ボチボチ日常生活

12日から旦那さんのお盆休みにあわせて元の家に戻って娘が借りたスキャナーで残した本のスキャンをしました。

元の家は私たちが冷蔵庫と洗濯機を持っていったおかげでかなり不便です。

私たちが出て行って2週間ほどだったはずなのになんだか家の中が埃っぽいと言うかかび臭い・・・

娘が特に水回りに対してキーキー、ヒステリックになっていました。マンションの方でもとにかく絶対にカビをはやすな!と毎日うるさかったのですが、あらためてよほど注意をしなければ、そうなるんだな、と実感しました。

と言うか、夫は家の中が汚かろうが、くさかろうが、カビが生えていたって全く頓着しない人ですが、あらためて手入れをしない家と言うのがどれほどすぐに傷むのかと言うのがわかったし、怠け者で何もしていないと思っていた私もちゃんと毎日片づけをしていたじゃない、と思いました。

12日に家に戻って14日に忘れ物に気が付いてマンションに戻って、ついでに洗濯をしてまた元の家に戻りました。そしたらその次の日に伯母(母の姉)が亡くなり16日に葬儀との連絡がありました。喪服やお数珠などは元の家に置いてありましたが、黒のパンプスをマンションに持って行ってしまっていたので、結局またそれを取りに行きました。

 

ここでちょっと伯母について

伯母の事はこの日記でも何度も書いた覚えがあります。母の2歳上で、従姉弟が同じ学年です(私の方が2か月上) その妹である従姉妹はうちの妹2と同じ学年です(従姉妹が9か月上)

昔から伯母は私とイトコ(便宜上男の子の方)をやたらライバル視していました。伯母は結婚して4年目にやっとできた子供で、私はほぼほぼハネムーンベビーでした。伯母は特にうちの母に対してはものすごくライバル意識があったようで、とにかく伯母にとって母に勝てたのは「男の子を生んだ」と言う事に尽きます。幸い、違う県に住んでいたので単純比較はできなくて良かったのですが、ぶっちゃけ言ってしまうと、伯母の大事な大事な息子より私の方がちょっとだけデキが良かったのです。それが許せないせいか、伯母は昔から私にはとても意地悪でした。逆に妹の方は伯母にとってはオマケなのですが(子ども心にかわいそうなくらいお兄ちゃんばかりかわいがっていた) うちの下の妹と同じ学年と言っても妹は2月生まれなので、かなり発育が悪く小学校低学年の内は「幼稚園」と言って子ども料金をごまかしていたくらいでした。なので、伯母にとってはおバカな妹2は娘の引き立て役とでも思ってか、かなりかわいがってました。従姉妹に何かを買うと妹2にも色違いのお揃いを買ってやる、とか。でも、妹2は発育が悪かったので従姉妹と同じだとガバガバしていたり、とにかく似合わない。でも妹2は単純でおバカなので喜んでいたのでそれがまあ、かわいかったのでしょう。私は前にも書いていますが、生まれた時から体重もさることながら体も大きい方でした。イトコは早生まれだったので同い年と言ってもずっと私の方が大きかったです。伯父さんはすらっと背が高く田村正和に似たハンサムでしたがイトコは背が低く、顔は伯母に瓜二つでした。母の姉妹の中で母だけがなぜかキレイで(笑)伯母と叔母と叔父はおばあさんそっくりでした(笑) それもあって伯母はうちの母にひがみを感じていたようです。ただ、不思議なことにこのきょうだい、配偶者はそれぞれイケメンと美女なんです。ただ、配偶者の方の血を強く引いたのは私と妹2と叔母のところの双子の兄の方くらいです。あとは濃ゆ~い祖母の血を引いています。私は自分が美人と言っているわけではありません。父は誰もがハンサムと言いましたが、その父に瓜二つの私を美人と言う人はいません。父方の叔父だけが斉藤由貴がデビューした頃「おまえの子供の頃にそっくり」と言ってくれましたが(笑)

まあ、私の場合は常に「痩せればちーとは見れるハズ」と言う評価でした。

話がそれましたが、伯母の葬儀はイマドキなので例に倣って「家族葬」でした。お通夜にはイトコの子どもたちがいたそうですが、お葬式は母と私たち三姉妹、叔母と長男(叔母にはあと娘が2にんいる) そして、子どもが小さいころから世話になっているから、とうちの夫。

ここに喪主であるイトコ(独身)と従姉妹とそのダンナと長女(叔母にとっては孫) 総勢11名でした。伯母はとにかく交友関係の広い人だったし、長年、民生委員もやっていました。もしコロナでなかったらたくさんの人に見送られたことでしょう。それなのに、確かに家族葬と言ってもこんなにさみしいんだな、と。

私は今は無職だし、夫はちょうどお盆休みだったのですが、妹1のだんなさんも、「世話になったから行きたい」と言うのを妹1が「私も行くと言っていないからダメ」と置いて来たようです。ただ、この義弟(私と同い年、私が1か月上)は定年後4月から新しい職場に行っており3人しかいないので休めないらしいです。確かに普通で言うところのお盆休みが終わったばかりだし仕方ないと思います。うちもたまたまお盆休みでなかったら行けなかったかもしれません。

ただ、出棺の時に「男性の方にお手伝いを・・・」と言われた時に、イトコと従姉妹のダンナ、従姉弟(叔母の息子)しかいなかったのでうちの夫を合わせて4人でちょうど良かったです。

母は同居の妹2に叔母は息子に車で連れてきてもらっていたけど、私と妹1は自力で来たので出棺後はそのまま帰りました。なので斎場に行ったのは8人だけです。そんなものなのかな・・・

今回、妹1は叔父(母たちの一番末っ子あととり、叔母の家から車で10分程度)がいなかったことにものすごく腹を立てていました。私たちも、子供の頃から叔父がしょっちゅう、伯母に借金をしたり、援助をしてもらっていたことを耳にしていました。もう10年近く前の伯母の夫の時、叔母の夫の時には夫婦で葬式に来ていました。でも、今回は姿を見せていませんでした。たぶんまだ70代だとは思いますが、体を悪くしたのでしょうか? でも、それなら嫁さんが来てもおかしくはないと思うのですが・・・ 実を言うと、母たち鬼ババ三姉妹はこのお嫁さんをいびりまくっていました。小さな子供である私たちが気が付くくらいだから相当ひどかったと思います。それを見て小姑は怖いと言うイメージを植え付けられたくらいですから。

私は小心者の叔父の事だから現実を受け止めるのが怖くて来れない、と言うのが正解かな、と思っています。真相はわかりませんが。その叔父が一番好きだった姉と言うのはうちの母のようです。昔、叔父のアルバムに母の嫁入りの時の写真が貼ってあり「一番好きだった〇ちゃんが嫁に行った」と書いてありました。(母の兄弟は全員、〇〇ちゃんと名前で呼び合っています。従姉妹たちの事も名前で呼ぶのに、なぜか私とイトコだけ伯母も叔母も「おねぇ」 「おにいちゃん」と呼んでいました。叔母の長女は妹1と同じ年、その2歳下に男女の双子) 

伯母はちょうど10年前に頸椎の手術をしました。その時に手術をしなければ寝たきりになる確率が高いと言われたのですが、結局手術をしてからはかつてのアクティブな活動家ではなくなってしまいました。伯母の口癖「お金も暇もいくらでもあるからいつでも誘って」で、それこそ仲間としょっちゅうお出かけをしていました。けれど、10年前からはほとんど家を出ることもなく最近はそれこそコロナのせいで誰もが家を出ることは少なかったのでしょうが私もかれこれ3~4年は会っていなかった気がします。

母に何度か様態を訪ねましたが、母もコロナのせいで会いに行けない、と言っていました。

お葬式の時、母も叔母も「生きているうちにもう一度会いたかった」と言っていましたがあのガリガリに痩せた姿を生身で見るのもつらかっただろうな、と思いましiた。

伯母に対しては本当に今でも言いたいことはたくさんあります。恨みつらみもないとは言えません。それでも、思春期の頃、自分の母親にも言えない本音を吐露できた相手でもあります。

今は静かに冥福を祈ります。

 

この10年、仕事もやめて伯母を介護していたイトコがこの先どうなるのかと少しばかり心配です。でも従姉妹がとてもしっかりしていたし、彼女の子供たちも小さなころからこの伯父さんには金銭面で多大な援助を受けているのできっと何らかの面倒は見てくれると思います。嫌な言い方ですが、最終的にお金を持っていることが正解です。

 

そう考えると、今更ながらに人生終盤にかかってマンション購入で4000万(+200万ほど)もの散財をしてしまったと考えると無謀だったかな、と不安になります。

 

そう、ここに決めたときに不安に思っていたことが噴出してきて、今の駅から2つ先のエリアにできたマンションの広告によろめいて悔しい思いをしています(笑)

そこに比べるとメリットは都心に近いだけなのですが、うちのマンションからだったら交通機関を利用したら圧倒的に不利です。

マンション生活1か月にしてなんだか、憂鬱な気分でいます。

 

長くなるのでまた、後ほど