鬱々・・・

聖子ちゃんは同世代と言うか、同じ学年になると思います。

まさにデビューその当時からずっと見てきた芸能人です。

私はぶりっ子と呼ばれた当時の聖子ちゃんはとても苦手で、アンチ派でした。

それでも、いわゆる「聖子ちゃんカット」はしていた時期がありました。(美容院に行っておまかせにすると有無を言わせずそうなりました)

結婚も出産も同じ時期で、なんていうか常に彼女の動向は目に入ってきた気がします。

苦手で苦手でたまらなかったのですが、「Sweet Mommy」「あなたに逢いたくて」はめっちゃ好きでした。

そして、お互い50歳を過ぎた辺りから、それまでのアンチの感情とは別に、この年でも第一線を駆け続ける彼女にある意味、憧れと言うか尊敬すら感じるようになりました。

好きではないけれど、すごい人だ、と。

 

神田沙也加さんの死に衝撃というか、並々ならぬ苦しさを感じています。

それは日を追うごとに、そして昨日の斎場での聖子ちゃんと神田正輝さんの姿を見たことでより一層重くのしかかってきました。

亡くなる前のミュージカルを演じる姿とか、普段と全く変わらなかったと周りが言っている姿とか・・・それが苦しくて苦しくて

まさに私の娘が自殺未遂をした時のあの苦しさがフラッシュバックしてくる感じです。

北海道の雪に埋もれて眠っている姿を想像して、一瞬の隙に何かに取り憑かれて攫われてしまったのだろう、と風の音に心が乱れます。昨日の夜に見た赤い大きな月にすら私自身も引き込まれてしまいそうな気にもなります。

彼女の辛さ寂しさ葛藤…そのものに胸が掻きむしられる気がするのは自分の娘に重ねてしまっているからだとは思います。

そして、おそらく様々な確執があったであろう母である松田聖子さんへの共感と言ってはおかしいのかも知れませんが・・・私が味わったあの無力感、後悔、慟哭・・・ それ以上の辛さを思いただただ ただただ うろたえ怯えています

困った・・・

夫が有給消化のために今月は毎週火曜日に年休をとっています。

正直言って、邪魔くさいです・・・

夫の二度目の定年が来年の8月です。

その先は、ありがたいことに週に2~3日の仕事が決まっているようですが、でも週の半分以上は家にいるってことです・・・

何もすることはなく、夫は一人で本を読んでいることが多いのですが

ただただ、いるだけで邪魔くさい・・・

 

私もこの2年近く、まったくのプーでいるし、そもそも非常勤で働いていた時も週に2日くらい勤務の時もあったし、何より夏休み冬休み春休みと「毎日日曜日」状態に慣れてはいるのですが

でも、私には私のペースが合ったし、プリント作りなど教材研究に時間を費やすこともけっこうあって、それなりに自分のペースで時間を使うことができていました。

なので、それほどお休みが苦痛でもなかったのです。コロナになってからの完全無職状態でも、去年は体調が悪かったのでヘタっていたし、お嫁さんのがんセンター通いのお手伝いをしたり、それなりに「何かしている感」&「何もできないので仕方ない感」はありました。

今年前半は心理学関係のお勉強もあったし試験もあったし、でそれなりに忙しかったけど

ココしばらくは本当に何もすることがない状態で、その上、捻挫をしたりして出歩くこともできなかったし・・・

時間はあっても手持ち無沙汰な状態でもありました。

そのタイミングで夫が有給で家にいるとホントめんどくさくて・・・

 

一緒にできる趣味があるわけでもなく、読書も全く傾向が違うし、音楽も芸術鑑賞もホンット、全く趣味が合わず・・・ まあ、夫が私に合わせようとしてくれているのはわかるのですが、でも私は自分もやはり人に合わせてしまうので、それが苦痛であることがわかります。だから、私に合わせようとされるとそれも負担に感じます。

単純に「私もこれが好き!」ってお互いが言える趣味でもあればいいんですが・・・

明け方の声

ここ数年、眠りが浅く、ひどい時には不眠状態のように感じていました。

ありがたいことに最近はたまに眠れない時もありますが6時間ぐらいの睡眠は確保できるようになりました。

6時間ぶっ続けで眠ることは難しいのですが目が覚めるタイミングはいわゆるレム睡眠?のサイクルの1.5時間ごとかっきりです。 なので、例えばうつらうつらし始めた時に時計を確認して(もう習慣化している)3時間後、4.5時間後に目が覚めると、「ああ、ちゃんと眠れていたな」と以前のようにヒステリックにならずに済むようになりました。

昨晩は12時半頃にうつらうつらとしたので、トイレに目がさめたのが2時少しすぎでした。トイレに行った後そのまますっと眠りにつきました。ところがその後、4時40分ぐらいに突然ドアの方から「んん?」と言う声が聞こえて慌てて飛び起きました。男の人の声だと感じたので夫に何かあったのかと(夫は息子の部屋だった所で寝ている) しかし誰もおらず、念の為?トイレに行きましたが、その近くにある息子の部屋も娘の部屋も電気が消えたままでした。(子供部屋はドアの上がガラスになっているので明かりがついていればドアを開けなくてもわかる)

昔、娘が自殺未遂をしてから私は音にものすごく敏感になっています。特に夜中にドアを開け締めする音や、娘がベッドで寝返りを打っているだろう音ですら聞こえてくるとざわついてしまいます。今のように一人っきりでリビングにいたとしても、常に聞き耳を立ててしまいます。ただ、私の耳は耳鳴りの影響で音が聞き取りづらく、余計に神経を使って、正直言って家の中にいると落ち着きません。誰もいないはずの家の小さな物音にも怯える状態で、それが幻聴?を生むのかも知れません。在来工法の木造住宅なので家を建ててから10年くらいは家鳴りもすごかったので、なんとなく最初から家の中の音は常に気になってはいました。

 

しかし今朝の「んん?」と言う声は、本当に人の気配を感じたのです。

 

今日は父の33回目の命日です。

入院中、4時になると付添の母や妹に「朝だ、カーテンを開けてくれ」と声を掛けていたという父は33年前の今日、夜の明ける前に息を引き取りました。

 

とても寒い朝で病院から一旦実家に戻り、まんじりもせず迎えた朝の冴え渡るような朝焼けが目に焼き付いています。

一転してお通夜の日は吹き荒れる雪でした。

葬儀の日はまた鮮やかに晴れ渡り、沢山の人に送っていただきました。

12月、私の誕生日も近いけれど、でも、今の私にとっては父の命日という方が重い気がしています。

はてなブログ10周年特別お題「好きな少女漫画10選」 昭和50年代

「好きな少女漫画10選」  昭和50年代編 (1970年代後半)

 

1・7つの黄金郷  山本鈴美香  1975~
2・シメール     森川久美    1979   天の戴冠  ヴァレンチノシリーズ  青色廃園
3・11人いる!  萩尾望都   1975  
4・暁の目の娘   市川ジュン  1976
5・摩利と新吾   木原敏江   1977~1984 
6・イブの息子たち  青池保子   1976~  
               エロイカより愛をこめて 1976~  
               エル・アルコン -鷹-  1977~1978
7・ラシャーヌ      魔夜峰央    1978
8・ガラスの仮面    美内すずえ   1976~  白ゆりの騎士
9・みき&ユーティシリーズ      成田美名子     1977 ~1979 
10・千津美と藤臣くんシリーズ   ひかわきょうこ    1979~1980

 

前回、もう感想、解説は書かないと言ったのですが、今回のリストの中に70年代前半と勘違いして感想を書いていたものがいくつかあったので、結局、ほかも書くことにしました(笑)

1974年に花とゆめ、1976年にLaLaが創刊して、それ以降は子供を生むくらいまで1号も欠かさず買っていたのでこの辺りから80年代の私の好きな作品は主に白泉社様ものになります。

週刊マーガレットは「エースをねらえ!」(山本鈴美香)第2部終了(1980)年ころまでは定期購読していましたが、それ以降は離れていたかもしれません。何しろ、この頃は前記の2冊以外にも様々な漫画雑誌を買っていたので金銭的に厳しくて・・・ (真面目な生徒だった私はバイトを初めたのも大学3年の時が初めてでした)

 

「7つの黄金郷」   今も未完のままで、おそらくこのお話の完結を見ることはないのだろうな、と思いつつ、それでも続きが読みたくて恋い焦がれる作品です。私はロレンツォ様の大ファンです。この頃から私は自分がロレンツォ様タイプの容姿にメッチャ弱いと自覚しました。ちょうどこの頃、ジュリー(念のため、沢田研二さんですよ~)のファンでもありましたので(笑) このコミックスが、今どこにしまい込まれているかわからず読めない状況ではあるのですが、でも頭にこびりついて離れないシーンとか台詞がいっぱいあります。大航海時代のイギリスとスペインに興味を持ったのもこの作品のせいですし、何が何でも「ピエタ」の像が見たい! とイタリアで騒いだのも(修復中で見れなかった・涙)このおかげです。「滞る水は腐る」と言う言葉も私の中に鮮明に残っています。20年ほど前、オタクな活動をしていた時に、犬の話題が出て「ボルゾイを飼って『ドロテ』と名付ける!」と言ったら、その内の一人が「おお、ロレンツォ様だ!」と間髪入れずに返してくれて、以来すっかり彼女と意気投合した覚えがあります。

私は昔から主人公か、それでなかったらお派手なキャラが好きなのですが、高校時代にこの漫画を貸したクラスメートが「ビンセントが好き」と言った時にちょっと驚いたのですが、読み込んでいくと本当にどの登場人物も甲乙つけがたいほど素敵だな、と・・・(もちろんロレンツォ様は別格!)

で、冒頭で「エースをねらえ!」の話が出たのでちょっと補足。エースをねらえ!の中で一番印象的なシーンは尾崎さんのお蝶様への思いが報われた?シーン。お蝶夫人は最初は嫌な悪役だと思っていたのですが、ペアを組んだひろみに誰かが悪口を言った時に「私のパートナーを動揺させるようなことを言うな」みたいなことを言った辺りから見方がコロッと変わりました。まさに孤高の女王様、と言う感じで憧れました。そのお蝶様を一途に慕う尾崎さんの思いの深さとそしてそれを受け入れたお蝶様・・・ああ、もう本当に最高のシーンでした。私はキャピキャピした恋愛ものって全く好みではないので、あまり読んでこなかったのですが、この二人の関係こそが「大人の恋」だと憧れました。

ついでにエースをねらえ!の中で一番好きなセリフは、宗方コーチが藤堂さんに言った「女の成長を妨げるような愛し方をするな」です。この時は私はまだ中学生だったのですが、宗方コーチの言葉とそれを受け入れる藤堂さんのどちらもカッコいい大人の男だとメチャクチャ感銘を受けました。

 

「シメール」森川久美さんは退廃的なアングラっぽいと言うか同人誌と言うか(と言っても私が同人誌というものの存在を知ったのは1994年頃) そう言うイメージです。青色廃園の頃から好きな人でしたが、「天の戴冠」で惚れ込みました。私はベルばら以降、西洋の歴史物が好きでこの作品も歴史を舞台にしていたので、このスケールでこのページ数ではもったいないと感じました。もっと長編で読みたかったです。

シメールで好きなのはもちろん主人公の「イヴ・ラクロワ」ですが、ガスパール刑事も好きなタイプでした。またまた話がそれますが、私は「レ・ミゼラブル」の中でジャベールにものすごく思い入れがあってなんて言っていいかわからないくらい彼の最期が好き(と言うと語弊がありますが)で、とても共感できるのです。シメールでガスパールを見た時、そのジャベールに少しだけ似ているな、と感じたような気がします。シメールもラストのどんでん返しが圧巻だと当時は感じました。マクベスの有名なセリフ「消えろ消えろよ短い蝋燭」と言うセリフも頭にこびりついていました。

 

「11人いる!」 再び、萩尾望都さんです。私はNHK少年ドラマシリーズが好きでした。これは初期の多くはSFものでした。当時はSFブームと言うかハシリだったのかな? 眉村卓さんとか光瀬龍さんのお話をよく読んでいた記憶があります。余談ですが少年ドラマシリーズはSF以外の作品も多く、私はなかでも「つぶやき岩の秘密」の主題歌「遠い海の記憶」がメッチャ好きで、必死になってカセットデッキで録音した記憶があります(なのでたぶん今でも歌える) 肝心の11人いる!の前に少年ドラマシリーズのことを書いてしまっていますが、「11人いる!」も少年ドラマシリーズで実写化されています。これは忘れもしない、お正月(1月2日)に放映されました。当時はビデオなんてものもなく再放送だっていつあるかわかりません。なので、この放映を見るために私は家族旅行を一人だけパスして家に残ったのです。もし、この作品に関わっている方、気に入っている方がいたら申し訳ありませんが、それまでの人生の中で一番ガッカリした作品でした。本当に「こんなもののために年に1回あるかないかの家族旅行をパスしたのか・・・」と。本当に人生で初めて「失望」というものを味わいました。 それは、もちろん原作に対して思い入れが強かったせいだと思います。

という事でやっと原作にたどり着きますが、萩尾望都さんを知ったのはたぶん「精霊狩り」を雑誌で読んだこと(10歳くらいの時)当時の私はまだ漫画にのめり込んでいなかったので作者もタイトルも覚えておらず、高校生の頃に萩尾望都全集を買って「あ! これって萩尾望都さんだったんだ!」と気づきました。

「11人いる!」は少女漫画としては初の本格的SFなのだそうですが、私はSFとしてまさに完成形だと思っています。この作品の後にどれほどの作品が誕生したとしても、これほどの感動はなかったな、と。ラストのどんでん返しはもう、まさに「お見事!」と唸るしかありませんでした。

後に続編として「東の地平・西の永遠」が掲載されましたが、これも嫌いではありません。(私はそれまで何かの続編ってどこか取ってつけた感じがするのであまり好きではないことが多かった) 本当に内容的には素晴らしいと思います。ただ、辛いだけで・・・ 

 

「暁の目の娘」は中編ですが結末に衝撃を受けました。市川ジュンさんはこの作品より前?の「風の挽歌」で好きになったんだと思います。(心に傷を追った人と苦労知らずに見えるお嬢さんの描写が好きでした。当時はワルの方がかっこよくてお嬢さんは意地悪とか苦労知らずのイメージになる漫画のほうが多かったけど、これはとても気持ちのいいお嬢さんで好きだった)

 暁の目の娘はネタバレになるので書きませんが、「マタハリ」の娘、と言う設定です。とにかく、結末が当時の私からすればある意味、風の挽歌にも通じる心地よい着地点で(悲劇なのですが)メッチャ好きでした。結末を読者に託す、と言う感じで、どの登場人物にもある意味嫌いになる要素がなくてただただ切ないとしか言いようがなかった気がします。それが戦争なんだ、と感慨深かったです。

 

摩利と新吾」は元々は「あーら わが殿!」(1972~1973)を詳しくしたような始まりでしたが、途中からは全く別物のお話として展開していったように思います。私の好きなのはもちろん(笑)摩利さんです。木原さんの作品ではフィリップさん(この作品では摩利)が、主人公を引き立てる役回りとしてよく出てきますが、これはタイトルからもわかるように摩利さんも「主役」です。むしろ摩利さん人気が高まって逆にある意味、摩利さんを苦しめることになる新吾に対してLaLa連載中もアンチがたくさん発生していたように思います。その影響?か「お日様新吾」に対しての憎悪などのスタイルも本編に出てきていました。これはあくまでも私の勝手な解釈なのですが、木原先生ってけっこう読者の声を聞いている人なんだな、と感じたりしました。そう思った決定的なセリフなどもあるのですが、それが外れていたら顰蹙モノなのでカットしておきます(笑)

このお話で好きなセリフは新吾が好きな女性を追ってすべてを捨てて出ていこうとする時、それを引き止めることができなかった摩利さんが「泣いて縋って『行くな』と言えたらばからしくて鷹塔摩利なんてやってられないよな」というようなことを呟くシーン。ああ、もうカッコいい! それこそ摩利さんの生き方だ!!って思いました。 あとは夢殿さんが摩利さんを守るために「俺は一足飛びに大人になりたかった。腕の中でゆうゆうとおまえを遊ばせてやるために」というようなセリフ。(現物がないのでうろ覚えの記憶だけです・・・ )それに対してだったか、その後別のシーンでだったかわかりませんが摩利さんは夢殿さんに対して「あなたは俺を甘やかす。俺の成長を止めるくらいに。だからあなたではダメなんだ」みたいなセリフがあって、私はここで、あの宗方コーチの言葉を思い出しました。これぞ、まさにおとなの男の恋愛なんだな、と

おかげで現実の男に目が向けられなかったんだと思います(笑)

追記:私は昔から主人公に絡む女の子は大嫌いでしたが(009に絡む003とか・笑) この作品の中の「ささめちゃん」は好きでした。

 

「イヴの息子たち」「エロイカより愛をこめて」「エル・アルコン」 どれをベストテンに入れるか迷いました。私は純粋な少女漫画していた時の青池保子さんは苦手なタイプの漫画家さんでした。でも、セブンティーンで「エル・アルコン」に出会ってティリアンに惚れ込みました。普通だったら絶対に読まないセブンティーンという雑誌を買うようになったのは池田理代子さんの「オルフェウスの窓」第2部が週刊マーガレットからこちらに移動したせいです。それがなかったら絶対に手を出さなかっただろう雑誌です(笑) 何度も書いていますが、私は好きな作家さんの作品はコンプリートしたいタイプなので。 で、エル・アルコンに嵌って、イブの息子たち、エロイカより愛をこめて も買い始めた、と言う感じです。イブもエロイカもコメディ色、少女漫画色が強かったので最初は少しだけ馴染めませんでした。でも、元々はコメディも大好きなので少女漫画的な部分には目をつぶって(笑)読み続けるうちにエロイカの壮大な世界観に嵌っていきました。ただ、人に勧める時は1巻めだけは我慢して読んでね、と注釈つけてから貸し出しています(笑)

イブの息子たちはヤマトタケルのお話が好きです。ここで出てきた古事記の「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山籠れる 倭しうるはし」は暗唱するくらい好きでした。

 

漫画家さんってそれぞれ、独自の世界観と言うか好きな分野をお持ちのようで、それぞれに造詣の深い面を見せてくれます。それに感銘を受けて自分でも調べたり、と。思い起こせば「ベルばら」でフランス革命を、「7つの黄金郷」そして「エル・アルコン」で大航海時代のイギリス、スペインの歴史、「白ゆりの騎士」でジャンヌ・ダルクについて・・・などなど私の知識?のベースには様々な漫画の影響が大きいです。思春期の純粋だった頃だからかもしれません。今は小説を読んでも漫画を読んでも全然、その時代背景を調べようなんて好奇心も余裕もありません。

私のことを物をよく知っている、と言ってくださる方がいますが、それは全て漫画由来です。

なんて漫画は素晴らしいのでしょう!!(爆)

 

「ラシャーヌ」よりもパタリロの方が圧倒的に有名なのでしょうね。パタちゃんとラシャーヌの性格も似ているし。でも、やっぱり私の中では見た目でラシャーヌの勝ちです(笑) 私がラシャーヌに惚れ込んだ理由は第一話でマダムが、砂糖のスプーンを持って「いくつ?」と聞いた時に「年ですか?」と彼は答えマダムが「このスタイルで年を聞くわけないでしょう?」と言ったのに応酬して「ただ幾つと聞かれただけでは年なのかボーリングのアベレージなのかわかるはずがない」と言います。そこでマダムが謝って、あらためて「砂糖はいくつ?」と聞くと彼は「ブラックで」と答えるのです。

いや~~! このラシャーヌの性格に惚れ込みました。あとはお父さんをからかうネタも好きなのですが、書いているとキリがないのでこの辺りで・・・

 

ガラスの仮面」これはもう、連載第一回からリアルタイムで見ているものとして書かないわけにはいかないと思ってあげましたが、正直、最近(と言ってもかなり前)の展開にはついていけないなぁと思っています。なので、昔を思い出しての感想です。私に最初にマンガ本を買ってくれたのは母ですが、私が小学高学年、中学生の頃は我が家も「漫画禁止」でした。なので、隠れて週マを近所のタバコ屋さんに買いに行っていました。でも、私はあくまでも「優等生」ちゃんでしたので、タバコ屋のおばさんから私が漫画を買っているのがバレると不味いと、漫画を妹1に買いに行かせていました。そこは浅はかな子供の考え、そして姉ちゃんの威厳と体面を保つために妹1に犠牲になってもらっていました。妹1はとてもすばしこい子でしたので、近所のタバコ屋さんで漫画を買うと服の下に隠して家に駆け込み私のベッドの下に潜り込ませる、を光速(笑)でやってくれていたのです。中学生くらいの時に父にマンガ本が見つかって全部燃やされた記憶があります。なので、漫画は絶対に見つかってはいけないものでした。ガラスの仮面の連載が始まった頃、私は高校生になり、我が家の漫画規制も少し緩くなりました。そして、なんと母が「ガラスの仮面」に嵌ったのです。で、続きが読みたいがために花ゆめ解禁になりました(笑) 

ガラスの仮面には様々な演劇作品が出てきます。母の年代は娯楽といえば映画しかなかったようで、洋裁学校に通っている時に帰りにいろんな映画を見た、と言っていました。中でも母が好きだったのが「若草物語」だったそうです。ガラスの仮面にも若草物語のシーンが出てきます。それも母がお気に入りになった一因かなと思います。しかし母が「速水さん」に入れ込んでいるのを知ったのは正直、ちょっと衝撃でした(笑) 母にとっての大スターは「ゆうちゃん」(石原裕次郎)だったので。あ、「丸山明宏」(←美輪先生です、念の為)の映画を見たことがあってメッチャきれいだったと言い続けてましたが。(母は私がジュリーを好き、と言うと『女みたい!』ってケチを付けてたのに)

連載開始からもうすでに45年になるんですね・・・ お話の世界と現実世界にギャップが広がりすぎてついていけないというのが本音です。 完結は見たい気もするし、どうでもいい気もします・・・

 

「みき&ユーティシリーズ」 成田美名子さんはデビューから見守ってきたこと、年齢が近いということから親近感がありました。全寮制の学校、と言う設定がシュロッターベッツぽくていいね、とか(笑) もちろん好きなタイプはユーティなのですが、彼のような優等生は実は苦手かも、と後々になって思ったりしています。この作品の中で? 「その制服を着ている間は、君がその学校の代表」みたいなセリフがあって、高校の非常勤講師をしていた私は常に生徒にそう言ってたしなめていました(笑) 自分が学生の頃はそう言う感覚がなかったのですが、教師として学校にかかわるようになってからは実感しました。なので、おそらく当時20歳近辺だった作者がその言葉を使ったことにのちのち感銘を受けました。

その後「エイリアン通り」 「CIPHER」なども持っていますが、残念ながら嫌いではないけれど、大好きとは言い切れないでいます。

 

「千津美と藤臣くんシリーズ」ひかわきょうこさんもデビューから見守ってきた作者さんです。私は基本的に「少女漫画」ぽい少女漫画は苦手なのですが、ひかわさんの作品だけは違和感なく好きでした。このシリーズも他のシリーズでもそうなのですが、一見、ひよわで可愛いだけに見える女の子がみんなしっかり一本芯が通っているところが好きだったのだと思います。私には珍しくぽやぽやした女の子がカワイイと思えた作品なので、これをあげましたが、同じひかわ先生の作品のたぶん「和田くんとゆきこシリーズ」だと思うのですが、とても好きなシーンがあります。お人好しでいつも損ばかりしている女の子とそれをいつもたしなめてばかりいる彼氏のカップル。この女の子に別の男がコナを掛けてきます。自分だったら、あんなふうに怒ってばかりいないから自分と付き合え、というような感じで。いつも怒られてばかりいた女の子は彼氏が自分を迷惑に思っているのではないかと悩むのですが、コナをかけてきた男が友人に「なんで、あんなに怒るんだろう、損するのは彼女だけなのに」みたいなことを言ってて、さらに彼氏からは「怒ってばかりでごめん、でもお前が潰れてしまわないか心配で」みたいなことを言われ、結局どちらが自分を思っていてくれたかを知る、と言うような展開になりました。なんか、このお話がとても好きでした。ひかわさんは娘が「荒野の天使ども」のシリーズが好きだと言っていました。最初は私も西部劇?と思いましたが嫌いではないです(笑) 新作のコミックスを

 

うぉぉぉぉ~~~、やっぱり今回も長くなってしまった~(笑)

 

あとは書くとしたたら1980年代(で まとめてみる)のみです(笑) 

でも逆に1970年代前半&後半で 漏れてしまったけど、どうしても書きたいものがあって悶々としています。

なので、これこそタイトルだけ

 

・未来からきたベレル  1973   志賀公江 ルルが風にのって←SFにぞっこんだった頃なので

・銀色の髪の亜里沙  和田慎二  1973    ←メッチャ書きたい事いっぱいある~~
・ぼくのってしまう!   亜月 裕    伊賀野カバ丸1979~1982
・意地っぱり大作戦!!  1975   有吉京子
・赤い狼    田中雅子  

水無月に笑って   三山節子   
・オッス! 美里ちゃん  金子節子

・田楽狭間の信長くん  佐々木けいこ  1977   信長君日記 1978
・サディスティック19    立花晶  
・1万十秒物語   倉多江美  1976~

 

はてなブログ10周年特別お題「好きな少女漫画10選」 昭和40年代(70年代前半)

私の好きな漫画 70年代前半

1・トーマの心臓   萩尾望都 1974

2・ベルサイユのばら  池田理代子  1972~1973

3・くれないに燃ゆるとも  木原としえ(木原敏江) 1972

4・玉三郎 恋の狂想曲シリーズ  岸裕子  1972~1979

5・雨のにおいのする街  一条ゆかり 1972 

6・ビクトリアの遺書   美内すずえ   1971

7・ポーの一族   萩尾望都  1972~1976

8・午後5時1分前…!  佐伯かよの  1973

9・キッスにご用心!   山本鈴美香  1973

10・モンシェリCoCo  大和和紀   1971

 

お題が「10選」だったので頑張って10個に絞ってみた結果です。基本的には好きな作家さんのものは全部コンプリートするタイプなので、同じ作家さんのものは省こうかな、と思ったのですが、やはり思い入れが違うので、あえて並べてみました。

私が子供のころ死ぬほど苦手だったのが「読書感想文」で(笑) 今も、自分の感動とか思いを伝えることが苦手なので、誰かに何かを伝えるためではなく、ただ単に自分の「好き」を再確認するために書いていきます。

 

トーマの心臓」はとにかく私の好きな漫画のBest of Best でこれはもう死ぬまで更新されることはないと思っています。ユリスモールの苦しみにハートを鷲掴みにされてました。もう何度も何度も何度も読み返して、読むたびに新鮮に胸をかきむしるような切なさ(ああ、なんて陳腐な表現!)に打ちのめされます。最初の頃はユリスモールにしか目が行きませんでしたが、そのうちにオスカーが人気のワケとかトーマやエーリク、そして彼らを取り巻く全ての人に心を持っていかれました。永遠に読み返したい作品です。

 

ベルサイユのばら」はもちろん知らない人のいない少女漫画の金字塔です。この作品のせいで私が漫画にのめり込んだのは間違いありません。オスカル様は今でも私の中で憧れのあこがれの最高の女性です。アンドレが死んだ時、私は生まれてはじめて「ファンレター」と言うか「抗議レター」と言うかを編集部あてに書いて送った覚えがあります。でも、そのわずか2号後で大好きな大好きなオスカル様まで・・・ もう、本当に放心状態になりました。小学6年か中学1年の時でたまたま友達が遊びに来ていた時に週マを読んでベッドに泣き崩れて、驚かれたました・・・ そう、まだ子供だったので主人公が死んでしまうという展開の漫画に出会ったのは初めてでした。

安奈淳さんの宝塚も見に行きました。地方公演の2階の一番上の席でしたが、今から思えばよくチケットが取れたな、と思います。 私は子どもの頃から男装の麗人タイプにメッチャ弱かったのですが、オスカル様の登場でそれが確定されました(笑) オスカル様のように「自分の力で未来を切り開いていく女性」にメッチャ憧れました。子供の頃はオスカルとアンドレしか目に入りませんでしたが、その後、外伝などを通して、当時は嫌いだったジェローデルにもちょっと肩入れできるようになりました。あ、ルイ・ジョゼフくんはメッチャ好きでした。

そう言えば実写映画の「レディー・オスカル」も見に行った覚えがあります。上映途中で故障があってフィルムが巻き戻されて爆笑が起こったのも懐かしい思い出です・・・

 

ちょっと話がずれますが、私と漫画の出会いを先にご披露します。私が漫画雑誌というものを初めて手にしたのは6歳くらいでした。母の実家の近くの神社でお祭りがあった時、多分高校生くらいのおねーさんが漫画雑誌を1冊10円で売っていました。当時、週間の少女漫画雑誌は60~70円くらいだった気がします。お祭りで「あれが欲しい、これが欲しい」とねだったものの、高くて買ってもらえなかった時、10円で売られていた漫画。さすがの母も10円でおねだり攻撃が収まると思って?買ってくれました。それで漫画の虜になりました。特に強烈だったのは、楳図かずお先生の「あかんぼ少女」でした。(このタイトルと作者の名前を知るのはずっと後になってからですが) とにかく、怖くて怖くて夢に見るほど「たまみちゃん」の顔と名前だけは忘れられませんでした。(その後のヘビ女はもっと怖かった・・・) 私がお小遣いというものを月額でもらうようになったのは小学校6年生の時で、小学校5年でベルサイユのばらに出会った私は週刊マーガレットにお小遣いの大半を費やすようになりました。それ以前は週フレと別コミを歯医者さんで、別マをうどん屋さんをやっていた叔母のお店で時々目にするくらいでした。定期購読したのは週マが初めてで、その後「花とゆめ」「LaLa」は創刊号から欠かさず買うことになりました。この頃には「ぶ~け」「Asuka」「June」「Allam」「セブンティーン」「プリンセス」なども買っていました。結婚する時(1984)に創刊号から欠かさず買っていたLaLaは持っていって、子供が生まれるくらいまではLaLaだけは買っていましたが、二人目が生まれた1988年に漫画雑誌から足を洗いました(笑) (好きな作家さんのコミックスだけを書い続けていた)

木原としえさんを知ったのは1972年の「水色のメルヘン」でした。この時初めて漫画のタイトルと作者の名前を同時に覚えました。別コミでした。私の中では主人公が「人魚」と言うのがすごく斬新?ですっかりお気に入りに。で、「木原としえ」と言う名前もインプット。そして小学校5年の時、地元の中学校で小学生の交流会?みたいなものがありました。当時、うちの中学校は3つの小学校が合流していました。で、その交流会には各小学校の通学団から3名ずつ出席することになっていたのだと思います。通学団からは6年生が出るのですが、たまたまうちの通学団の班長が父の友人の娘で彼女が当時5年生の私を誘ってくれました。で、その集まりのお土産?に貰ったのが「週刊マーガレット」でした。その週マに「木原としえ」さんの新連載の予告が載っていたのです。「お出合いあそばせ」だったと思います。さっそく、次の号から買い始めました。もちろん木原さんの作品はメッチャ好きなお話でしたが、ここで「ベルばら」にぞっこん惚れ込んでしまって、私の漫画人生が本格的に始まった気がします。木原さんがきっかけを作り、ベルばらが決定打になったという感じです。

で、やっと「くれないに燃ゆるとも」に戻りますが(笑)、多分、私が読んだ中では初めての時代劇?でした。これから先、惚れ込む木原さんの作品全てに共通すると思うのですが、今も私は言葉足らずでうまく言い表せないのですが、言ってみれば「無常観」と言うかとにかく、せつなくてせつなくてせつなくて・・・ 「愛は不死鳥のように」とか短編は本当に珠玉作というか。どれほど泣かされたかしれません。キャラとしてはやはり「フィリップ」さんのファンでした。なので、彼の転生?キャラがことごとく好きです。エメラルドの海賊、天まであがれ、アンジェリク(ASゴロン原作)、摩利と新吾、夢の碑シリーズまで長編もフィル様追っかけで好きでした。

その数あるお気に入りの中から「くれないに燃ゆるとも」を選んだのは何ていうか、それまで単純に善と悪と言う概念しかなかった私の価値観をひっくり返してくれた作品だったからです。ネタバレですが育ての親と兄弟の仇が実の父親と知った時、ためらう主人公にフィル(育ての兄弟)が「討て」と命じるシーン。そしてかたきを討つシーン・・・もう、これは私のそれまでの価値観をひっくり返すくらい衝撃的でせつないシーンでした。(なにせ、小学5年生だったので)

 

玉三郎 恋の狂想曲シリーズ」はたぶん、歯医者さんに置いてあった「別コミ」で「恋はどこから?」を読んだのが初めてだと思います。けっこう長く歯医者通いをしていたのもありますが、漫画目当てで妹や友達の歯医者通いにもついていっていました(笑) そこで出会った、それこそ今で言うBLのハシリとも言える玉三郎シリーズ・・・ まさに運命の出会いだったのかも(笑)

私は子供を生んで昭和60年代のはじめ(1988)には新しい漫画から離れており、その後10年くらいして再び漫画に触れるようになったら世の中はBL全盛期。なんでなんでなんで? と言う感じでした。中学生の頃に竹宮恵子さんの「風と木の詩」をクラスの男子が大騒ぎして見ていたのは記憶にありますが、当時の私はそう言うのが好きだとはとてもとても言えずにいました。高校の時にプロ並みに漫画のうまい女の子がいて、彼女がそう言う方面が好きだと言うことをさり気なく公表していても、あくまでも私は「優等生」の仮面をかぶり続け「おお、同志よ!」とは言えませんでした。(実はJuneがJunだった頃(創刊2号目だったらしい)からこっそり買っていた) BLぽいものが好きだとやっとカミングアウトできたのは大学生の時に「ビョルン・アンドレセン」大好きなクラスメートとつるむようになってからです(笑) 当時は摩利と新吾日出処の天子、ツーリング・エクスプレスなどの話題で彼女とは盛り上がっていました。でも、やっぱりマイナーな分野だったと思っています。

それを遡ること10年近く前ですので、まさになんと言うか禁断の書物? 背徳感?に溢れてこっそり読むという感じでした。玉三郎シリーズはコメディ要素が強かったので好きと言っても問題はなかったのだとは思いますが(笑) とにかく、新しい扉を開けてくれた作品には違いありません。

 

「雨のにおいのする街」 りぼんの付録本だった気がします。当時私は「りぼん」と言う雑誌は読んだことがありませんでした。小学校の時だれかがこの付録雑誌を学校に持ってきて、それを借りて読んで一発KOされました。そのおかげでりぼんも定期購読することになりました(笑) このころ、超常現象ブームだったのかな? エスパーとか超能力者ってのにものすごく興味があった気がします。それと女性の方が年上で恋が成り立つ?ってのが私の中では目からウロコでした。この作品で一条ゆかりさんを知って、私が人生で一番最初に買った漫画のコミックスが「恋はお手やわらかに」です。本編無視して余談ばかりですが、高校の体育の授業で「創作ダンス」と言うのがあったのですが、私の班のテーマは「魔女狩り」でした(どうしてそんなのになったのだろう? 使っていた曲は映画ロッキーの一部だった・・・) その創作ダンスのパンフレットを作らなくてはいけなくて私は運動は全くだめだったし、芸術の選択が美術だったので絵を担当させられました。で、その時、この漫画のどこかのシーンを拝借したら大絶賛されてしまいました・・・ 同じことが大学の時にもありました。西洋料理のテーブルマナーで献立表を作らなくてはいけなくて、全員の宿題だったのですが、私は木原としえさんの画集のバラの枠組みをパクったら絶賛されて採用されてしまいました。3つのクラスがあったのですが、うちのクラスだけ別格に素晴らしい献立表だと教授方に気に入られ、おかげで卒業してからも名前を覚えていただけるというわけのわからない栄誉を頂いてしまいました。(非常勤講師で教えていた生徒が私の大学に進学したら『あのコンケロさんの教え子』って言われた、と生徒が教えてくれた・・・) ただのパクリだったんですけど・・・ 今だったらどんだけ叩かれるかしれないと恐ろしいです・・・

 

「ビクトリアの遺書」は従姉妹の家で読みました。当時は少女漫画は外国を舞台にしているものが多かったように思いますが、ある意味、非日常の極みでした。遺書、というものが何なのかもしれない年齢でしたが、このタイトルが漫画のタイトルとして初めて覚えたタイトルでした。この作品が美内すずえさんのものだと知るのは花とゆめを買うようになって「白ゆりの騎士」「ガラスの仮面」に出会ってからです。別マは別の従姉妹のお店で時々読んでいたのですが、それ以前に初めて出会ったのがこのお話でした。また話がそれますが、この従姉妹は父方の伯母の娘です。私より3~4歳年上だったと思います。従姉妹の母親が私のブログでも度々出てくる本当は父の異母姉で、私の母が毛嫌していた伯母です。母と伯母がお互いに嫌い合っていたせいか、年が離れているせいか(でも、父の妹の家のいとこは5つ離れた男の子を筆頭に男ばかり3人だけどちょくちょく泊まりに行っていた)あまり交流がなく、その家に泊まったのも初めてだった気がします。古い家で家に年代物の足踏みオルガンがあったのを覚えています。それがとても羨ましく感じました。それから間もなく我が家は家を建て直し、ピアノを買ってもらったのですが、なぜか今もあの古いオルガンが魅力的に思い出されます。その古いオルガンと過去から転生?してきたビクトリアとのイメージが結びついているのかな、と思います。

 

ポーの一族」もちろん、萩尾望都さんの代表作です。私は歯医者さんで「グレンスミスの日記」を読んだのが最初です。なんとなくタイトルだけは頭に残っていました。後にポーの一族のコミックスを読んで、このシリーズだったんだ、と知りました。なんとも幻想的なお話だったと思います。うまく言い表せないのですが、好きな漫画10選から絶対外してはいけないシリーズだと思っています。

 

「午後5時1分前・・・!」はSFです。先にも書きましたが、この頃からSFに傾倒していたのでものすごく印象的だった気がします。佐伯かよのさんの他の作品だったのかもしれませんが、人間の脳の容量?には限界があってそれを超えるとピキッと割れてしまうような話があって、それを勉強できない言い訳に使ったりしていました(笑) 私の世界が狭かったせいか、結末が示されずに委ねられる、と言う感じのラストが斬新的でした。

「キッスにご用心!」 山本鈴美香さんの代表作と言えば「エースをねらえ!」だと思いますし、私の一番好きな作品は「7つの黄金郷」です。(これを入れようと思っていたら連載開始が昭和50年代でした) 読み切り短編3つくらいのシリーズでした。コメディですがところどころホロッとするところもあり、エースの前にこれで山本鈴美香さんに惚れ込んだ気がします。

 

モンシェリCoCo」 大和和紀さんです。ちょうどこれが連載されているころまで週フレを時々買っていたように思います。私は作者と作品名が覚えられない人間なので「はいからさんが通る」で大和和紀さんがメジャーになってから、この作品が大和和紀さんの作品だったと知りました。デザイナーの卵のココと言うのがオシャレで、田舎者の私にとってはコーヒー袋のバッグとか宝石のようなケーキとかがあまりに日常と離れていて想像もつかないけど、ちょっと憧れでした。・・・と、そんな場面はメッチャ覚えているのに肝心のストーリーはほとんど覚えていないという・・・ 今更ですが頑張って探してみようかな(笑)

 

 

 

 

長々と書き連ねましたが、究極の所、好きなものはすなわち自分の人生の歴史そのものだという感じがします。

「歌は世に連れ、世は歌につれ」と言うように流行りの歌にはその時代背景と共に歌い継がれていき、その歌を聞いた瞬間にその時代にタイムスリップできます。リアルタイムで読んできた本や漫画もそうですし、自分の歴史を再確認するものでもありました。当時の世相や自分の家庭や周囲との関係、色々なものが相まっての「好き」なんだな、と。

なので、投票で集まったベストテンとはかけ離れていたとしてもこれはまさに私の歴史なんだな、と感じています。遡るのが楽しかったです。

 

で、実は70年代なかばからが私が漫画にのめり込んでいた時期なので、好きな作品が目白押しです。

で、「好きな少女漫画10選」をさらに分化して 

昭和50年代①(70年代後半)  昭和50年代②(80年代前半)  と考えていたのですが、そもそもコメントを書こうと思うと単なる自分の思い出話だけになってしまうので

 

次はタイトルだけをあげることにします(笑)

 

 

またまたまたまた夫と一悶着(笑)

男性脳、女性脳って言葉があって、なんだかんだで性別による考え方の違いって大きいんだろうな、って思います。

 

ここ最近、夫とケンカばかりをしています。

個人的には夫の人格を疑っていましたが(笑) いわゆる、男性脳、女性脳の違いで私が当然と思っていることは夫にとってはそうではない、という事なんですよね。

そして、夫の考え方って典型的に男性によくあるパターンなんだって思います。

 

あまりによくある例ですが、私が体調を崩して寝込んでいる時(滅多にはない)

夫は「晩ご飯、僕は外で食べてくるからいいよ」と言います。

   私もお腹すくんですけど、子供もいるんですけど!!

メッチャ疲れてて「ご飯作るの面倒だな」と言うと 「簡単なものでいいよ」と

   結局、作れってこと!?

まあ、本当にごくごくごく、普通にあることなんだって今は理解していますが

今のようにネットとかでそう言った事例が簡単に手に入らなかった時代、ご近所さんがとても優秀な旦那様ばかりだった頃(笑)には、本当に夫に対して、本気で人間性を疑っていました。

でも、今は男の人ってこう言うタイプが多いということは知りましたが

私は何度も何度も何度も「こう言うのは嫌だからやめて」と言っているのに「同じこと」を繰り返す夫にどれほどブチ切れたことか・・・

で、最終的には娘に「いいかげん、お母さんもお父さんがそう言う人間だって理解しなよ」って言われるほどです。それでも腹が立つのはどうしたらいいのでしょう?

私は「過去と他人は変えられない、変えられるのは未来と自分」と言う言葉が大嫌いです。

いえ、それが真理だとはわかっています。でも、だからって「間違いを正さないでいるのは許せない」のです。相手が間違いを正すまで言い続けるタイプなのです。「諦めたら負け」だと思っています。

まあ、それでストレスがたまるので、結果として自分が折れるしかなくなるのもわかっています。それだったら初めから過度な期待などはせず「ああ、またか」と笑って受け流したほうが自分のためにはいいのだと思います。実際、私のやることに対して夫や娘はそうやって「諦めて」きているのだそうなので(笑)

 

私は人にレッテルを貼るのが好きなようです。ある意味、防衛本能なのでしょう。自分にとって敵か味方かを推し量ってラベリングしておくことで相手に深入りしないで済むようにしたいのです。それこそ「この人はこう言う人だからしょうがない」とか「近寄らないでおこう」とか。そのくせして変な正義感を発揮して「正当な理由なく人を嫌うのは間違っている」と、嫌いな相手、苦手な相手にも公平に平等に接しようとしてしまいます。だから好きな相手からの頼まれごとはほぼ100%断れないのは普通ですが、嫌いな相手からの頼まれごとでも断ったことはほとんどありません。幸か不幸か、そもそもが人付き合いが苦手なので、接する人が少なくて「お金を貸して」とかとんでもない申し出を受けた事がないので、事なきを得ているのかもしれませんが。

 

実は車を買い替えました。今年2度めの車検があるのですが、今回の車はめずらしくきれいな状態で乗ってきました。なので、いま新車を買えば下取り価格を大きくとってくれる、と言うことで。車検もあるし、前の車が事故ったおかげで査定0で廃車だったこともあるし、ナビが古くてイライラしていたこと、ドライビングレコーダーは前にはついていたけれど、後ろもほしいな~と思っていたことなどなどから思い切って買い替えました。なんだかんだで、全く同じ車種の全く同じ色なので、きっとご近所の誰も我が家の車が新車になっていることなど知らないと思います(笑) で、車が新車になってしまったので、ちょっと遠出で運転するのが怖くて(実は前の前の車は納車から2週間の間に私が2回ぶつけた) お出かけする時に夫に乗せていってもらいました。私の用事は2時間弱だったので、家から1時間弱のその場に送って家に戻るほどの余裕はありませんでした。なので、2時間をどこかで潰す、と。申し訳ないので公共交通機関で行こうかとも思いましたが、ホンっとタイミング悪いことに捻挫しているので電車と地下鉄乗り継いで1時間弱の道のりはやはりちょっとしんどいな、と。で、まあ、夫の言葉に甘えて送って行ってもらうことにしたのですが、夫はその2時間をどこで潰すか考えていたようです。で某イベントを見つけてそこに行ってくる、と。そのイベントが行われていることを私は全く知らなかったのですが、そのキャラのグッズをいくつか揃えるくらいには私の好きなものでした。(夫は全く興味がない) 

瞬間的に頭に血が上ったのは過去に同じようなことがあったからなのですが 元々ミーハー気質のある夫なのですが、人がいいと言ったり話題になっていると言うと、自分は全く興味がないものでも行きたいとか、もっとひどい時には私が興味ある分野でも「ひとりで」行って「〇〇に行ったきたんだ~」と自慢すること。(萩尾望都さんの展覧会だった気がする) 

で、今回も、一度もそれを好きだったと言ったこともないくせに「お母さんを待っている間に行ってくる」と。思わず「なんで? 私がそれを好きだって知ってるよね? それなのに、なんで自分だけで行くの?」と言ったら 「この作品展があるのなんて前々から新聞とかにも載っていたから知ってて行かないのだと思っていた」と。 知らなかったんです・・・

「新聞にだって載ってるしテレビでも見た気がするから当然見ているはずだ」って

私は新聞が好きで隅々まで読み込む時もありますが、全く見ない日もあります。

少なくとも私はそのイベントを見落としていました。「いつも新聞読んでるじゃない」と。

「じゃ、火曜日と木曜日に女性週刊誌の見出しが毎週出るんだけど、その内容をあなたは見たことがある?」と聞いたら「・・・気が付かなかった」と。 自分だってあんなにデカデカと場所とっている週刊誌の見出しにも気づかないくせに・・・ 「新聞読んでいるんだから当然、知っていると思っていた」って・・・ そのキャラのポーチとバッグ、陶器製のオブジェもあるし、ディアゴスティーニで初回だけ買って諦めたって話もしてあったのに・・・ もちろん、私はコロナ以降、おこもり生活を続けていたのでそう言うイベントにあえて行っていないというのも間違いではありません。でも、緊急事態宣言も明け、このタイミングで近くに行く用事があったとしたら、行きたいと思うんじゃないかって思ってもくれないんですよね・・・

夫は「知っていると思った」と言いましたが、それは咄嗟に口をついた嘘だと思っています。って言うか、夫は実は自分だけが知っている、と優越感に浸るのが好きなんです。でも、過去に私が何度もその優越感を打ち砕いてきたので(笑) 遠回しな自慢の仕方をするようになったのです。それが証拠に私が知らなかったことを「え~。知らなかった~私も◯◯したかったなぁ」と素直に言うと、〇〇した話が止まらなくなります。そんなに手数を持っていたのか、というくらいに(笑) だから今回も素直に「え、そんなのやってるの? 私も行きたい」って言ってあげれば夫はとてもご満悦だったはずなのです。でも、私の虫の居所が悪かった&いつものやり口にムカついていた 事もあって、「なんで、私が好きだとわかっているイベントなのに、『終わってから一緒に行こうか』じゃなくて、さして興味もないくせに自慢気に自分だけ行くって言うの!?」ってブチ切れてしまいました。「近くでやってたから、時間潰すのにいいと思って」と。

単なる時間つぶし!! ってことでまた腹が立ってしまいました。

 

娘の言葉が頭に響きます。

「お父さんってそう言う人なんだから諦めたら?」

「お父さんだってお母さんが『そう言う人だから』って諦めてるんだから」

 

世の中のできた皆様方は 諦めているんでしょうか

いえ、そもそも、こんなことでムカついたり苛ついたり怒ったりしていないのでしょうか

 

なんとなく、お題に答えてみたくなったので

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

  ハンドルネーム・・・なんだったっけ? って今更見てみたら「コンケロ」でした(笑)

  ケロロ軍曹から来ています。

  とにかく、ケロロがメッチャ好きでした。

  私はいわゆるオタクで本来は「シリアス」「美形」が好きです。

  いえ、もっと言えばドロドロぐちゃぐちゃな神経質な「お耽美」が私の原点でした。

  でもお耽美って一歩間違うとギャグなんですよね・・・

  だから? ギャグもメッチャ好きで(笑) 

  ケロロみたいにカラッと失敗できるキャラに憧れてHNにしたんじゃないかな、と思います。

 

はてなブログを始めたきっかけは?

  長年やってきたアニパロ系のHPに細々と日記を書いていたのですが

  そのHPを閉鎖してしまったので、日常のストレスを発散できる場所がなくなってしまい

  その代替として

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

  お気に入り???  今の日記を書きながら「あれ? 前にもなにか言及した気がする」と思った時くらいしか読み返さないので

  ぶっちゃけ何を書いたか、ほとんど記憶にありません。 

  時々、同じことばかり書いているんだろうな、と心配になるけど、やっぱり何をしても「自己嫌悪」につながるので

 基本、「書いたら書きっぱなし」のスタイルです

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

 真剣に落ち込んでいる時とハイになっている時

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

 下書きの機能がよくわかっていなかった・・・

 つい最近、下書きに保存されていた記事を発見して古すぎて破棄したものを除いて1つだけUPしました

自分の記事を読み返すことはある?

 今書いている記事に関連することを思い出した時に

好きなはてなブロガーは?

 すみません、人様の記事を読んだことはありません・・・

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

 気軽に使えてありがたいです

10年前は何してた?

 娘が精神的におかしくなっていて、当然?私もおかしくなっていて

 毎日毎日しんどい思いだけをしていた気がします・・・・・・

この10年を一言でまとめると?

 人生の中で一番アップダウンが激しかった日々