長生きかぁ・・・

久々に霊視の先生に視ていただきました。

なんだかんだで やっぱり娘のことばかりで、結果としていつも通りの事を言われました。先生は忙しいのと私の都合もあり年に数回しか時間が取れません。せっかく時間があってもすでに満席、と言う状態が続いていたりします。今回は去年の秋以来?かな。

なんだかんだで、それなりに長くは通っているので私の事は覚えて下さってはいるのだとは思いますが、それでもやっぱり、結果として同じことを言われる、と言うのは本当に視えているんだと実感します。

私が毎回、娘の事を気にしているので、娘のことですが…と言い出すとちょっと苦笑いのような表情を浮かべます。そうですよね、毎回、毎回「それが娘さんの基質です」って言われて、毎回納得しているはずなのに、それをまた蒸し返すのですから…… 以前、夫の実家の事で困ったことがあって相談に行ったはずなのに、やはり娘のことを先に聞き出して、時間が無くなって、「もう一つお聞きしたいことが…」と言ったら「そうでしょうね、本当はそちらがメインですよね」って言われました。先生は「私は人の感情は読めません」とおっしゃいましたが、その人を動かしているものは見抜かれるようです。今回も娘の事で大部分の時間を費やして、本当は一番知りたかった事に到達するのに時間がかかってしまいました。いつもボイスレコーダーで録音させていただいているのですが、なるべくそちらを見ないようにしていました。でも、時間が気になって・・・ 残り5分くらいのところで焦って本題?を切り出しました。

これを切り出すのは本当にすごく「聞いていいものなのか」と悩んでいました。どう言えばいいのか、も。

ずばり「私より先にいなくなってしまう人はいるのか」と言う事。「お聞きしていいですか?」と言うと「はい、具体的にはどなたですか?」と。で、まずは夫。ぶっちゃけて言えば私と夫、どちらが先に死ぬか、って事です。「どちらがいいですか?」と言われ「私は自分が夫を看取るべきだと思っているのですが、でも私は長生きしたくなくて夫は長生きしたい人みたいです」と答えました。先生はじっと私の胸のあたりを見て「ご主人の方が長生きします」と。「ご主人の方が長生きと言ってもあなたより長くて3年くらいですけどね」と。それを聞いてかなり安心しました。夫の父は100歳で亡くなりましたが、義母が77歳(義父は8歳年上)で亡くなってから15年ほど一人でした。何もかも義母に頼っていた人だったのでその15年はどれほど長かったんだろう、と切なくなります。 なので、私は何が何でも、自分が夫を見送ってあげないといけないと思っていました。

 二人とも普通に長生きしてより長く生きるのが夫と言う事だそうです。

あとは今現在86歳の母。「とりあえず、90代半ばくらいまでは大丈夫ですよ」とのこと。母は今もピンシャンしていますし、ボケてもいません。体の不調は年なりにありますが、幸せな毎日を送っているようです。なので長生きしてくれたらな、と思います。「90前半くらいから、少し覚悟はしておいてください」と言うようなことを言われたので、この辺りから認知とか施設の必要性があるのかもしれません。なら、私もあと5年くらいをめどに準備をしなくちゃいけないと肝に銘じておきます。

それから、私を悩ませている娘と息子… 「老人になるまで人生は続いていますよ」とのことでした。乳癌の息子のお嫁さんも「普通に老人になります。ただ、このお嫁さんは亡くなる3~4年前は闘病で大変かもしれません」との事でした。と言う事は逆にそれ以外の人は、それほど長患いすることなく人生を終えることができるようです。「お嫁さんに残された息子は大丈夫でしょうか?」と、これまたエゴ丸出しでお嫁さんの最後より息子を心配する私に「息子さんは大丈夫です」と即答していただきホッとしました。

 妹たちの子と妹の家族のことも心配している、と言うと「ざっと見た感じで、あなたの周りの人で、今現在、普通の人生が崩れていくような傾向を持った人はいません」と。それこそが本当に私の人生の中でいわゆる「通奏低音」のように響き続けている不安への答えでした。

なかでも私を一番ホッとさせてくれたのは、私が夫や娘、息子を先に見送らなくてはいいと言う事。お先にお暇させていただけると言う事。

これで、娘が帰宅時間になっても帰ってこない、と たった10分いつもと違うだけで胃をキリキリ痛めないですむこと。夫が「心臓が急にあぶった」と言うと目の前が真っ暗にならずにすむこと。お嫁さんの病気を心配しないですむこと。息子が一人になるんじゃないかと心配しないですむこと。

自分で抱え込む必要のない心配に本当に毎日毎日、無駄にしていた時間を「自分のため」に使える事。

前半、娘のことと自分の事を聴いた時に、これも何度も言われていますが「あなたが『あなた』としてどう生きたいか、です」と。これからは二人称ではなく一人称で考えて行動してください、と。

私がどうしたいのか、です。結局、私は役割で生きて「~すべき」で動いています。それを全て「自分がやりたいからやっている」に変える事。

そうなんです。結局 私は本当は夫や娘の世話を焼くことが好きなんです。それを自分のレーゾンデートルだと思っているのです。だから本当は好きでやっているんです。でも、いつも「ねばならない」で苦しんでいました。そして、自分が何もかもやるのが当たり前と思いつつ、それによって彼らを甘やかして何もできないようにしているのではないかと、それもまた悩みで

でも、それはあくまでも彼らの問題。甘やかされてダメになるのはその本人たちが悪いのです。この13年、ずっと娘を追い詰めてしまった責任を感じてきました。でも、娘ももう30半ば。私は30代半ばにはすでに小学高学年の子供二人を育てていました。それが間違いの元だったとしても私なりに必死に自分以外の人のために頑張ってきました。もちろんその選択をしたのは私自身で親のせいにも夫のせいにもしていませんでした。だから、もう娘に対して負い目を感じるのはやめるし、気を使いすぎるのもやめにします。頼まれたことは全て叶えようとするのもやめます。

 

 実はやっと新年度の授業の時間割が来ました。私は産休の先生が戻る前は16時間、戻ったら、8時間分を頼まれていましたが、私が自分の都合(できれば週2日にまとめてほしい、できれば1時間目を避けてほしい)を通すと、産休で戻った先生の時間割がしんどくなります。そうならないようにもう一人の先生と色々、案を練ったのですが、他の科目との兼ね合いもあって、結局、私としての第二案(週に2日、1限目からあり)に決まりました。でも、それをすると産休で戻った先生は週に2回、1限目から6限目までビッシリ授業が入ってしまいます。でも、私が週に3日にして、さらに大嫌いな生徒のいるクラスの授業を継続すればその先生が6時間ぶっ続けになるのは1日だけになります。(その代わり一日まったく授業のない日はなくなります)

私はその先生の都合を考えて、私がその提案をした方がいいのでは、と思っていました。

でも、もう黙っていようと思います。だって、決まった時間割であれば私は週2日の午前中だけの仕事で済むのですから圧倒的に楽です。ついでに大嫌いな生徒のクラスの特別な授業もやらなくていいし… 

私がどうしたいか、と言えば「いい顔したい」 「いい人ぶりたい」もあります。でも、それ以上に「自分も楽したい」です(笑) だってたとえ2時間だけの授業であったとしても1日出て行けば1日潰れます。その1日を自由に使えるのですから。

・・・と言いつつ、結局1日余分に時間があっても家にいてすることないよな、って思うかも。今春休みで時間を持て余しているのを見ても「何もしない」時間に苛立ちを感じてるし

中々に厄介な性格です。

取り合えず、産休の先生が戻ってくるまでは、毎日のお仕事になります。バタバタした日々ですが、やはり何かすることがある方がうれしいです。

のんびりまったり何もしないで・・・とか好きな事だけをやって・・・と言うのは実は私が自信が望んでいない事でした。

私は「好きなことをやっているんだ!」と気持ちを切り替えて新学期を迎えたいと思います。