モヤモヤ

昨日から、なんとも言えないもやもやした気分と、胃痛に悩まされています。

また、コロナの不安か? と焦ったりもしたのですが、今日になって思い当たるところがわかりました。

おそらく、女優の竹内結子さんが亡くなったこと

思い起こせば三浦春馬さんのときも、芦名星さんのときも今と同じようななんとも言えないモヤモヤ、焦燥感に包まれていた気がします。

急に涼しくなって秋の気配を感じて、寂寥感とでも言う気分になっていたのかな、とも思ったのですが、昨日、突然、と言うタイミングを考えるとそれしかないと思います。

竹内さんにしても三浦さんにしても特にファンであったとか言うわけではありません。でも有名人ですから、ある意味「知っている人」です。

しかも、彼らは世間一般的に言えば成功している人、ある意味人生の勝ち組のような人たちで・・・

もちろん、どんな人にも人に言えない思いを抱えて行きているのではあるけれど、でも一般人よりはずっと幸せなんだろうな、と思っているというか、そうあってほしいと言うか・・・

それがそうではなかったのだ、と思うと、今度は逆に一般人より求められるものの多さや重圧感に切なくなってしまいます。

自分が自分らしく生きていられなかったのかな、と。

 

言葉にすると本当に陳腐になってしまって、私の思いも書ききれません。

私はX-JAPANのhideが亡くなった時に、それまでの人生観がガラッと変わった自覚があります。それ以前に父や幼い従姉妹や高校の同級生などたくさんの死を見てきたのに、父が亡くなったときよりも鮮明に「死」の意味を悟った気がします。

単純に言えば「人は死ぬ」と言う永遠の摂理。

「人は死ぬ」 ただ、それだけ

 

先程まで、昨日から続く、どうにもならないモヤモヤ状態に気が滅入っていましたが、今、こうして書いていると

まさに あのhideの時から立ち直ってきた自分の足跡を思い出して、かなり気分が楽になりました。

 

中学生くらいの頃、おそらく思春期真っ只中で「死」というものに向き合ったと思います。

私の中の一番最初の死は小学2年のとき、同居の祖母が亡くなったときだと思います。

小学校6年で、当時6歳だった従姉妹が交通事故でなくなったのは衝撃でした。

高校1年の時、幼馴染の1歳上の女性がバイクの事故で亡くなり、高校3年で同級生の女の子がやはり交通事故でなくなりました。

事故である日突然、本当に唐突にいなくなってしまうというのは言いしれない恐怖でした。

大学の時にバイト先の仲が良かった社員の人が自殺しました。オタク仲間が、突然亡くなったという連絡だけをもらいましたが、おそらく自殺だったのだと思います。

工業高校時代の講師仲間の先生も、ある日突然 亡くなりました。理由は教えてもらえませんでした。

彼女が亡くなる前日に彼女と喧嘩したという生徒が、どうして亡くなったんだろう、自殺なのだろうか、自分のせいなんだろうか、と取り乱していました。

教え子も在学中に事故でなくなった生徒が数人います。

いつも朝の電車で一緒になる彼は、ヤンチャな学校の中では話しやすい生徒でした。

まさかそんな事故で? と言うアクシデントでなくなり、しばらく私は放心状態でした。

その学校では友人の息子がたまたま教え子でしたが、卒業後、同じクラスの彼の親友が自殺しました。もちろん、私にとっても教え子です。

 

そうやってたくさんの死を見て乗り越えてきたのに、歳を取るとそれがしんどくてたまらなくなりました。

それほど近くはない人の死でさえも精神や体調を左右するほどに

 

父はずっと「俺はいつ死んでもいい」と言っていました。

彼の人生は幼い頃(戦前戦中戦後)を除いて自由気ままだったのかもしれません。

誰からも愛されていた父、私は父が羨ましくて羨ましくてたまりませんでした。

父に顔も体型も瓜二つ、生き写し、とまで言われてきた私ですが

でも、父のように沢山の人に愛された記憶はありません。

小学校の時に我が家に来た友人が父を見て「なんてハンサム!」って叫んだことを思い出します。年寄りキラーだったのか、お年寄りのおばあさまがたに大人気でいつも「ええ男だ」と言われてました。

でも、私は言われたことありません。瓜二つ、生き写し、とまで言われているのに男の父は「ハンサム」で

私は誰にも気にされない・・・  自分が男だったら少しは違ったのだろうか?

 

これもまた、私が自分が女であることを受け入れがたい原因かもしれません。

父が亡くなったのが53歳だったので、私はとっくに父の年を追い越しました。

15年くらい前までは鏡を見ると自分でも父そっくりだな、と思ったりしていたのですが

今の自分はただのくたびれたオバサンです。

あれほどハンサムだともてはやされた父の面影などありません。

父によく似ていた祖父は78歳で亡くなっており、おそらく父が長生きしていたらあんな感じかな、と思ったりしますが、よくは似ていても父は美人だった祖母の方の血が濃いようです。叔母たちはより祖父に似ていたので、美人の母に似たハンサムな兄が自慢だったようです。私も祖母は美人だと思っていました。(62歳で亡くなってしまいました)

その祖母が亡くなってから生まれた従姉妹が祖母の生まれ変わり、と言われるくらい祖母に似ていて、小さな頃から本当に可愛らしくて羨ましかったことを思い出しました。

祖母が亡くなってすぐに生まれたので、私より8歳か9歳年下です。

もう50歳近くになると思いますが、ほとんど会ったこともありません。おそらく父の葬儀の時に会ったきりだと思います。子供の頃、兄弟のように育った彼女の兄(私より5歳年下)とも もう30年近く会っていない気がします。

叔父夫婦はしょっちゅう喧嘩していて、何かあると兄の方が我が家に、妹の方は叔母の実家に預けられていました。なので、従姉弟とは本当に姉弟のように育ったはずなのに、結局は父方の付き合いだったので、父が亡くなってからは没交渉です。

 

なんだか、つらつらと子供時代を思い出し、モヤモヤ感が薄らいできました。

自分の歩んできた道を辿る、と言う課題を期せずして行うきっかけとなりました。

 

明日はまた特殊外来に行きます。

なので、不謹慎かもしれませんが、まさにジャストのタイミングだったように思います。