ただの顧客? 知人? 友人?

昔、保険のオバサンをしていたころの同僚となんだかんだでつながっています。

かれこれ30年以上になります。

元々私は別の支部に出向していましたが、そこで退職を決意して辞表を出したら、とりあえず元の支部に戻されました。

別の支部は基本個人で動きますが、田舎の支部は二人組が原則でした。で、組んだのが同い年だったAさんです。

彼女もちょうど私と同じくらいの経歴で学年も一緒でした。シングルマザーで一人娘がうちの娘と同い年と言う事もあって、それなりに親近感はありました。

でも、ハナからもう仕事を辞めるつもりだった私は、あまり積極的には活動しておらず、それでもなぜか支部長に気に入られていて担当を地元の市役所にされました。で、Aさんを付けてくれたのですが・・・ とにかく、私は支部での地元密着の営業には慣れていなかったし、怖いおねー様がたがいっぱいの支部は顔を出すのも嫌で、朝礼が終わったらとっとと家に戻り、市役所のお昼時間だけ彼女と組んで出向いていました。

正直、契約はほとんど取れませんでした。基本、契約が取れれば折半なのですが、たとえば超ベテランさんと新人で組んで7:3と言う感じもありました。ベテランさんからすれば本来は一人で全部なのですが、新人育成のためにそうなっていたみたいです。彼女も私が行く前は超ベテランさんについていて言い方は悪いけれどおこぼれをいただいて1年をこなしました。1年は超ベテランさん、2年目以降は同じくらいの人と組むみたいですが、私は別のところでひとりでやっていたのでシステムがわかりませんでした。数か月ほとんど契約が出ないまま、仕方なくそれぞれが自分や身内の保険を出させられ(契約は必ず最低でも月に1本は出さなくてはいけなかった)それこそネタが尽きた状態でした。でも私はもうやめるつもりだったのでそれでクビになるならそれでいいや、と思っていました。それでも、たまたまその頃が一時払い養老の金利が良かった最後くらいの時期で、(正直、保険のオバサンにとって養老保険は成績に響かない損な商品なので見向きもしない人がいる中で)少しずつ、それを拾って数か月は食いつないでいました。それがもう出せなくなってからはキッパリ「欠勤」を決め込んだのですが(辞める意向は半年以上前から伝えている)、欠勤中でもとにかく成績だけは出させられました。その時、苦肉の策で15年満期の一時払い保険に加入したのですが、のちのちこれは所謂「お宝保険」の一種となりそれを満期で受け取った時には入れたお金の倍以上になっていました。今は100万円預けても利息は数千円ですから、本当にありがたかったです。なので、私は当時私が、契約した方たちには感謝されているだろうな、と思っています(笑)

 

相変わらず前置きが長くなってしまいましたが、お昼だけとは言え毎日一緒に活動していたAさんから、ある時「お願いがあるんだけど、市役所の担当、全部私に譲ってくれない?」と。実はその時、辞めるつもりではいたけれど、それでも私の担当を全部持って行こうとする彼女にちょっと不信感と言うか苦手感を持ちました。結局、いい顔しい? もしくはNoが言えない私は「私は構わないけれど・・・」と答えるのが精一杯でした。結局、彼女が支部長に私のオッケーがあると言う事で報告したのですが、却下されたようです。

最終的には3月の末ぐらいから私はほとんど出社せず、運良く?4月から母校の高校の非常勤講師のオファがあり引き受けました。月に65000円くらいのお仕事でしたが、週に4日の勤務だったのでこちらに変わっても保育園に子ども(この時は上の子は小学生)を預け続けることができそうでした。

私の他にも同じように辞めると言っても半年以上食い止められていた人がいたのですが、彼女より先に私の退職が認められたのが5月半ばだった気がします。もう実際に別のところで働いているので当たり前かもしれませんが、実は6月にボーナスが出るので、その前にクビを切ってしまおうと言う事だったようです。実は先ほど書いた「養老保険」を次のボーナスの査定期間中に自分のも含めて6本売っていました。なので、それなりのボーナスがその6月には貰えるはずでした。どれだけ辞めると言っても辞めさせてくれないので、それならいっそボーナス出るまで籍を置いておくか、と思ってもいたのですが、ボーナスの出る前に切ってきたか、と言う感じです。でも、辞めていいと言った時に辞めなければ、6月まで籍を置くために5月分6月分のあと2本は何かしらの契約を出させられるところでした。今でこそ、こんなに金利が下がってしまうなら、無理をしてでも一時払いに入ればよかったと、と思う人がいるかもしれませんが、当時はこんな事態になるとは思ってもいなかったので、身内には誰にも勧められませんでした。(保険のオバサンは身内をぐるっと入らせてタマが尽きたらやめてもらって結構、の世界でした)

もしも、未来が見えていたら(笑) あと2件、誰かに一時払い養老の保険に入ってもらって私もボーナス(50万くらい?)もらって、丸く収まり、保険に入ってもらった人には10年後に感謝してもらえてたのに(笑)

 

まあ、私の人生なんていつもそんな感じで「ハズレ」だなぁ、と感じます。

株にしても本当にあるあるですが、自分が売った途端に爆上がり、って事が良くあります。

せこく1万円の利益が出たから売ったら、その翌日には3万円の利益が出て、そのまま放置したら倍になっていた、って感じです。娘には「手放したんならもう、後々しつこく見なければいいのに」って言われます。そう、ホンット私は株の売買には向いていないと思います・・・

 

なかなかAさんの話に辿り着けませんが

私が辞めてから、数年して彼女はIさんと言う人と組んで、ちょくちょく我が家に顔を出すようになりました。このIさんが、めっちゃ穏やかで朗らかで感じのいい人なのですが、それなりにやり手で、なんとなくいつも「お願い~!」で、結果として子どもたちが成人する頃にそれぞれの保険に入ったり、夫の保険の見直しやら金利が悪くなったとはいえ、定額よりはマシな一時払い終身保険等々に加入したり転換をしたりそれなりにずっと顧客として付き合ってきました。

私は片付けのできない女だったので、彼女たちが来てもほぼほぼ玄関先で話すだけでした。実際、上にあげる時は契約まで持って行かれることが多かったので警戒していたせいもあります(笑)

もちろん、「見るだけでいいから見て~」と言われて、断った件数も半端はありません。自分が保険のオバサンをしていた事があるので、設計書を作るノルマ、訪問のノルマ、リクルートのイベントのノルマなどなどいろいろあることも知っていたので、協力してきました。

毎年、カレンダーを必ず届けてくれるのもありました。

契約書はいつも Iさんの名前で、連絡してくるのもIさんで、いつも来るときは二人でやってきますが、Iさんが来れない時だけAさんが単独で来る、と言う感じでした。彼女だけで来ると、同い年の娘がいるせいか、よく娘の話になりました。思い起こせばうちの娘が摂食障害ガリガリだった時にも顔を合わせているようで、ついこの間 「あの時は聞けなかったけど、大変だったのでしょう?」と

 

そう、半年くらい前にIさんが退職して故郷に帰ったとAさんから連絡がありました。正直、Iさんから連絡も挨拶もなしだったのはちょっとショックでした。私はたぶんIさんだったから、保険に入っていた経緯もあるので。Aさんとだけだったら、今までもつながっていない気もします。

しかし、そのAさんがIさんなしでアプローチしてくるようになりました。

保険関係なので住所変更はしなくていけなくて、家族にも話していない引っ越しを告げました。で、毎年年末にカレンダーを届けに来てくれるのですが、前回はまだ夫が前の家にいたので、そちらに届けてもらいましたが、今後はマンションの方に持って行くね、と言うような話になり、「家族にも言っていなくてほとんどだれも着たことないの、良かったら来てね」とワタシ的には年末のカレンダーを想定しての話だったのですが(笑) 「うわ~、行きたい~~! いつならいい?」と言う話になり、なんとなくぼやかしていたのですが、ま、いっかとオッケーして、先日午前中にやってきました。何だかんだと世間話をして、次第にお互いの娘の話になり、彼女も今、娘さんの事で思い悩んでいることがある、と話してくれました。そんなこんなで午前中からお昼も食べずに2時過ぎまで話し、最後にチラリと保険の話をして席を立ちました。

駐車場に送っていく途中で「で、どうする?」と契約の話に・・・ 確かに私も多少、いい顔をしたのですが、それほど乗り気ではありませんでした。でも、なんて言うか4時間も30年前からの話をして彼女が実は誰にも話していなかったと言う娘さんの話も聞いてしまったし、なんとなく無下にも断れず、後日また、と。

で、仕事のある先日、私の学校まで迎えに来てくれました。

正直ここまで来たらもう「契約」しかないです。気持ちは半々でしたが「ま、いっか」で一時払いの終身保険の契約をしました。

正直、私はリーマンショックの時に手を出した株でマイナスを抱え込み、その後に追い打ちをかけるように先物取引でやられ、ぶっちゃけると1200万ほどのマイナスを抱えました。その後は本当に塩漬けで1200万のマイナスのままでしたが、1000万程度のマイナスになったころに東日本大震災でまた元の木阿弥、アベノミクスで少しずつ取り戻した矢先に今度はコロナ・・・

しかもこの時私はインバウンド目的でJALとかJRとか旅行産業に大きく入れており、さらに信用取引ユニクロを買った時に韓国での「No JASPAN」 ・・・・なんて言うか、ホント株選びがへたくそすぎます。そして踏ん切りがつかないので、塩漬けにして傷口を広げ、もうどうにもならなくてマイナスを確定したとたん、それが値上がりし始め、あと1ヶ月も我慢すれば、マイナスだけはなんとか免れてたはずなのに・・・と言う状況でした。

複数の証券会社を使っていたので、それを清算するためにマイナスを確定して終わった分が500万くらいあります。それ以外に二つ大きなネット証券に残してありますが、一つはなんとかギリギリマイナスがなくなったくらいだと思っています(ここは履歴が3年分しかたどれないので今までの経緯がわからない) もう一つもあと少しでマイナスがなくなりそう、と思っていたのに、ばかな信用取引を掛けてしまって、すぐに損切りすれば良かったのにズルズル持っているうちにマイナスが200万に増えてしまいました。 結果として、おそらく今現在私が抱えている マイナスは700万くらいです。株で損した分はなんとか株で取り戻したいと、粘るうちに身動きが取れなくなり…きっとこんな感じで深みにはまっていくのでしょうね。

とっとと清算してしまえば早いのに、マイナスの株を置いたまま、普通預金にもいくらかのお金を残していました。

その普通預金に入れておいたのは、他に置いておくところが見つからなかったせいです。投資はほんとうに懲り懲りしているし、証券会社に入れてしまえばまた無謀な取引をしてしまいそうです。正直、株取引に手を出さなければ普通にあと700万はあったはずなのに、と思います。でも、その700万があったとしても そもそも、私のお金は常に「老後のため」でした。その老後と言うのももはや「娘の将来」=娘の老後を見越してのお金です。使う予定のないお金なのです。だったら、それを30年運用しないか、と言う話でした。外貨建てなので 正直 円安が最高潮の今、やる物ではないと去年、とても親身に話を聞いてくれたフィナンシャルプランナーのオジサンにも断ってしまったものでした。実際にはその時の方が今より円安がひどくなかったので、その時に契約しておいた方が良かったのかもしれません。でも、そこがやはり一見の人と、なんだかんだで30年の付き合いのある相手の違いでしょうか。最終的に彼女の提案に乗りました。

彼女は私と組んでいた時のことはもうすっかり忘れているようですが、私は彼女と一緒に仕事をするのが本当に苦痛でしたし、その後も、ちょくちょく保険の話をされるのが苦手でした。

さすがに、今の年になったら入る物もないし、とここしばらくは保険にも入っていませんでしたが(医療保険は何度も進められたけど断りとおした) 結局、またご縁ができるのか・・・ と

彼女に「来て」と声をかけてしまったのは、今まで私の保険の受取人が夫になっていたのですが、それを子どもに変えたいと前々から思っていて、霊視の先生の見立てで私の方が夫より先に死ぬのであれば、夫の遺産の二次相続で子どもたちに不利になるな、と思ったからです。

もちろん、それはネットとかでもできるので自分でやっても良かったのですが・・・

まあ、担当の人がいるし、と言う事で彼女に任せるか、と思ってしまったのです。ぶっちゃけて言ってしまうと、今まであまりに大きな損失を抱えてばかりだったので、30年後にこの300万が消えてしまっていても、まあ、仕方ないか、なんて思っている自分がいます。

実は以前、学校関係で協栄生命の貯蓄型の保険に入っていました。しかし、それが破綻して、吸収された時に、たしか額面の2/3 くらいになった気がします。この時は貯蓄型のものほどダメージが大きかったように思います。なので、いくら業界トップともいわれる老舗の保険会社でも今のようにネット生命の躍進もあり、必ずしも安泰ではないのかと心配していました。実際、個人年金も30年後に本当にもらえるのか、と思っていましたが、とりあえず10年確定のうち2回ほどは入ってきたのでホッとしています。でもそれ以外はほとんど終身なんですよね。私の寿命はまだ30年あるので、その時にどうなっているのか・・・(笑)

まあ、いずれにしろ30年後の話です。

株のマイナスはもうキッチリ確定して諦めた方がいいような気もしていますが幸か不幸か今も700万のマイナスを抱えながら300万のお金を吐き出してもなんとかなっています。

その300万でつながったAさんとの付き合いは単なるビジネス関係なのか、知人と言う感じなのか、もしかして逆に彼女が退職したら友情?みたいなものになるのか、とも思ったり・・・

今回、前にも書いた50年来の友人より彼女と話していた方が楽しいと感じたのは久しぶりだったせいだけでしょうか

 

人間嫌いで極力人と付き合いたくないと言っていながら、私は何をやっているんだ? と言う感じです。