年賀欠礼

実の母親にも妹たちにもまだ引っ越したことを言っていない私です。引っ越した事実を伝えたのは息子夫婦の他には保険のオバサンをしていた時の同僚(個人年金の受け取りの事もあるので事務的と言えば事務的)と20年来のオタク仲間である友人のみ。

あとは施術関係のおねーさま方くらいです。

引っ越すときにご近所さんには「年内、もしくはあと5年くらいは夫がこちらの残っているので」と告げて、はっきりとはご挨拶していません。なので、その同じ町内で仲良くしていたあと数名にも連絡していないままです。

色々、手続きはしていますが、とりあえず旧住所へのお手紙は来年の8月まではこちらに転送されてきます。でも、それ以降になる時っと「あて所に尋ねあたりません」となって、知れることとなるかと思います。長い事、音信不通のお友達もそこそこいます。その最後のチャンス? が来年の「年賀状」をこちらが受け取ったら、「実は引っ越しました」と連絡するか、もういっそこのままフェイドアウトか・・・ 今年の年賀状からもうすでに夫の親戚関係はパスしました。私の親戚関係も実家のすぐ近くに住んでいる叔父と子供の頃からよく会っていた叔母くらいにしか出していません。この夏に亡くなった母方の伯母は数年前から「年賀状はご無礼させてもらう」と言われていたのでやめていました。20年くらい前からのオタクな仲間とはなんとなく、こちらが出さずに相手から来たので、翌年はこちらから出したら向こうからは来ず、で、次の年出さなかったら今度はまたあちらから来て・・・みたいな間抜けたやり取りで、それでも20年続いていました。でも、去年は自分からも出さず、そして慌ててお返事もせず、だったので今年は相手から来ることも少ないのではないか、と思っています。

大学時代の友人とはライン交換もしたりしたので、なんとなくそちらで連絡が取れるかな、とか思っていたのですが……

 

そんな大学時代の友人から年賀欠礼が届きました。「父が90歳で」と言う文面には、もう数年前から親の死を告げられることが多かったので、そういう年だな、と思ったりもしたのですが

その次に「娘が30歳で逝去しました」と言う言葉を見て絶句してしまいました。確かに一度も会ったこともないお嬢さんではあるけれど、成人式の振袖の姿も含め毎年、年賀状に息子さん(うちの娘と同い年)と共に成長を垣間見させていただいたのです。数年前に結婚して、確かお子さん(友人にとってはお孫さん)との写真入り年賀状をもらったのはまだつい最近です。

私より10歳くらい年下のオタク仲間の息子さんが17歳で亡くなったと言う年賀欠礼を受け取って以来の衝撃でした。その時の彼女にはずいぶん経ってからお悔やみのお手紙を出しました。その彼女とは2年くらいは濃密に付き合ったもののほとんど接点がない状態でしたが、今回の友人は大学4年間、出席番号が1つ違いだったので、実験の時などは常にペアを組んでいたし、私は2年で辞めてしまったけれど同じサークルで活動していたのでずっと関係が深いように感じます。卒業してからは疎遠でしたが、そのサークル仲間の集まりなどに私を誘ってくれたりするのも彼女でした。

本当に穏やかで優しくて気配りのできる人で、それに甘えてばかりいたけれど……

なんて言うか、ただただショックで。

私自身は娘に自殺未遂をされているのであの時の葛藤と言うか身をちぎられるような辛さを重ね合わせてしまいました。結果として私は娘を失ったわけではないので、厳密に逆縁の辛さがわかるわけではありません。でも、それがどうであろうと身内を亡くす辛さは計り知れません。

おりしも寒い寒い季節に入り空もよどみ冷たい風に吹きさらされると余計につらさが身に沁みます。当たり前に、この先も続いていくと思っていた未来への不安がまたむくむくと湧き上がってきます。

娘がまた派遣の仕事を辞めてしまいました。かつての失敗があるので、私は何も言いませんでしたが、短期間ですぐに嫌なことから逃げる娘にイライラしていたのが事実です。

でも・・・ そう、あの辛い日々を思い出しました。

 

私は共感力が少なく、ハートの人間でもないので、娘を失った友人にどう声を掛けていいのかわかりません。むしろ何も言わない方がいいのか、とも思います。または彼女と頻繁に会っているようだった大学の友人(彼女は30年ほど前に夫を亡くしている)に様子を聞いてみようかと思ったり、それをするのは逆によくない気もして…  年賀状を今年の分から出していないので、もし大学時代の友人の誰かしらからあったとしたら、一度コンタクトをとっても…と思ったりします。

 

ここでふと気が付いてしまいました。

今年の父の命日を忘れたまま過ごしてしまいました。

去年はちゃんと墓参りに行きました。その時に「今日は何?」と言う母に「お父さんの命日でしょ!」って呆れていたはずなのに……

本当だったら昨日か今日くらいには行くべきでした。

そう考えると人の生き死に動揺するのは、その時その時の状況に応じたセンチメンタリズムなのかもしれないと思ってしまいました。

なんとも切ない・・・せちがらく切ない・・・やりきれなくてさみしい 

いろんな思いがないまぜになって混乱している、そんな感じです。