セッション

..かつて同じ講座を受けていた知人から連絡がありました。別の知人からコロナがはやり始めたころにも連絡があり、一度は会う約束をしたものの私の体調不良もあって会わずに気が付けば1年以上過ぎてしまいました。

その間に私のほうが情報を持っているので、2度ほど訃報を知らせしたりしていました。それに関してショックだけどお互いに頑張ろうね、みたいな感じで過ごしてきました。

最近連絡があった知人はの人の幸せを後押しする仕事を始めたそうです。で、無料でセッションをするので是非、受けてほしい、と。

一緒に勉強していた時は好きなタイプで話しやすい人だと思っていました。2年位前に会った時にはチラッと今後の展望をどうする? というような話もして、習ったことをビジネスとして展開していきたいと言っていました。それに対して私はその資格を生かしての仕事は難しい、と思っていたし、その後、霊視の先生にも「お金を得るのは難しい」と言われ、その資格はあくまでも『ボランティア』程度で生かすのがいいと思っていました。結局、彼女もこの資格での起業はあきらめたようですが元々 エステサロン?か何かしらの仕事もしていたようです。

なので、無料でセッションをさせていただきます、と言われてもおそらく、何らかの勧誘だろうな、と思っていました。実をいうと私も心理学関係の資格を取って、とりあえず筆記テストは合格、あとは実践レポートを5例以上提出、ということになっています。なので、どこかでレポートのためにセッションをしなくちゃいけない事になっているので、おそらくモノは違うにしてもちょっとばかり、参考にさせてもらおう、という下心もあって、それを受けることにしました。

娘は大学で心理学をかじっていたので、メンタルをやられて医者に通っていた時も、私が摂食障害親の会でお勉強をしてきたときも「ああ、この手口だな」と相手の話を素直に聞けない、と言っていました。今は少しはマシですが、私が一生懸命、関係改善のために努力しても、私らしくない言動が癇に障るらしく「どこで入れ知恵されてきたの?」 とか「〇〇の技法だよね?」と鼻であしらってきました。

自分に知識があると結局素直に感動したり納得したりできないもののようです。・・・と言うのを私も今回、セッションを受けて感じました。やっているワークの裏ばかり想像してしまうし、相手の言葉のテクニックにも注目してしまいます。

そう言えば同人オタクでお話を書くようになったら、本を読むとき、話の内容より、表現の仕方とかテクニックばかり気になってしまって素直に本が読めなくなったのと似ています。

自己啓発系の本はたくさん読んだし、いろいろなセミナーにも参加しているし、今も心理学を学んでいるので、どれもこれも「なんとなく知ってる」 「やったことある」 「よくあるパターン」 って 思ってしまって・・・

それでも、わかっていてやっているワークでも、今までも新しい気付きを得ることは多々ありました。なので、それらを否定しているわけでは決してないのです。

実際、今回もワタシ的にはかなりの大発見をしました。

私は父のような人になりたかったのだ、と。

20年ほど前、エニアグラムを始めて親しくなった仲間に「あなたってお父さんのことを話すときとお母さんのことを話すときにものすごく温度差があるね」って言われたことがあります。私は母のことは尊敬していて乗り越えられない壁であり目標ではあったけれど、それでも母に吐かれた暴言の数々はまさに私の全存在を否定するものだったのでしんどくて辛かったのです。一方父は、本当に好き勝手生きた人で、家庭を顧みず遊び歩いて53歳でとっとと退場していきました。私が27歳になる直前だったかな・・・

約3歳と1歳の子供を抱えていたので、バタバタと日々を過ごし、父のことをじっくり考えることもなく 父のことに思いをはせるようになったころにはなんとなく美化してしまっていた気もします。というか、今も家庭を顧みることもなかったこと、私の大切にしていたものを『燃やしてしまったこと』に関しては許せない気持ちが強いです。

でも、究極ワタシは父がうらやましかった・・・私は父のように「自由」に行きたかったのだな、と。

ネットの無料講座で占星術の講座のようなものを見てワークをしていたのですが、私の一番気になるキーワードが「自由」でした。おそらく思春期に入った中学生くらいのころから私はずっと「自由になりたい」とどれほど願ったかしれません。つまり半世紀近く私の願いはそれなのです。

じゃ、その自由って何だろう? 何がしたいのだろう? 

そして今回のセッションで気づいたのが「私は父のようになりたかった」なんだな、と。

家族も家庭も顧みないで好き勝手やってとっとと死んでしまったくせに、それでも私は父がうらやましく、そして誰からも愛されていた父が誇りでした。

あんなに自分勝手に生きても、認められるんだ・・・と。

私は本当にいつもいつも自分を後回しにして、家族のため、家族のため、とすべてを犠牲にしてしんどい思いをしてきたのに、結局、娘からも息子からも疎まれてしまって・・・

今までも何度も書いてきましたが私の下の妹(妹2)は、本当に好き勝手やってきました。まさに父のような性格です。あんなに好き勝手やって子供を放っておいても子供たちは全員「うちのお母さんは宇宙一」と言います。家では暴君だったりもするけれど、見た目がポヤッとしているので年配の人にはかわいがられるし、下の子たち

には親しみを感じてもらって仲間扱いをされて、とにかく交友関係が広いです。

ああ、本当に妹2は父そっくりなんだな、と

私が勝手に自分は長女だから、とか我慢を重ねてきたのに対して末っ子の特権をいかんなく使って生きてきました。父は跡取りではあったけれど、その時代の跡取り特権を生かして生きていました

私が父や妹2のようであったなら「役割」に苦しめられることなく特権として楽しめたのかもしれません。

何度も何度も何度も霊視の先生に「もう役割をおろしてもいいのですよ。あなたはあなたとして生きなさい」とおっしゃっていただいていたのに、そうしたいのに、やっぱり役割に縛られています。

でも、私はこれからは父のように生きたい

彼のように好き勝手に生きて「このクソおやじ!」って笑いながら呆れられるような最期を迎えたいです。

 

「好き勝手やって、やりたいことやって幸せな人だったね」と言われた父のように

 

 

 

 

好き勝手やってやりたいことやって