妹が昔、カラーセラピーを習っていてそこそこ信用できる診断をしてくれてました。
その時に習った? 数秘術のような占いのようなもので
その人にあったカラーというのがあるそうです。
私の場合は緑と紫とオレンジでした。
今はすっかり忘れてしまいましたが、妹が調べた結果、一番凄い色を持っていたのは父だそうです。
ただ、それは「太くて短い」と出ていて、まさに50代でなくなった父にはぴったりだったかもしれません。それはそれは父は老若男女、誰にも好かれる人でしたから
父のお通夜、お葬式の時、ご焼香に来てくださった方からどれだけ、聞いたことのない感謝の言葉を聞いたかしれません。父は人に対して何かをしてあげた、と家族に言うことなどなかったので、本当に驚きました。ある意味、家では暴君でしたし・・・
それはまあ、さておき、自分の診断結果もよく覚えていないのですが、息子の数字を妹が「ミロク」と言っていたことを思い出しました。3,6,9の数字が出るそうで、それをミ・ロ・クと表現していました。
これは、その響きの通り「弥勒」のような性格なのだ、と。
(私は小学校の時、学習雑誌で見かけた広隆寺の弥勒菩薩像(木造弥勒菩薩半跏像)に一目惚れしてずっと憧れていました)
弥勒菩薩は慈悲、慈しみの仏様だそうです。
昔から息子は誰からも「優しい」と言われてきました。
でも、ここのところずっと私に対しては冷たいです。それこそ、僻みかもしれませんが
結婚してからは特にあたりが強くなりました。
前々から何度も書いているとおり、むしろこのブログを書くきっかけとなったのが息子との葛藤?と言うか、息子に対する失望からでした。
あれほど優しかったのに・・・
でも、今、息子のお嫁さんの通院の送り迎えをしてしみじみと
息子はお嫁さんにとっての「菩薩」なんだろうな、と思います。
そして、私からすればかなりワガママなお嫁さんではあるけれど、女性らしい可愛らしさがあるのだと思います。
私は男性が嫌いです。むしろ憎んでいるくらいに。だから、無意識のうちに男性の自尊心を傷つける態度をとっている気がします。
そう、高校時代、私は有名な進学校の中の職業科に通っていました。我がクラスは女子だけですが、学校全体では男子が圧倒的に多い学校です。
彼らは県下でも有名な進学校=頭がよい、と言うのが自慢で、その学校の名を汚すレベルの低い職業科をバカにしていました。
学校祭で、体育祭はグループに別れて行いますが、都合の良い時には(たとえば、文化祭の食品バザーのチケットを優先的に手に入れたい)にはチヤホヤするくせに、物覚えが悪い男子に向かって「おまえ、校門入ったら左に曲がるだろ!」(私達の科だけ下駄箱が別)とかもっと直接的に「おまえ、○○科だろ」って男子がいないのをわかりきって言っていました。それが私にとっては屈辱的でたまりませんでした。普通科と同じ内容の実力テストでは、私はたいてい奴らの平均点(40点台)の20点は上を取っていました。職業科ですから、英語はRのみ、グラマーなんて存在を知らなかったし、国語や数学社会も単位数としては1~2時間少なかったにもかかわらず、です。
私からすれば、女のしかもあなた達が馬鹿にしている職業科の私の成績より悪い奴らが半数以上いるんじゃないの? それで、どの口で馬鹿にできるんだ!! って思っていました。
女子は直接的に学力の悪口を言う人には出会っていませんでしたが、大学に入った時に、普通科から同じ大学に入り、のちに仲良くなった女子に「最初は○○科の女なんかに負けてたまるか」って思っていた、と言われました。
まあ、そんなわけで、私は男をバカにしていたのだと思います。
だから夫にも息子にも「男性の方が上」って思わせないように仕向けて来たと思います。
ちょっとでも息子が調子に乗ると鼻っ柱をへし折っていたような気がします。
おかげで? 息子はとてもフェミニストになったのではないかと思うのですが、それは同時に「自分を押さえつける母」に対する嫌悪を植え付けたのかもしれません。
だから、本来は「菩薩」の優しさを私にだけは向けてくれないのかな、と
私はずっと、恨の文化と言われる、お隣の国が大嫌いでした。でも、最近ちょっと、自分の思考と似ているんだろうな、と思えるようになりました。
あれほど彼の国が嫌いなのは「同族嫌悪」ですね、おそらく。
(子供の頃、彼の国出身の人達の恐ろしい噂を聞いて育ったせいもあるかもしれませんが、でも在日の牛乳屋さんの孫のケイレイちゃんとは仲良しでしたので、全ての人が怖いはずではなかったのに)
今の自分があるのは自分の歩いてきた道の結果
またまた、耳鼻科の先生のOリングの結果に戻りますが、私はやはり
子供の頃に「おまえが男の子であったら」と言う周りの声に支配されてずっと今までの人生を歩んできたのだな、と思います。
「穏やかな」「和やかな」が私のキーワードです。
先生がおっしゃった言葉をもう一度噛み締めたいです。
たとえ、どれだけ周りが「男の子であったら」と言ったとしても、それ以上の力があなたが女性であることを望んでいたのだ、と
あなたはあなたのままで完璧なのです。
私はもう、妻でも嫁でも母でもなくても 私のままでいていいのです。
期待した分、息子に対する失望が大きかったけれど
でも、息子だって私のために人生を左右された犠牲者かもしれません。
でも、彼は自分で抜け出して、自分の世界を作っていくのです。
そう考えると、私に「自分の道」を再考させてくれた慈悲の「弥勒」なのかもしれません