続き:妹とその家族から学んだこと

私は、どれほどしなくていい我慢をして、しなくて良い努力をして、そして何もかもやった気になっていたのでしょう。どれほど頑張るいいお母さんのつもりでいたことでしょう。

 

今までの私ならここで奈落の底に落ちるところですが、今はゆっくり冷静に浮上しています。

過ぎてしまったことはもうどれほど悔やんでも取り返すことはできないけれど、この先はいくらでも変えられるのだから

私が今、作っているのは「未来」    そして生きているのは「今」

この今の繰り返しが未来になるのであれば、今を大切にすることこそが生きている意味なのだろうな、と。

 

今の妹2の境遇は羨ましいけれど、でも私は妹2になりたいとは思いません。

そして「言霊」で気づいたのは私はいつも「家族皆が幸せになりますように」と願い続けてきたけれど、それでは「今現在が幸せでない」と言っているようなものなのかもしれないと。

妹2との決定的な違いはそこだったな、と。「これでいいんだ」と「私は幸せ」と公言する妹2はその言葉で幸せを引き寄せていたのに対して、私はいつも「まだまだ、ダメダメ」って自分に言っていた気がします。

私が家族の幸せを願うのなら 「これからもずっと家族が幸せでありますように」と言うべきでした。私は目の前にある幸せをないがしろにしすぎていたのかもしれません。

ここ数日、ウォーキングを始めて古いウォークマンを引っ張り出して聞いています。

その中に「マーフィーの法則」が入っていて「自分が健康そのものだと思っている限り健康な体でいられます」というような言葉が入っていました。

鈴木秀子先生の講演会にく行くたびに先生は「みなさんは、今日ここに来ることができると言うだけでとても幸せなのです」とおっしゃっていました。それはその場所へ行くという、それだけで体力と時間とお金を持っているということ。それがどれほどギリギリであったとしても実際に行動できているということに感謝しなくてはいけないと言うようなことだったと思います。どれだけ願っても叶わない人もいるのに、今、こうしてできていること。それは本当にありがたいことなのだ、と。

体は今日も痛いし、痛くて目が覚めて、気分もメゲメゲでしたが、それでも生活できている・・・怖い先生の言う 異常の正常でも生活できている。

ありがたいことなんだな、と。

 

何度も何度も立ち止まり、何度も何度も後戻りしながら、それでもやっぱり、前に進むことを諦めないようにしようと思います。

 

私はとても幸せな人間なので、きっとそれができると思います。