500マイル

かれこれ45年ほど前、地元の図書館には2階にホールがあって日曜日にフォークの今で言うところのライブがありました。

私がそこに行くようになったきっかけは小学校中学校の時の友人が音楽に造詣が深く(私

をグレープ→さだまさしファンにしてくれた人)そこのとあるインディーズバンド(って言うんでしょうか?)のファンクラブに入っていました。その彼女に誘われて時々、見るようになったのです。

そのバンドのファンクラブの代表だったのが友人の一つ上の先輩(友人はブラバン部だった)だったのですが、その彼女は私が小学2年の時にそろばんを習っていた時、優しくしてくれた人でした。そろばん塾は子供の足で徒歩10分くらいだったのですが、小学校の学区がお隣になるため、ほとんど知り合いがいませんでした。私がそろばんをやりたいと言った動機はメッチャ不純で、当時好きだった男の子がそこのそろばんを習う、と言ったので「私も」と

しかし、そろばん塾に行くと4年生の女の子になぜか目をつけられ、今で言うイジメっぽい陰湿な嫌がらせが始まりました。その時に助けてくれたと言うかかばってくれたのが彼女でした。

結局、当時の私はとても気の弱い子だったので半年足らずでそろばん塾はやめてしまいましたが、その彼女の名前が自分と一文字違いだったこともあり、ずっと記憶に残っていました。友人がブラバン部に入ったことは知っていましたが特に接点もなく、結局、そのある意味恩人の彼女の存在を知ったのは、そのフォークライブに誘われてからでした。

当時の私はなんであれほどスケジュール管理ができないのかわからないくらい物事を順序立てて考えられない人間で、そのサンデーフォークのライブがおそらく第1とか第2とか決まった日曜だったはずなのに、いつも「たまたま行ったらやっていた」 「やっているかと思ったらやっていなかった」というような状況でした。友人とは高校が別になってしまっていて、今のように手軽に連絡を取る手段もなかったせいで本当に会うのも偶然というか行き当りばったり(笑)

なので、サンデーライブの時の会ったり会わなかったりでした。

それでも、基本一人でも平気な私は気が向くとそのライブを楽しんでいました。

そこのシステムはちっとも理解していませんが、どうやら午前中に出演者オーディションがあり、合格した人が歌う、と言う感じでした。ほぼほぼ常連の数組と準レギュラーみたいな人たちと、全くの新人?みたいな感じで、当時の流行曲のカバーであったり、オリジナルであったりを披露していました。

私はあまりフォークには詳しくなく(さだまさしくらいしか知らなかった)その時に歌われていたのが誰の曲かもわかっていませんでした。

ただ、勝手に録音したカセットには「赤いパラソルには~♪」と言うのがあって好きだったな~と。で、今やっと調べてみたら オフコースの「雨の降る日に」でした。そっか、オフコースだったんだ(笑) オフコースって名前を知ったのは大学に入ってからだったけど、実はその前に知っていたんだ、と今更ながらに驚いています。今は本当になんでも簡単に検索できるんですね。逆に今までなんで調べなかったんだろう、ってちょっとオドロキです。そう言えば「ブルー・スカイ」が好きだったバンドがあって、これは私がチューリップが好きだったこともあって印象に残っています。

なんだか、前置き(!)だけでずいぶん長くなってしまいましたが

このライブの中でどこかのバンドが歌った「500マイル」(多分英語歌詞だった)がメッチャ印象に残っていてそのバンドがまた参加してくれないかと足繁く通った気がします。しかし、相変わらず人の名前も物の名前も覚えられない私は「500マイル」というタイトルを覚えただけでもすごいくらいでした。このまま記憶の彼方に埋もれてしまうのか、と思ったのですが、私が大学生、下の妹が高校生になった時、その妹が何を思ったのか「ギターを弾きたい」と言って通信教育で教材を買いました。その中に「500マイル」が入っていたのです。うわ~、これだ、この曲だ!

ピーター、ポール&マリー! とやっと曲名と歌っている歌手を特定できました。

とても簡単な英語の歌詞と適度な短さから、その後はやったカラオケでの私の唯一の十八番となりました。

とは言っても私は超音痴なので、家族以外とはカラオケに行ったことはありません。数年前からは娘と二人でカラオケに行くようになり、レパートリーは増えました(笑) 必ず歌うのはX-JAPAN の「TEARS」と大好きな三っちゃんのテーマソング「世界が終わるまでは…」です。

あとは天地真理を始めとする昭和歌謡女性版。当時は好きではなかった女性アイドルの曲もやっぱり全部歌えるのが不思議。もちろん超おんちなのですが(笑)

いけない、脱線してしまった・・・

さて500マイルですが、先日図書館に行って、青春歌謡とかフォークの年鑑を見ていたら「フォーク年鑑 ’66」に500マイルが入っていて思わず借りてきてしまいました。

エノマンズと言うグループが歌っていたようですが、残念ながら知りませんでした。さすがの私も’66は5歳なんです(12月生まれだから実質は4歳?) そこに入っていた曲は例えば「バラが咲いた」とか「若者たち」などはその後も何度もテレビ等で聴いていたので、逆に知らない曲のほうが少ないくらいでした。でも、とにかくこの エノマンズさんが歌う日本語詩の500マイルは初めてで、その歌詞に何ていうか胸が締め付けられるような気分になりました。

なので、あらためて500マイル歌詞を調べてみようとしたら 忌野清志郎さんの訳詩が出てきました。ついでに月九ドラマの挿入歌になっていたことも知りました。と言うか、知らなかった・・・

私はエノマンズさんの方の詞を先に見てしまって、それに結構、魂持っていかれていたので今忌野清志郎さんの詞にはちょっとおや?と思ってしまいました。実は彼の有名な「ディドリームフォレバー」も、私が大好きだったフィンガー5のアルバムに「朝が眠いよ」と言うタイトルの日本語歌詞で入っていてワタシ的にはこれがものすごく馴染み深かったので、これもやっぱり「あれ?」と言う感じです。

私がエノマンズさんの方の歌詞で惹かれたのは3番の歌詞「お金も名誉も 捨てたこの俺
神よ ふるさとへ帰れない  帰れない 帰れない もう帰れない 神よ ふるさとへ帰れない」でした。

一方 忌野清志郎さんの歌詞は2番の「ひとつ ふたつ みっつ よっつ 思い出数えて500マイル 優しい人よ愛しい友よ 懐かしい家よさよなら」に心を奪われました。

もちろん、元の歌詞が同じなのですから2番3番の違いはあってもニュアンス的にはおなじになると思いますが、なんて言うのか訳詞っていうのはその作者の思いも入っているんだな、と感じました。

私は英語は全くだめで、英語の歌はビートルズの歌とかスコットランド民謡などソラで歌える曲がいくつかレパートリーにあるのですが(笑) 実は歌詞は全く意味がわかっていません。

で、この2つの500マイルの日本語詞を見て、あらためて英語の歌詞を文字で見てみました。

その時に私がこの曲に惹かれたひとつに「Lord」と言う言葉がありました。日本語に訳せば「主よ」と訳すのでしょうか

どうも私はこの曲に勝手に「祈り」の要素を感じていたようです。

ロードという言葉は高校時代、大好きだった「7つの黄金郷」と言う漫画の中で体の不自由な軍師が彼を救ってくれたアーサーを「ミ・ロード」と呼んでいた事で知りました。(あとで、英語の使い方が間違っている正しくは『マイ・ロード』だと言う読者からの指摘で訂正された気がします)あやふやな記憶ではありますが、彼にとってアーサーは何者にも代えがたいまさに神のような神以上の存在だったようなイメージが残っています。今、これを書いている途中で、なにかわけのわからない「祈り」に関するイメージが湧き上がっています。私は7つの黄金郷のロレンツォさんが大好きで、いつかイタリアにいて「ピエタ」を見るのが夢! と言い続けて15年ほど前にイタリアに行ったのですが、まさかのシスティナ礼拝堂が修復中で遠く遠くからチラッとしか見れませんでした。「もう一度来いよ」って意味だよ、と言われてますが、昨今の情勢ではもう2度とイタリアに行くことはない気もしています・・・

話がアチラコチラの果てしなく広がって、まさに自分の人生のおさらいみたいになっています・・

何ていうか、何かを紐解くと、あれもこれも繋がっているんだな、と感じてしまいます。

それだけハッキリと自分の好きなもの、心惹かれるものが同じ系統なんだ、ってことなのかも知れません。

エニアのワークでたとえば「自分を表す花」というので「薔薇」を選んだ人がいます。他にもいっぱいいます。で 同じタイプなんだ、とか好みが似ている、と思ったらそれは大間違いで

例えば 自分を「華やかで美しいから」と薔薇を選ぶ人もいるし、「棘があるから」という意味で選ぶ人もいます。目に見える結果ではなく「動機」を見ることが大切だ、と習ったように思います。

 

500マイルの歌詞の故郷を離れる(エノマンズさんの方では追われる、とあった)心情、帰れない心情、それがなぜ心を揺さぶるのか・・・

私の習っているエニアではいつも講座の最後に「ふるさと」を歌います。私は3番の歌詞が好きです。「志を果たして いつの日にか帰らん」と言うところです(笑)

そう、私は「仰げば尊し」も 「身を立て名を挙げ やよ励めよ」ってところが大好きなんです。

仰げば尊しは まさにその歌詞のせいで卒業式の定番から外されたそうですが、でも私は「立春出世」って憧れます。ただ、言葉としての「故郷に錦を飾る」とか「凱旋」と言うのは嫌いなのですが。

ふるさとは穏やかに落ち着けるところでありながら、自分のアイデンティティを強烈に表す場でもあるような気がします。

私は家族が嫌いで地元が嫌いで 早く家を出たいがために大学卒業してすぐ22歳で結婚しました。とにかくあの場所から逃げ出したかったのです。

それが35年たった今、逆になんとも言えない郷愁を感じています。

それはずっと心の奥底にあったものなんだな、と

そしてそれはこうして辿ってみた思春期の頃からずっと惹かれるものの揺るぎなさで実感しています。

 

エニアの私は「タイプ1」で、算命学の私は「山」です。

私はいつも根っこがほしい、確固とした基盤がほしいと思っています。

ああ、そういうことなんだな・・・と

 

私は友人の影響でさだまさしが好きだと書きましたが、彼の歌詞は「移ろいゆくもの」への愛しさにあふれている気がします。それがものすごく好きな反面それにものすごく心乱されます。私はいつも留まっているので。

なくしたもの手に入らないものに焦がれる500マイルのような曲のほうが好きなのは必然かもしれないと思います。

失いたくないけれど、渇望しているけれど得られないもの、今の私にはなにもない・・・

だから私には祈りとか鎮魂曲が必要なのかも知れないとも思います。