは行き場を失っています。その受け皿が図書室でしたが、ここもオタクな生徒が仕切っているので(自分もオタクなのでよく分かるけど彼らは縄張り意識が強い) 中に入れず、と言う感じでした。

私はなんとかしたいと思ってはいてもたかが非常勤。当時は私もまだ若く経験値も低かったし結局何もできずに終わってしまったように思います。それが心残りで仕方ありません。

3年ほど前にちょっとだけ行っていた高校で場面緘黙?の生徒がいて、やはり作業が遅れて被服実習の補習をしたことがあります。その時に、私が資格を持っている施術をちょっとだけ、その子で試すと言うと語弊がありますが、やってみました。そしたら、本当に表情が一変したのです。その施術のおかげで娘のメンタルもかなり落ち着いたと私は実感していたので(娘は否定するけど)できればもっと生徒と触れ合えたら・・・と思ったりしました。

そして今回、初めて目にし実践した「箱庭」

まさに自分の潜在意識というか今まで無意識にしまいこんでいた意識がさらけ出されました。もちろん、それをきちんと読み解いて解説してくれた先生の技術が素晴らしいのですが、私にとっては人生に指標とまでは言えませんが、自分の課題をしっかりと認識できました。それはこの間に学んだ心理学の基礎があってのことかもしれませんが、とても良い経験だったと思います。

しかし、自分でそれをやってみようと思うと、もうすでに、場所や配置の意味を知ってしまうと、バイアスがかかってしまいます。自分に対してやるのは難しいと感じます。もちろん、知った上でやって、あえて違う意味をもたせようとしても、どこかに隠れている本音が出てくるものだそうですが、まだまだそれを紐解くのは難しいように思います。だからこそ、それをもっと習いたいと思ったりしています。

それを生かせる場所が私の場合は学校だったのかもしれませんが、今は離れてしまってもう戻ることもないのかな、という思いと、やはり「やり残した感」がせめぎ合っています。

なので、ボランティアでもいいので不登校や悩んでいる子どもたちのお手伝いのできる機会があったら、と。そのためにもっとお勉強したい、と思ったりします。

そう言いながら私の頭には・・・またお金か・・・と

私の中にはいつでもお金、お金、お金、と言う意識が抜けません。

これも子どもの頃からの不安に根ざしている気がします。

まずは、そういう潜在意識と向き合う必要があるのかもしれません。